隣で生きていく 2
「っ」
性急に求めたのは自分だが。やはりその質量に、最初は息が詰まる。しかし。
「まさむねどのっ、ぁあ」
繋がってしまえば、痛みより何より。あの幸福感がある。
更に、体を重ねる内に、幸村の良い所をすっかり覚えてしまったらしい政宗。固く熱を持った彼自身に、敏感な場所を突かれれば。
「あ、ふぁあ!」
幸福感の中で。ただただ、甘い声が零れた。
ゆるりと引き抜かれる感触に、体を震わせる。中に放たれた熱い液体が、ぽたりぽたりと滴り寝床を汚した
彼と繋がりを解く、この瞬間が、幸村は嫌いだ。
(だが、ずっと繋がったままと言う訳には行かぬ)
そう言い聞かせ、瞳を伏せた。そこに。
「足りねえ、な。暫く離れてたんだ。こんなもんじゃまだアンタが足りねえ」
「っ」
熱を帯びたままの政宗の声が降って来る。もう一度いいかと問うかのようなその隻眼に。
「存分に、政宗殿のお気の済むまで」
そう返した。自分も勿論彼ともっと繋がっていたい気持ちがあるのだから。
「ぁ、あ!」
自らの手で扱いたのか、再び充分な硬度を持った政宗自身が、解け切った幸村の蕾へと侵入する。精に濡れた蕾は受け入れる痛みなど全く感じず。淫らな音と共に、快楽を伝えて。
「まさむ、ね、どのぉ……ああぁ!」
早過ぎる絶頂を告げる喘ぎが、幸村の唇から零れた。
(俺は一体……)
政宗と繋がり、達してしまった後の記憶が無い。どうやら体は綺麗に拭かれ、寝床に横になっているようだ。
「ああ、目覚めたか」
隣に視線を向けると。同じく単衣をまとい寝転んでいる政宗と目が合った。
「あの、某……」
「アンタ、オレと繋がったまま気ィ失っちまったんだよ」
「!!……申し訳ござらぬっ」
以前倒れた時ほどではないにせよ、政宗が居ない間、確かに眠りは浅かった。しかし、それがよりによって体を重ねている際に出てしまうとは。
存分に、と政宗に体を差し出したのに、これでは彼は満足出来ていないだろうと。俯いた幸村の頭を。
「謝る事はねえ。……疲れてんなら、無理してオレの要求に応えなくても良いんだぜ。アンタの体を壊しちまったら元も子もねえ」
政宗の手が優しく撫でる。
「……某の方が、政宗殿を欲していたのでござる……無理など……」
「なら良いが。アンタの体は気持ちに追い付いてねえらしい。今日はもう何もしねえから、ゆっくり休みな。……オレが居ない間、余り眠れなかったのか?」
「……その、やはり政宗殿が居ないのは寂しゅうござった」
眠りの浅かった原因はそれだけではないが、確かに大きな要因の一つだったから。子供のようで恥ずかしいとは思いながらも、小さな声で告げる。
「HA!可愛い事言ってくれるじゃねえか……今度遠出する時は、アンタも連れてく。オレの方も、手に入れる前ならともかく、手に入れちまったアンタと何日も離れてるのはキツイって分かったからな。……だから、今は眠っちまえ」
「はい」
政宗が自分へと向けてくれている気持ちを、彼の言葉で改めて感じ。それに安堵する。
「っと、眠る前にあともうひとつ。これは伝えといた方が良いだろ」
「?」
政宗の腕が、幸村の体を引き寄せる。その腕の中で彼を見上げると。こちらを見つめる政宗と視線がかち合った。
「帰って早々に、オレに今年もあの女と舞を、とか言って来る奴が何人かいたが」
「!」
「この前言った通り、アンタが居るのに他の奴と舞う気はねえ。言って来た奴にもそう返した。何を勘違いしてるのか、アンタとオレが政略結婚だと思ってる連中が居て。そいつらは、オレがアンタに遠慮して舞わないのだろうとか見当違いの事告げてきやがったが……。アンタはオレの半身で、アンタはオレの求めに応じてここに来たんだ。アンタもそれを忘れるなよ。……もしオレ達の関係を分かってない連中に何か言われても、舞わないのはオレが決めた事だって返しな。アンタに言われたとしても、妻以外と舞う気はない、そのオレの意思は変わらねえ、ってな」
「……承知致しました」
「話が長くなっちまって悪かったな」
「いえ」
(それをお聞かせいただいて、嬉しゅうござった)
心の中でそう告げる。少し前に幸村が周囲に伝えられなかった事を、政宗が告げてくれている。それに胸が暖かくなる。
眠りを促す政宗にこくりと頷き。彼の腕の中で瞳を閉じて。
抱えていた不安を拭われた幸村は。
程なく深い眠りへと落ちて行った。
「某が、最後に舞うのでござるか?」
「ああ、オレの妻なんだから当然だろ?」
祭りの日程を聞く中で、落とされた言葉に幸村は僅かに目を瞠る。
華宴で舞を披露する人物の内、一番身分が高いのは幸村なのだから、という政宗の言葉を。理解出来ない訳ではない。だが。
(……某が最後に舞って……不満の声が出ぬであろうか……)
今まではあの芸者のおなごと、政宗が最後に舞っていたと聞いている。今年は、政宗は舞わないとはっきり宣言しているが。恐らく皆多分、最後を飾るのはあの芸者だと思っている筈。
そんな中で、自分が最後に舞うとなれば。……周囲を失望させてしまうのではないか。
(いや、それどころか、皆某の舞には興味を示さぬかもしれぬな)
前よりは幾分、立場が良くなったとはいえ。男でありながら政宗の正室という幸村を、快く思っていない者は未だに数多くいるだろう。それに、政宗が直接政略結婚を否定した相手も、恐らくそう数は多くない筈。故に、幸村を政宗の真の正室とは思っていない者もまだ多く居ると考えられる。
そんな微妙な立場の者が舞う時間は、多分幸村の前に踊るであろうあの芸者の舞の感想を語る時間になるかもしれない。
(いや、それは別に構わぬ)
自分の舞は、ただ一人。政宗に見て貰えればいい。
(……舞を嗜んでおられる政宗殿に満足いただけるかは分からぬが……)
彼とあの芸者の舞は皆を魅了するほどのものだと言う。彼らに敵うとは当然思わないが、それでも政宗に見せるならば出来る限り上手く舞いたい、と考えた幸村は。
「政宗殿、どこか舞の練習をするための場をお借りしたいのでござるが」
そう口にしていた。
「っ」
政宗が使って良いと言ってくれた離れ。他の者達はめったに訪れない場所な上、練習に使えそうな十分な広さを持つ部屋がある、と勧めてくれたそこに向かう途中。件の芸者と擦れ違い。幸村は思わず身を固くする。ここ数日、宴に踊り手として出る者達のうち、練習の場を持っていない身分の低い者は、政宗の許可を受けて城内で練習していたようだったが。芸者として売れっ子であろう、練習の場など幾らでもある筈の彼女まで城に訪れているようだ。その理由は多分、彼女の政宗への気持ちにあるのだろう。
相手は、こちらに気付くと一応と言った感じで深く一礼をした後。「御前様、宴では私の後に舞うのですってね。楽しみにしております」と。とても楽しみにしているとは思えない、棘のある声音で一言零し、さっさと去って行く。今まで宴の終焉を飾っていた者として、幸村にそれを奪われるのは気に食わなかったのだろう。声に不快感が滲んでいた。
彼女の姿が見えなくなるまでその場で固まってしまっていた幸村だが。
(……下手な舞を見せれば、何と言われるか分からぬな……もっと練習せねば)
自分が下手な踊りを披露すれば、幸村を最後に、と勧めた政宗の評判も落とすかもしれない。それは避けねばと。
気持ちを切り替え、練習へと向かった。
「旦那、今日はもう終わり」
「何処か変か?」
「いーえ、ただちょっと気合入りすぎてる。あんまり根詰めて本番前に疲れ切っちゃ意味ないよ」
笛から手を離した佐助に、呆れたように呟かれる。幸村の舞は少し特殊で、それ故に音楽も独特なもので。この城では佐助が唯一その為の音楽を奏でる事が出来たから。政宗は渋々と言った感じで、佐助と二人の練習を許可してくれて。二人で練習を重ねている。
「そうか、それもそうだな」
「そうそう……ん?何かこっちに向かって来てる人の気配がするけど」
「政宗殿か?」
「いや、違うねこれは」
政宗が、たまにこの場に様子を見に来る事はあったが。それ以外の者が訪ねて来た事は、幸村がこの場所を借りてから一度も無い。
そんな場所に誰が来たのかと首を傾げていると。
離れの外から遠慮がちな声が掛かり。
(どこかで聞いた事のある声のような)
そう思いながら、佐助を伴い外へ向かう。
「どちらさん?」
庭に伏せている人物に、佐助が声を掛けると。相手が僅かに顔を上げた。
「!」
彼の顔を視界に入れた幸村は。その意外な者の訪問に、目を見開く。
訪れたのは、政宗の部屋にあの芸者が訪れた際に一緒に居た、彼女の付き人と思わしき男、だった。
男が佐助に向けて身分を伝えた後、幸村に向かって再度頭を下げながら言葉を告げる。
「御前様、うちの店の者が無礼な態度を取っているようで大変申し訳なく……しかし勝手な言い分ながら、あれの心も分かっていただければと……。あれは殿に本気で恋をしているのです。勿論ただの芸者が城に上がる事などないと十分理解した上で。……貴方様が輿入れする少し前から、殿は店に来て下さる事も無くなりました。その際のあれの落ち込み様はこちらも見ていられなくなるほどで。祭となれば会える、更にともに舞えるとそれを心待ちにしていた所に、其れも今年は無くなったとの知らせを受け……。御前様、どうかあれの気持ちを汲んで、殿とあれと共に舞うように説得していただけませんでしょうか……。御前様の御言葉なら、殿も聞いていただけるのではないかと思い。無礼ながらお願いに上がった所存でございます」
先日、政宗からあのように言われていたにも拘らず。あの芸者の立場がもし自分だったら、と考えてしまい。幸村の心は揺れていた。
心を交わすは叶わぬまでも、店で会い、年に一度は宴で共に舞う事も叶っていた、恋しい相手からの突然の拒絶。自分がその立場になったら、その原因を作った存在、それに対してあまり良い感情は持てないだろう。
(それに俺とて……政宗殿があの時気まぐれに手を出して来なければ……今この城に居なかったであろう)
政宗が戦場での高まりを鎮めるためにこの身を抱いて。その際に自分が彼の半身だと向こうも気付いたからこそ、自分は今この城に居て。彼に愛されている。
(どうすれば、良い?)
だが政宗とあの芸者が共に踊るのは見たくないという気持ちはずっと持っており。また自身が彼に説得しようとしても、聞き入れられる気はしない。しかし彼女の辛い心もまた理解は出来。幸村は返事に窮していた。
そこへ。
「あんまりオレの妻を困らせるんじゃねえ」
「殿!」
いつの間に訪れていたのか。この城の主の声が落ちた。付き人の男が、政宗に向かい直して平伏する。そして彼は政宗にも懇願を始めたが。
「……誰から何度言われても、オレの気は変わらねえよ。本人に直接言うのは憚られて伝えてなかったが。オレが今までアイツの所に通ってたのは、芸者にしては学があるし気楽だったからで。特別な感情からじゃねえ。だが今は特別な感情を向ける相手がいる。それはテメエにも分かってるだろ?……オレの妻は戦場では紅蓮の鬼、なんて呼ばれてるくせに平素は控えめ過ぎてな。しかも他人の事を考えすぎる心優しい性格だ。オレはテメエがこの妻に話した内容、前半は聞いてねえが。おそらく今もテメエの話を聞いて、本当は嫌なくせに悩んでるんだろう。自分の心を抑え過ぎちまう感があるこの妻に、オレは負担掛けたくねえんだよ。分かったらもう下がれ。今後その話は一切禁止だ」
静かだが、有無を言わせぬ強さを感じる声に。男もこれ以上言葉を重ねては無駄だと悟ったのだろう。平伏していた身を起こし、政宗に非礼を詫びてから去って行く。
「……まさむねどの」
「この前言っただろうが。あの女との舞に関する要求は拒否しろと……」
「はい、最初はそのつもりだったのでござるが……もし自分があの者の立場だったらと考えてしまい」
「……さっきもあの男に言ったがアンタは他人の心を優先しすぎだ。……まあだからこそ、甲斐でアンタを慕う奴が多いんだろうがな。この城にもそんな存在は段々増えて来てるみてえだし。もう今日は練習終わったんだろ?湯浴み終えたら部屋に戻ってきな。猿、着替えの準備しとけ」
「はいはい」
佐助と政宗がそれぞれ別の方向へと去って行く。
政宗が、はっきりと断らなかった自身に怒っていない事に安堵しながら、幸村は彼らを見送った。
「旦那そろそろ着替えようか、手伝うよ」
「ああ、頼む佐助」
迎えた宴の日。幸村は自身の出番をもうじきに控え、準備を始めていた。先程までは、政宗の隣で彼に酌をしながら、自分も甘味を摘みながら繰り広げられる舞を楽しんでいたが。
政宗が買って来てくれた布で誂えたその衣装を実際に身に付けるのは今日が初めて。といっても衣装自体は普段幸村が戦場で身に付けている戦装束、あれの丈の短い羽織を外した状態とあまり変わり映えはしない。違うのは戦用の硬い胸宛てと違い、胸の部分も柔らかい布で出来ている事。腰の部分に舞が映える様にと、長い布を垂らすように巻き付けている辺り、だろうか。
「うーん、これは……もっと露出抑えた方が良かったかな」
「?可笑しいか?戦装束とあまり変わらぬと思うが」
姿見で確認しながら首を傾げる。映っている姿は戦で駆けまわる時の姿と幾分と変わらぬように、幸村は感じる。腕と足を彩る銀細工は、確かに戦装束にはないものだが。
「いや可笑しい訳じゃないよ、大丈夫、ちゃんと似合ってる。けどね……うーん。いやこれ旦那に今言っちゃうと旦那舞えなくなっちゃうと思うから、後でね。あ、舞う直前まではこれ羽織ってて。ほらそろそろ控えてないと。俺様もすぐ行くから。旦那の舞に合う笛の音出せるのは俺様だけだし」
「あ、ああ」
佐助の言葉が気になりはするが、出番は迫っている。遅れては、と幸村は手渡された大きめな布を肩に掛け。舞いの披露の場となっている、外の庭園へと歩き出す。その歩に合わせて、政宗から贈られた銀細工が、しゃら、と音を立てた。
(やはり、見事なものだな……)
今舞っているのは、件の芸者。彼女は結局一人で舞う事を選んだようで。舞台となっている壇上で、流麗な舞を披露していた。最初、緊張を煽ってしまうからと、出来るだけ見ない様に視線を逸らしていた幸村だが。それでも目に入ってしまう程の見事な踊りだった。
静かに彼女の舞が終わり。
見ている者達からは割れんばかりの拍手喝采が起きた。そんな中。幸村は自分の番だ、とそっと檀上近くへと足を進めた。
幸村の存在など見えぬように、未だにあの芸者への賛辞は続いているが。そんな中政宗の視線ははっきりとこちらを向いていて。彼へと笑みを返した後。聞こえてきた笛の音、それに合わせて。幸村は羽織っていた布を取り払い。壇上へと身を躍らせた。
その身軽な動作は、周囲を驚かせたようで、視線が一斉にこちらを向く。それに少し身を固くしながらも。
壇上で一礼をしてから。ちょっと変わった、異国の響きを持つ笛の旋律に合わせて舞い始めた。
戦場での幸村の身軽な動きに、踊りとしての所作を加えたそれ。受け入れられるかは分からぬが。自分にはこの舞しか出来ぬ、と。
幸村はただ夢中で自身の身を動かした。
(静か、だ)
幾分上がった息を抑え込みながら、舞を終えた幸村は舞台の上で一礼をするが。周囲はしん、と静まり返っている。幾人かから、何やら幸村には読めぬ感情を含んだ視線を向けられている気がしたが。それも歓迎からくるものとは思えなくて。やはり受け入れられなかったか、と。顔を上げると。
「まさむねどの?……?!」
政宗がこちらに向かって来ているのが見えた。更に彼がどこか怒っているように感じ、首を傾げていると。
バサ、と彼が身に付けていた羽織を投げる様にして掛けられる。更に。
「降りて来い」
と低い声で言われ、戸惑っていると。痺れを切らした様子の政宗が壇上に上がり。
「!」
幸村の体を肩に抱え上げ、飛び降りて。宴の席に背を向けて歩き出した。周囲がざわめくが、政宗はそれに構わず歩みを進める。
「あの、政宗殿、某の舞はやはりお気に召さなかったのでござるか?」
「……違う、そうじゃねえ」
「ならば何故っ……怒っていらっしゃるので」
「アンタに対して怒ってるんじゃねえよ」
「?」
「寝所で説明してやるから、今は大人しくしてろ」
明らかに怒りと不機嫌を滲ませた声に。自身に対してではないと言われても不安は拭えず。幸村は小さく頷いて寝所に着くのを待った。
「あの色ボケ爺共が……!」
どさり、と寝床に体を落とされた後。幸村の耳に聞こえて来たのは、政宗のそんな呟き。
幸村に被されていた政宗の羽織は、部屋に入った瞬間に取り払われていた。
彼の言葉、その意味が分からず首を傾げていると。
「……ひゃうっ」
政宗が、突如幸村の体を反転させ。その剥き出しの腰に舌を這わせて来た。
「ん、っ」
執拗な、それに幸村の体がぶる、と震える。
「ま、政宗殿?」
「消毒、だ。アンタの体はオレのモノだってのに、あんな目でアンタを見やがって……」
「??」
政宗の言っている事は、さっきから幸村の理解の範疇を越えている。
「まあ、アンタの体がこんなeroticになっちまったのはオレのせい、だがな……自分じゃ分かんねえか」
「あの、先程から何を?」
「アンタのこの腰から尻にかけてのlineが、すっかり男を知った体になっちまってる。褥以外でアンタの剥き出しの腰なんて久々に見たから、オレも今まで気付けなかったが……さっきの舞のアンタは、アンタ本人にその気は当然無えだろうが、この腰に汗が流れる様なんか、褥でのアンタのいやらしい姿を想像させちまって。そのせいで男を誘っちまってるように見えちまう。それに気付いた連中が、アンタをヤラシイ眼で見てやがって。それに腹立てただけだ。だからアンタ自体にゃ怒ってねえ。こんな衣装を仕立てた猿には怒りてえ所だが」
「政宗殿の、気のせいでは?」
確かに何やら不可思議な視線を感じたが。自分に対し複数の人間がそんな感情を抱くなど信じられない。
「気のせいじゃねえ。アンタに欲を抱く人間はオレには良く分かる。他ならぬオレがアンタに欲を持ってるからな。同類は嗅ぎ分けられるんだよ」
「っ」
「これからはそんな露出の高い着物は禁止だ、暫く戦は無えと思うが。アンタの戦装束も考えねえと」
政宗のいう事が。幸村本人にはやはり分からない。
「そんな誘う様な体を他の奴に見せた罰だ」
と称して再び押し倒され、体を求められて。その言葉を理不尽だと感じながらも。その言葉は自分への独占欲を感じさせるものだったから。抵抗はせずに。
政宗から与えられる快楽に、ただその身を委ねた。
「ちょっとあんまり旦那苛めないでよね」
「苛めてねえ、可愛がってただけだ」
「それも度が超すと苛めてるのと一緒でしょうが!」
宴に身に付けていた衣装のまま、政宗に抱かれ。幸村の舞に欲を誘われたのか、政宗に激しく揺さぶられ意識を飛ばしていた所に。政宗と佐助、二人の言い争う声が響く。
政宗の声がすぐ頭上で聞こえていて更に目の前に彼の着物の合わせが見えたから、自分はどうやら彼に抱きすくめられた状態で眠っていたらしい。
「大体、てめえがあんな衣装作って舞わせるから盛っちまったんだ。他の連中でコイツに妙な感情抱いた奴も出て来ちまったみてえだし」
「……衣装に関してはまあ事前にアンタに相談しなかったのは悪かったけど。……俺様も旦那の体があんなに変わってるのは予想外だったの!しかも旦那の体が変わっちゃったのはアンタのせいでしょうが!責任もって旦那を変な連中から守ってよね。勿論俺様も守るけどさ」
「当然だ、コイツはオレの妻だ。他の奴に触らせるかよ!」
(佐助も、政宗殿と同じように思っているのか……)
舞の前、言葉を濁していたのは、政宗と同じような理由だったらしい。
二人の男が自分を守ると宣言している会話の中で起きるのが、何だか気恥ずかしく。また自分はそんなに弱くない、と反論したいという気持ちはあったが。どうやら戦の強さには余り関係しない話のようで。言ってもあしらわれるだけだろうと。
彼等の会話が完全に終わるまで、寝たふりを続けた幸村だった。気配に聡い二人にはばれていると思うけれど。
「御前様、今日はお願いがあって参りました。殿の、政宗様のご寵愛を受けている御前様に。我ら伊達家家臣一同、たってのお願いが」
華宴から数日経ったある日。幸村の元に訪れ頭を下げたのは、明らかに伊達家の中でも身分が高いと思われている者達数十人。おそらく、政宗が居ない時をねらって訪ねて来たのだろう。その家臣たちの中に小十郎の姿が無い事から。これは自分にとってあまり歓迎できる「お願い」ではないだろうな、と幸村は悟るが。
政宗の正室、という立場から。
彼らの願いを聞かない訳には行かないだろう、と。
家臣たちに話を促した。
(正室ならば、か……)
家臣たちの願いというのは、幸村がいつかは言われるだろうと想像していたもので。
「殿に、政宗様に御前様がただならぬ寵愛を受けているのは我らも存じております。しかしながら。その御身に御子を宿せないのは明白。伊達家のご正室ならば、伊達家の安泰を願うならば。どうか殿にご側室を娶るように御忠言くださいませ。我らの言葉では殿は聞いて下さいませぬが、御前様の御言葉ならきっと」と。
以前の、この城に来たばかりの幸村なら、その言葉を受けて悩んだだろう。
幾ら愛されようと、この身に政宗の子を宿せないのは確かだ。けれど。
自分が彼に側室を、等と伝えれば彼は怒るだろう。信玄からの手紙で、側室を娶ることを禁じられるまでも無く、幸村以外いらない、自分以外求める気はないと言ってくれた彼だ。
家臣たちの言う伊達家の正室としては、こんな考えは失格だろうが。自分が此処に嫁いできたのは他ならぬ政宗に求められたからで。
彼を怒らせるような事は、憤らせるような事は、したくない。
「某に、それを政宗殿にお伝えする事は出来かねまする……某は政宗殿に望まれてこの城に参りました……よって政宗殿の意思に背く事など……」
この言葉によって、少しだけ向上していた自分の城での立場は、また悪くなるのかもしれない。けれど。
彼らの申し出を。自分の心を、政宗の想いを無視して受ける事は。
今の幸村には出来なかった。
(分かっていたとはいえ……ああもはっきりと言われるのはやはり堪えるな……)
家臣たちが去って行った後、幸村は深く溜息を零す。男である自分を、政宗が正室として奥州に、と告げた時からこのような問題が自身にいずれ降りかかるのは明白だった筈なのに。
彼らの言葉に、自分の心が傷付いている。
(事実を告げられただけだというのにな。……あの者達は、これからどのように動くのであろうか……)
政宗からはすでににべない言葉を貰っている雰囲気だった。しかし彼らがそう簡単に跡継ぎを諦めるとは思えない。だが。
(考えても仕方の無い、事か……)
彼らの要求を拒否した自分が、彼らに良い案を授けられるはず訳も無く。
幸村は部屋から外を見上げ。
(……早く帰って来て下され……)
今この場に居ない人へと心の中で、話し掛ける。
「遠出する時はアンタも連れてくって前に言ったが。……政が絡む会談にアンタも共にってのには、難色示す年寄連中が多くてな。今回は連れて行けそうにねえ」
「それは仕方がなかろうと……今は同盟を結んでいるとはいえ某は甲斐の武将。……嫁いできた身で政宗殿に害をなす様な情報を漏らす気はござらんが、御老臣方が心配なさるのも当然でござる。政宗殿がそれをお気になさる事など」
と言いつつも、最後にごく小さな声で。早く帰って来てくれると嬉しいと告げると。政宗は幸村の言葉に応えてくれる。
「ああ、用件が終わったらすぐ戻って来る……オレが居ない間、身辺には気を付けとけよ?」
「?何か気になる動きでも?」
「……いや、そうじゃねえ……アンタにゃはっきり言わねえと理解出来ねえか」
「?」
「オレが留守の間にアンタに目を付けた男達に襲われねえようにしろって言ってんだ」
「?!」
「まあアンタの腕なら早々そんな事にはならねえだろうが。っと、迎えが来たみてえだな、行って来る」
「!」
そのような事ある筈がないと反論する前に。政宗は幸村の唇に触れるだけの口付けを落とすと。身を翻し、去って行ってしまう。
そんなやり取りを交わしたのが、数日前で。
治水工事の責任者に現場を見て欲しいと請われ、出掛けて行った政宗の帰りを。
幸村は待っていた。
「片倉様!」
(?あれは政宗殿について行った兵では?)
政宗の背を見送った時に、彼と共に城から出掛けて行った一団、その中の一人と思わしき者が。政宗の代理として城に残っていた小十郎が居る、普段政宗が政を行っている部屋に走り込む姿が。暇潰しに庭を歩いていた幸村の目に映る。
(まさか政宗殿の身に、何か?)
浮かんだ考えに居ても立っても居られなくなり。
「片倉殿、失礼致すっ」
声を掛けた後、部屋の障子に手を掛けると。
「!」
先程の兵を連れた小十郎とぶつかりそうになった。
「片倉殿、何かあったのでござるか?」
小十郎の姿はすでに出掛ける為の身支度を整えているように見え。それはやはり政宗に何かあったのではないか、と幸村を不安にさせる。だが。
「……大した事じゃねえ。俺はちょっと今から政宗様の所に行って来るが、何も心配いらねえ」
そう告げ、踵を返す小十郎の背中は。質問を拒んでいるように見え。
幸村はそれ以上彼に声を掛ける事が出来なかった。
(……眠れぬ)
深夜、床に横になりながらも、幸村の目は冴えていて。政宗の身を案じていた。
小十郎は大した事ではないと言っていて、彼の言葉を信じていない訳ではないが。全く何もない訳ではない、とも思っている。何も無いなら、あの兵があのように慌てた様子で城に戻るはずがない、と。
(?こんな時間に外に人の気配が……!)
「政宗殿っ」
外に感じた気配、それが待ち人のものな気がして。幸村は夜着の単衣姿のまま部屋から飛び出す。気配のした方へ駆けて行くと。
(やはりっ)
月明かりに映し出された政宗の姿が在り。
このような時間に戻って来た理由は分からないけれど。姿を見る限りどこも怪我も無く無事に見えて。
安堵の息を共に幸村は彼に近付く。
「まさむねどの」
「……ゆきむら」
「お帰りお待ちしており申した……外はまだ冷えまする。部屋へ戻りましょうぞ」
「ああ」
部屋に戻り障子を閉め、政宗を振り返ると。
「まさむねどの?!」
ずる、と政宗が倒れ込んで来て。慌ててその身を支える。
(顔色が悪い)
間近にある彼の顔、瞼を閉じた端正なその顔が浮かべている色は、蒼白に近く。
慌てて医者を呼ぼうとした所に。
「政宗様は戻って来ておられるか?」
「片倉殿!」
小十郎の声が障子の向こうから聞こえた。
「……医者の必要はねえ。怪我も全くねえから安心しろ。政宗様は睡眠が足りてねえだけだ。自分から目を覚ますまで、起こさないでやってくれ」
医者を、と告げた幸村に首を横に振って。小十郎はそう言い残して、部屋から去って行く。
彼の言葉に安堵した幸村だが。同時に。
政宗がこれほどになるまで睡眠を摂らなかったその原因が、気になった。
(このままでは寝苦しかろう)
政宗の身に付けている着物と袴を脱がし、単衣に着替えさせる。小十郎の言うとおり、政宗に外傷は無かった。
(……普段ならこのような状況であれば目を覚まされるであろうに……余程お疲れなのでござるな……)
政宗は他人の気配に過剰な程敏感な事は、共に暮らしている内に幸村にも伝わって来ている。だが今の政宗が、目覚める気配は無く。それを疲れのせいだと結論付けるが。
(触っているのが俺だから、という理由で有れば嬉しいが……)
そんな想いも少しだけ抱いた。
ゆっくりと眠ってもらうには、一人にした方が良いだろうかとも考え。一度は別の部屋に向かおうとした幸村だったが。
幸村自身が政宗の傍から離れたくないという気持ちが強く。
また、もし具合が悪くなった時に、一人では困るかもしれないからと言い聞かせて。
幸村は政宗の隣に横になった。
普段なら政宗がその腕の中に導いてくれるのだが。深く眠っている今は当然それが無く。少し寂しい、と思いながら。
「んっ……!」
意識が浮上し目を開けた際。すぐ傍に政宗の顔があり。彼の腕に抱きしめられているのだと知る。
政宗の顔色も、幾分良くなっていた。
外から差し込む柔らかい光が、朝の訪れを知らせていたが。幸村は政宗の腕から出る気に慣れず。それに自分が腕から抜け出してしまえば、政宗を起こしてしまうかもしれないと。
政宗が目覚めるまで、彼の腕の中に納まったまま過ごした。
「夜中に起しちまって悪かったな」
目覚めた政宗がまず口にしたのはそんな謝罪で。幸村は首を横に振る。それよりも、何故あんな時刻に帰って来たか、何故倒れるまで睡眠を摂らなかったのか、その理由を知りたかった。
「あちらで何か問題があったのでござるか?」
そう尋ねた所。一瞬言葉を詰まらせた政宗は。
「……大した事じゃねえ」
と一言零しただけ、だった。
(本当に大した事ではないのなら、政宗殿は某に教えて下さる筈……)
誤魔化されている、と感じたが。未だ疲れが完全に癒えていない様子の政宗にあまり言葉を重ねるのも憚られ。
朝餉の準備が出来ました、との侍女の声も手伝って。
その話はそこで終わった。
朝より昼に近い時間だったが、おそらく小十郎が遅めに膳を出すようにと指示していたのだろう。
「すまぬが膳はこの部屋に運んでもらえぬか」
まだあまり動かぬ方が良かろうと、政宗の体調を気遣い、膳を部屋にと伝える。政宗も異論はないようだった。
「……はい、すぐに」
「?」
何故か、障子の向こうの侍女の気配が僅かに動揺したように揺れたのを感じて、幸村は首を傾げる。
(……あの噂が遠いものとなった今、俺を怖がるおなごなど居らぬと……)
以前、政宗の近くに居るおなごに、冷たく振る舞っていた事はあるが。それがわざとだったというのは周知されていて。その頃に流れた自分に対する悪い噂も、今ほとんど聞こえなくなっていた。また先程の侍女も昨日まで幸村に対して普通に接触していた筈で。
(気のせい、かもしれぬな)
動揺の理由が分からず、結局それは自身の考え過ぎかもしれない。しかし。
「朝餉をお持ちいたしました」
程なくして部屋へ膳と共に姿を現した彼女は。やはりわずかに怯えている様子で。しかもその怯えは幸村に対してではなく。
(政宗殿に……怯えている?何故?)
確証はないがそのように感じた。
政宗と出来るだけ目を合わさないようにして早々に去って行く侍女の背中と、隣で膳に手を付ける政宗を交互に見遣るが。政宗の態度は全く普段通りで。そんな彼にあの者が政宗殿に対して怯えているように見えるとなど失礼な事を伝え、それがもし自分の思い違いだったら、と考えると結局口を開く事は出来ず。
幸村の中に浮かんだ疑問。それに答えが出る事は無かった。
「湯浴みの用意を頼めるか?」
「はい、ただちに」
膳を下げに来た侍女に、幸村が告げる。
自分の為ではない。昨夜遅くに帰って来て、そのまま寝入ってしまった政宗の為だ。
「政宗殿、湯を浴びられませぬか?」
「ああ、アンタも一緒にな」
「……分かり申した」
自分は昨日寝る前に入浴しているが。
(お疲れの様子の政宗殿が、お一人で湯に浸かって万が一湯船で眠りでもしたら大事にござるな)
それに二人で入るのが初めてなわけでもないしと。政宗の言葉に素直に頷いた。
侍女が用意してくれた着替えを手に、二人で湯殿へ向かう。
(やはり、何かおかしい)
擦れ違う者達が、政宗から視線を逸らしている気がするのだ。まるで何かを恐れている様に。
(政宗殿は、この城で敬愛される城主だった筈……)
輿入れして以来、彼が城の者や民に慕われているのだと、幸村は自身の肌で感じて来ていた。それなのに。
「髪、まとめてやる」
「かたじけのうござる」
一人で湯に入る時は髪も、まあ濡れないなら良いだろうとばかりに適当に括り上げるのだが。政宗と共に入る時、彼はいつも幸村の長い後ろ髪を綺麗に纏め上げてくれる。
政宗の手が幸村の髪を結いあげた後。仕上げだ、という声と共に、何かが髪に差し込まれる感触。
「政宗殿?」
「土産だ」
頭を触った感じから、簪だろうと知れる。今自分でそれを見る事は叶わないが、政宗の選んだものならばきっと趣味の良いものなのだろう。
「舞の時の、あの銀細工みたいに。これも、もしまたああいう機会があれば使ってくれたら、それで良い」
「……滅多に身に付ける事が出来ぬのに、このようなものを……」
「嫌か?別に女扱いしてるわけじゃねえぜ、ただアンタの髪に映えそうだと思ってな」
「政宗殿から土産をいただくのは嫌ではございませぬ。ただ勿体のうござるな、と……」
「オレがアンタに似合うと思ったらつい、買っちまってるんだ。だから受け取ってくれ。アンタ以外に渡す気はねえ。アンタがいらなかったら捨てる」
「そのような……!大切に致しまする」
「ああ、良く似合ってる。やっぱりその簪、アンタの少し赤みがかった髪に良く映える」
政宗の「妻」としてこの城に来たとはいえ、女物の簪を似合う、と言われるのは少しだけ複雑だったが。こちらを見つめながら呟く政宗は、昨晩戻って来た憔悴しきった様子とは全く違う、穏やかな笑みを浮かべていて。そんな彼の機嫌を損ねたくはなく。また、自分に似合うと思うとつい、という言葉は純粋に嬉しかったから。幸村も笑んで政宗に再び礼を告げると。彼が浮かべている笑みを更に深めた。
その様子を見て。
(……俺に対する政宗殿の態度は普段と変わらぬのに、なぜ他の者達は?あらぬ誤解を受けておらねば良いが……)
幸村の抱えている疑問は、心配へと変わっていく。
「ほんとはアンタを今すぐ抱きてえ……だが体がその気持ちについていけそうになくてな。途中で眠っちまいそうだ。この前のアンタみたいに」
政宗から、彼の背を流している幸村へ掛けられた言葉。それを受けて、この前の失態を思い出し頬を染めながらも。
「上がったらまたゆっくりお眠り下され。幸村は傍に居りまする故。この身を求めて下さるのは夜でも遅くなかろうと。……某は途中で放り出されてしまうなど耐えられそうにありませぬので」
と幸村は返す。
「ああ、SEXの途中で放置されたアンタなんて他の連中が見たら、惑わされて手出しかねねえからな。それは御免だ」
「だからそのような事起こるはずが…あっ」
SEXというのが、体を繋ぐあの行為をさすというのは、幸村にももう分かっている。しかしその時の自分に、政宗以外が興味を持つなどと、彼が旅立つ前には口に出来なかった反論は。今度も。
突如振り向いた政宗に、足の付け根、その間に触れられた事で止まる。
「アンタの褥での色気は相当なもんだぜ?男色の気が少しでもある奴が、あの姿を見たら興味を持たねえ筈がねえ」
「あ、ぁあ」
政宗の手は幸村の中心を容赦なく扱き上げ、与えられる快感にただ喘ぎが零れる。
「今のその声だけでも、相当クる、ぜ。オレがこんなになっちまう位にはな」
「!」
硬く勃ち上がった政宗自身を、太股に擦り付けられ、幸村の体がぴくりと跳ねる。
「っ!あ、抱かぬと」
「最後まではしねえ、一回抜くだけだ。アンタの声聞いてたらどうにも我慢出来なくなっちまった。……それにアンタも溜まってるみてえじゃねえか」
「ひぁっ」
ピン、と指で弾かれた幸村の中心は、既に先走りを零しながら解放を待ち詫びている。
「オレのと自分のを、一緒に手で扱きな」
政宗の手が幸村の手首を掴み。二つの熱い塊を纏めて包ませる。最初は羞恥上にゆるゆるとしか手を動かせなかった幸村だが。政宗の留守中、一人で自分を慰めるなどしていなかった体は。彼の言葉通り確かに内に熱を溜めていて。
いつしか政宗と自分の中心に。幸村は夢中で指を絡めていた。
湯浴みを終えた後、政宗は寝所で再び眠りに就いている。幸村はそんな彼の傍で書物を読みながら過ごしていた。そこに。
「真田の兄さん」
「ばっか、今は御前様、だろ」
などと言う声が障子の向こうから聞こえて来て。
彼らの声には覚えがあり、警戒すべき相手ではないだろうと。幸村は政宗を起こさぬようそっと立ち上がり。部屋の障子を開けた。
「あ、御前様、筆頭は」
部屋の前に居たのは戦場で政宗の近くで良く戦っていた兵二人で。幸村がこの城に来てから、彼らと鍛錬場で共に汗を流した事もあった。
政宗の容体を心配して、様子を見に来たのだろう。
「政宗殿なら、良く眠っておられる」
そう告げると、彼らは大きく安堵の息を吐いた。
「御前様、筆頭を宜しくお願いします」
頭を下げる彼らに頷き、その背を少しだけ見送り障子を閉めて。政宗の傍に戻ろうとした幸村の耳に。
「あんな荒れた筆頭久しぶりに見たよな」
「いやでもあれは筆頭のせいじゃないだろ」
「それにしてもいきなり斬り捨てようとするってのは……」
「何とかお止め出来たんだから」
などと言う彼らの会話が聞こえてくる。その気になる内容に彼らを追うべきか、と考えたが。
「幸村?どこだ?」
寝床の政宗が自分を呼ぶ声が聞こえ。
一瞬悩んだ後、幸村は政宗の傍に戻る事を選んだ。
(俺の元には何も聞こえて来ぬ、な)
城の者達が政宗への態度を変えてしまった理由、それは噂として自身の元にいずれ届くのではと思っていた幸村だが。
あれから幾日か経っても、自分の耳には何も入って来ていない。
「!」
(あの者達は)
政宗の寝所のほど近く。一人で鍛錬したい時はここを使えばいい、と言ってくれた余り大きくない造りの庭で槍を揮っていた幸村は。通りかかった人々の中に以前政宗の様子を伺いに来た二人が居るのを見て、思わず声を掛けていた。
「御前様、如何されました?」
「その、この前政宗殿の寝所を訪れた後、話していた内容を、この幸村にも聞かせて貰えぬか」
「!」
幸村の言葉に相手は蒼白になり。
「それは出来かねます。すみません!御前様の耳には入れるな、と。話したら片倉様から罰を受けてしまいます」
申し訳ない、と何度も頭を下げる彼らから、強引に聞き出すような真似は出来ず。幸村は分かった、ともう行って良い、すまなかったなと告げ彼らを解放した。
「佐助」
「はいよ」
「……ここ最近城で、何か噂が流れておらぬか調べてくれぬか?俺の耳には入って来ないそれを、知りたい」
「何の為か知らないけど、まあ旦那の命なら従いますよ。何日か使用人に混ざって来ますかね」
「頼む」
この前の兵の態度から。もしかしたら、政宗や小十郎が大した事では無い、と告げたのは。
自分の為なのでは、と。
幸村は考え始めていた。
「大体掴めたけど……旦那、ほんとに知りたい?」
数日後、戻って来た佐助の言葉に。
やはり、と思う。
「俺が、傷付く様な事、なのだな」
「旦那自身の悪口とかじゃないけどね。ただ……独眼竜の奥方としての旦那には、少し辛い事かも」
「構わぬ。聞かせてくれ」
静かにそう返し。
佐助が話し出すのを、幸村は目を閉じて待った。
(ああ、やはり)
噂と、佐助が独自に確かめたというその内容を聞きながら。
幸村は、政宗と小十郎の二人が、自分を傷付けない為に知らせなかったのだ、と確信する。
(……家臣の方のうち、何方の指示かは分からぬが。……俺が、あの申し出を拒否したのが、大きな原因。であろうな。草のものを使えば、一日か二日で知らせる事は出来る筈……)
政宗が治水工事を任せていた相手は、彼の信頼を大きく得ている人物だったらしい。それ故に、政宗は到着して数日後に行われた歓待の宴にも、何の疑いも無く出席したらしいのだが。
その席で受けた盃に。
薬を盛られたのだ、と。
無味無臭のそれに政宗は気付く事が出来ず。盃を重ねたらしい。体に害はないが、色欲を誘発するそれに彼が気付いたのは。用意された寝床に就いた後だったらしく。
そんな中で。深夜、政宗の床に女が忍び込んだ。彼女が誰にも見咎められなかった所を見ると、予めそういう手筈になっている、と周囲は考えていたのだろう。政宗の指示であろうと。幸村が輿入れする前は、彼が寝所に女を呼ぶのは珍しくなかったようだから。
しかし今回は彼の意思ではなく。故に政宗は彼女を拒否し、無礼者、オレは誰も床に呼んでねえ、と。斬り捨てようとした。
声を聞き付けた者達が、数人がかりで政宗を抑え、何とかその場は治めたらしいが。
その日以来。
政宗は夜眠る事を止めてしまい。主の体調の限界を感じた部下の兵が。小十郎に助けを求めたらしい。
主が女を斬り捨てようとする姿は兵達に強烈に印象に残ったらしく。夜中に政宗と共に帰城した数人の小さな囁きは噂となり。そこから城内の者たちにも伝わり。侍女たちは、自分達も政宗の機嫌を損ねれば、斬り捨てられるかもしれないと怯えだしたのだ。今まで城内でそんな風に荒れた政宗を見た事が無かった彼女達に、主の行動は大きな衝撃を与えたらしい。
噂の広まりにいち早く気付いた小十郎が、どうやら、御前様の耳に入れた者には厳重な罰を課すと触れ回った為に。幸村の耳には入って来なかったようだ。
「忍び込んだ女は、名家の姫だったらしいよ。奥州筆頭が自分を求めていると聞かされて、喜んで床に向かったって聞いてる。騙されてたみたいだね。……もし独眼竜が薬に敗けて姫を抱いて、ややを授かってたりしたら……」
「……側室として迎える事になっていたであろうな」
身分のある姫との間に子が出来たとなると、やはりそうするのが妥当だろう。佐助の言葉を受け発した自分のそれに。分かっていた事なのに、やはり家臣たちの申し入れを聞いた時と同じように。
心が痛んだ。
(……俺をこのような気持ちにさせない為に、黙っていて下さったのだな……あのお二人は)
「治水工事の責任者の方は、協力したってより『伊達家の為になる事なのだから』って言葉と共に脅されて仕方なくって感じだったらしい。切腹して責任取ろうとして、許されたと聞いてるけど」
計画したのは、政宗の血を引いた跡取りを求めている家臣達、なのだろう。幸村へ、側室を取るように政宗に勧めるように言った者達と、志を同じくする。
「知っちまったんだな」
「政宗殿……」
報告終わり、と告げて消えた佐助と入れ替わるようにして。今日の政務を終えたらしい政宗が寝所に戻って来た。
「ここ最近、下男の中に見慣れない奴が混じってた。ありゃ猿、だろ」
「……勝手に調べまわって申し訳ござらぬ……某の為に黙っていて下さったのであろうに。けれど政宗殿に有らぬ誤解が掛かっていては、と思うと我慢できず……」
「斬り捨てようとしたってのは誤解じゃねえ。……猿から聞いたんなら詳細も知ってんだろ……盛られた薬、かなり強力でな。ああでもして女を遠ざけなきゃ……」
アンタを、裏切っちまいそうだった。
その時の事を思い出しているのか、政宗はぎり、と唇を噛み締めていた。
「あの後、また同じような状況に陥っちまうのは。……アンタを傷付けちまうような状況になんてなるのはごめんで。床に就かなくなった」
「!」
(斬り捨てようとしたのも、眠らなかったのも……俺への気持ち、故だと……)
政宗の言葉、その意味を悟り。自分が大事にされているのだ、と改めて知る。けれど。次に落ちた言葉が、幸村の心に陰りを落とす。
「……部下の心は、掴んでるつもりだったんだがな。オレの気持ちを無視してあんな策を立てる奴が居るなんて、オレもまだまだって事か……」
(それは違う!)
苦渋に満ちた政宗の声。その内容を、幸村は心の中で違う、そうではないと叫ぶ。
(政宗殿の家臣たちは、政宗殿のその才を知っているからこそ、貴殿の力を知っているからこそ。それを受け継ぐ御子を望んでいる。それは部下として、伊達家の先を思う者として当たり前の事で……。今回のやり方は確かに乱暴だったが……貴殿への忠誠は何ら変わっておらぬはず……)
けれど、音にして伝える事は出来なかった。
他の誰でもない、自分がそれを口にしては。彼の正室である自分が、家臣達の考えを肯定しては。
側室などいらぬと言ってくれた彼の気持ちを。
踏みにじるのも同等、だと。
今日の政宗の言葉を受け、改めて強く思ったから。
だが同時に、こんな存在が、彼を思う家臣たちに疎まれる自分が。政宗の傍に居て良いのかという気持ちも湧き上がる。幸村自身としては、勿論彼の傍でこれからも過ごしたいのだけれど。そんな揺れる心を知ってか知らずか。
「今回の事を企んだ奴等は罰したが……こんなんじゃ、これからもアンタを辛い立場に立たせちまうかもしれねえ。それでもアンタはオレの側に居てくれる、か?」
政宗の唇から、幸村を求める声が零れる。
「……某は政宗殿が、某を愛して下さるなら、どんな状況に立たされようと平気でござる」
「それ聞いて安心したぜ」
政宗の胸の中に抱き寄せられ、彼が自分を求めてくれる気持ちに安堵して。その、自分より低い体温を愛おしい、この温度にずっと寄り添っていたいと感じながらも。
幸村の心に落ちた陰が。
消える事は無かった。
「謀反?」
「まだ決まった訳じゃねえが、どうも怪しい動きしてる連中が居てな」
「それは早めに対策なされた方が」
謀反という物騒な案件にも、政宗に焦りは見えず。彼には解決までの見通しは立っているのかも知れないが。やはり心配で意見を告げる。
「ああ、そのつもりだ。……アンタも、力貸してくれるか?」
「!勿論にござるっ」
輿入れから今まで、特に何の働きをするでもなく城で暮らしていた為。何か政宗の為に、伊達家の為に役立てる事は無いかとずっと考えていた。謀反の制圧となれば、自身の槍も役に立つだろうと。幸村は力強く頷く。
「まあまずは視察からってとこだから、今からそんなに気負う必要はねえ」
「政宗殿ご自身がご視察を?」
「ああ、自分の目が一番信用できる。明日視察に立つ、アンタも一緒に、だ」
「分かり申した」
そんな会話を交わし。
翌日、二人は城を発った。
「活気のある町でござるな」
滅多に城から出る事のない幸村は、城下のその賑やかな町並みに視線を奪われた直後。
(遊びにではなく、視察に行くのだっ気を引き締めねば)
と慌てて表情を変える。
「視察っても途中までは物見遊山だと思ってくれていい。……最近アンタまた沈んでるように感じたから、気晴らしになればと思って連れて来た。中々アンタを外に連れ出す機会も無かったしな」
「お、お気遣い申し訳なく」
「謝るより楽しんでくれた方が良い。アンタ、甘味好きだったよな。ならあの店に寄ろうぜ」
政宗が示したのは甘味茶屋で。団子が好物の幸村は、茶屋へ向かう政宗の後を追った。
折角の政宗の心遣いなのだ。楽しまねば失礼だと、言い聞かせて。
店主はどうやら政宗の事を知っているらしい。普段の眼帯は目立つからという理由で外し、代わりに包帯で右目を隠している彼に向かい、名前は出さず「今日はお忍びですか?」と聞いている。政宗と店主の会話の横で、幸村は店の者が手際良く焼いている団子に見入っていた。
「そちらの方は?」
政宗と一通りの会話を終えたのか。店主の視線が、幸村の方に向く。
(何と答えれば……)
政宗の正室が男であることは、既に奥州中に知られているであろうが。自らその立場を名乗るのは気が引け。幸村が悩んでいる所に。
「オレの妻だ」
と。
何ともあっさりした政宗の声が落ちた。
幸村の体が緊張に強張る。
どうやら政宗と親しげなこの店の主から。男の正室と言うのはどのように見えるのだろう。
伊達家の家臣の一部が、自分を疎んじているように。この一見優しそうに見える初老の男も。顔を顰めるのだろうか。
そんな不安が過るが。
「貴方様が、梵様が選んだお方……この身はしがない商人故、貴方様の出自は詳しく存じませぬが……。梵様が貴方様を強く求められた事は良く知っております。……お城の中は貴方様にとって過ごしやすいものではないかもしれませぬが……梵様の御心の為にも、どうぞこれからも梵様の御側に……」
聞き慣れない名前に、最初、内心首を傾げていた幸村だが。以前城の者から聞いた政宗の幼名が、確か梵天丸だったとすぐに思い出す。
(政宗殿の幼名を口にするという事は、かなり昔からの馴染みなのであろう)
そのような人物が。
自分の手を取り、これからも政宗の傍に、と頭を下げている。
主人の言葉は。ここ最近の出来事で疲れ傷付いていた幸村の心を。じんわりと癒した。
「爺、余計な事言わなくて良い。それよりまだ出来ねえのか」
そういう政宗の声には、内容に反して棘は無く。主人の方も。
「これは失礼しました。すぐに用意を。この店先ではゆっくりできませんでしょう。奥の座敷へ」
と笑みながら返していた。
「美味しゅうござる!」
団子の他に、政宗が考案したのだと言う糂汰餅なるものを初めて口にして。その珍しさと美味しさからお代わりを頼んでしまい。食べ過ぎだと呆れられているかもしれぬと、幸村が政宗の方を窺うと。
彼は何処か安心したような笑みを浮かべていた。
「アンタのそういう顔、久々に見たな」
言われて、自分が食事を楽しんだのが久し振りなのだと気付く。あの、政宗が夜中に戻って来た日以来。その事情を聞いて以来。胸に落ちた陰が、食事を楽しむ余裕など持たせなかったのだ。
今日、この店の主人に、政宗を幼い頃から知っていると思われる者から。政宗の傍に、という言葉を貰って。その陰が少しだけ晴れた気がして。食べる事を楽しむ余裕も生まれたようだ。
「やっぱり、連れ出して良かったぜ」
言葉と共に、隣に座っていた政宗の手に、腰を抱き寄せられる。
先程まで居た店先なら、抵抗を見せた所だが。今は奥の座敷で。店の者の気配も無く。
誰にも見られる心配は無かったから。
幸村も素直に政宗の胸に頭を預けた。
「お気を付けて行ってらっしゃいませ。こちらは道中小腹が空いた時にでも」
店の主人が包んでくれた小振りの饅頭を受け取り、礼を告げて。一足先に歩き出している政宗を追おうとした幸村だが。
(?)
ふと、背中に視線を感じて足を止めた。
向けられる視線は、危険なものではなさそうだが、気になり振り返ると。
店の前で自分達を見送ってくれている主人は、まだこちらに向かって頭を深く下げていて。視線の主が彼ではないのは一目瞭然だった。
(主人ではない……店の方から?)
代わりに、店の玄関ではなく勝手口と思わしき扉が僅かに開いていて。そこから、誰かに見つめられている。
そう、感じた。
「どうした?行くぞ」
「あ、はい」
中々追い付いてこないのを怪訝に思ったらしい政宗が、立ち止まって幸村を待っている。
視線の持ち主が気になりはしたが。
悪意も敵意もないそれは、放っておいても何も問題は無かろう。それよりもこれ以上待たせると政宗の機嫌を損ねてしまうかもしれぬと。
幸村は彼に追い付くべく、駆け出した。
「このようなのんびりとした日程で、片倉殿に怒られませぬか?」
今夜は温泉場近くの宿へ泊まるらしい。その行動に、本当に途中までは物見遊山なのだなあと実感した幸村だが。
謀反の情報収集の為に出て来たというのに、こんな風で彼の右目の雷が落ちないかと気になってしまい尋ねると。
「政務は前倒しで済ませて来てる。だからアンタが心配するような事はねえ」
そう答えが返って来た。
(確かにここ最近、寝所にお戻りになるのが遅かった)
それは今日からの外出を咎められない為に、政務に励んでいたからなのだろう。
「万が一オレの不在に何かあっても小十郎が対応する上に草の者もすぐ知らせに来る……アンタはオレと城以外でゆっくり過ごすのは嫌か?」
「っそのような事あるはずが!」
家臣の者の目を気にせず、政宗と共に過ごせる時間が嫌なはずがなく。
そんな風に言われてしまえば、幸村にもう返す言葉は無かった。
夜、「人が多いのは好きじゃねえ、少しの時間温泉の方に誰にも近づけないよう宿の主人に頼んだ」という政宗に驚くが。
人払いをしましたので今からどうぞ、とどうやら依頼を快諾したらしい主人が呼びに来た所を見ると。この宿の主人もあの甘味茶屋の主人のように、政宗の正体を知っているのだろう。また部屋の二つの寝床が、ぴったり隙間なく敷かれている事から。幸村と政宗の関係も理解しているようだ。
「ごゆるりとお過ごし下さい。誰にもお二人の邪魔はさせませぬので」
と少し含みのある笑顔と共に告げられ。
思わず顔を紅くして、俯いてしまった幸村だった。
「ん?アンタこれ持って来てたのか」
外の温泉場近くに設けられた、脱衣所代わりの簡素な小屋の中。政宗が幸村の脱いだ着物の間から覗いていたものを手に取る。
それは以前幸村へ政宗から贈られた、銀細工の飾りと、簪だった。
「そ、その、政宗殿から贈られたものは常に傍に置いておきたかったもので……」
言い訳をする気は無く。持って来てしまった理由を正直に伝える。
政宗が自分の為にと購入してくれたそれらは。いつしか幸村の心の支えになっていて。
片時も傍から離したくなく。簪はともかく、銀細工の方は使う機会などないであろうなと思いつつも、持って来てしまったのだ。
それに、城に置いておいては。もし無くなってしまったら、という心配もあった。
この二つを、幸村が政宗から贈られたものだと知らない者は多い。少し前、これらを眺めていた際に。正室としての幸村を余り良く思っていないらしい伊達の家臣から、その様なものを手にするとは、想うおなごでも出来ましたか、等と言われ。これは政宗から賜ったものだ、と伝えた時の相手の顔を思い出す。彼は明らかな不快感を滲ませていた。その話を佐助にした際、持って行く事を強く勧められたのだ。
『独眼竜に対してさえあんな強引な手段とった奴も居るんだ。旦那が居ない内にそれを盗む奴が出ないとも限らない。独眼竜からの賜りものを旦那が失くしたって状況になんてなったら、きっとあいつらは鬼の首を取ったかのごとく、旦那を責めるだろうからね。ご正室としてのお立場が分かっていないとか理屈を付けてさ。隙を作らない為にも、城の外に出るなら、旦那が肌身離さず持ってた方が良い』
と。
従者から言われずとも、離したくないとの気持ちから、元よりそのつもりだったが。
「可愛い事言ってくれやがる」
「っ」
与えられたおもちゃを手から離せぬ子供のようだ、と呆れられるかと思ったが。それはなく。
代わりに。
額や頬に、口付けられた。
「流石にここで抱くのは拙えからな。アンタを堪能するのは宿に戻ってから、だ」
「っ」
政宗の言いように、幸村の頬がボッと紅く染まる。俯きながら、それを隠すようして。
「先に行っておりますぞ!」
風呂へと駆けた。
「?如何された?」
湯に体を浸け、上質な温泉を堪能していると。隣の政宗が自分の体にじっと視線を向けているのに気付き尋ねると。
「アンタ痩せたなと思ってな」
「そうでござるか?ひゃっ」
色々と城内での心労は多かったが、目に見える程痩せただろうかと幸村が首を傾げると。
腰を掴まれ、隣の政宗の膝の上に座らされてしまった。
「やっぱり前より軽い……これ以上は痩せんなよ?アンタがこっちに来てこんな状態になってるってのを猿にでも気付かれたら、そっから虎のオッサンに伝わっちまう可能性がある。……オレとしてはアンタを離す気はねえが、オッサンに乗り込まれるのは面倒だ」
「そのような事は無いと思いまするが……某も政宗殿の心労を増やすのは本意ではござらん。気を付けまする。最も今日は沢山甘味を食した故、むしろ目方が増え過ぎぬかと心配でござる」
自身の体を見下ろし、小さく溜息を吐くと。空気が震えて、政宗が小さく噴き出したのが分かった。
そんな彼の様子に、重苦しい話に向かうのは避けられたようだと安堵する。勿論意識したのではなく、甘味の食べ過ぎで太るかもしれぬ、というのは本気で思った事なのだが。
「まあ太ったとしたら、痩せるよう事をすりゃいいだけだな」
「鍛錬とかでござるか?あ、そういえばあの道場はいつごろ完成するので?」
痩せるような事、で幸村が考え付いたのは鍛錬で。更に輿入れして以来、政宗と一度も手合せをしていない、その事実を思い出す。城では彼との手合せが叶わないと分かっているが、以前、城の外に道場を作る計画を立てていると、その場所に連れて行ってもらってもいる。土台から建てる、という計画のようだったから、さすがにまだ完成はしていないだろうが、進み具合はやはり気になった。
「ああ、完成まであとひと月弱、ってとこか」
「楽しみでござる!」
「視察の帰りにでも様子見に行ってみるか?」
「よろしいのであれば、是非に」
「OK。ま、手合せは完成までお預けだ。鍛錬も良いが、diet、痩せるのはオレとこっちの運動ってのはどうだ?」
「ひゃっ」
に、と笑みを浮かべた政宗の手が悪戯に幸村の尻に伸び、丸味のあるその場所を揉み上げる。手は直ぐに離れたが、政宗の言いたい事はいくら鈍い幸村にも充分に伝わって。
紅い顔で、政宗を睨み上げた。
「んっ」
宿に戻り、部屋に敷かれた寝床に押し倒され、口付けられる。入浴前の宣言通り、政宗は幸村をすぐ抱くつもりのようだ。幸村の一筋だけ長い後ろ髪は入浴時は簪で纏められていたが、今は解かれ、背中に流れている。
「ふ」
いつも思うが、政宗は接吻が巧い。それだけで充分に興奮を煽るほどに。それは、彼が幾人とも情を交わしていた事を示している気がして、少し切ない。
しかしそんな思考は。
「ぅんん」
触れ合った唇から与えられる快感に、いつしか溶けて行った。
「……まさむねどの?」
風呂上りで単衣一枚しか身に付けていなかった体は、簡単に裸に剥かれる。普段ならすぐその裸の体の上に政宗の唇や手が降って来るのに、それが無く。
不思議に思って閉じていた瞼を開けると。彼はあの銀細工を手にしていた。
「折角持って来てくれてんだから、付けてもらうのも良いと思ってな」
政宗の手が、幸村の手首、続いて足首に、銀細工を通す。
「中々Erotic、じゃねえか」
政宗の呟く南蛮の言葉の意味は分からなかったが、言い方から破廉恥な物を感じて。幸村は体を彼の視線から逃れるように丸くしようとしたが。
「あっ」
腰をしっかりと掴まれ、ぐる、と彼の方に尻を突き出す体勢を取らさせてしまい。それは叶わなかった。
「っ」
尻肉を左右に割り開かれる感触に、足を震わせると、それに合わせて銀細工が小さくしゃらしゃらと音を立てる。そんな中。
(!人が?!)
部屋の向こうに、誰かがやってくる気配を感じ、体を固くする。
このような状態を見られたら、と隠れようとしたが、尻肉を掴んだままの政宗の手がそれを許さなかった。
「頼まれ物をお持ちいたしました」
「ああ、中には入るな。障子を少しだけ開けてそこに置いとけ」
この宿に勤めるおなごらしき声がして、政宗の指示に従い手だけで何かを置いていき去って行ったようだ。その間も政宗の手は幸村の尻を撫でたり、摘んだりしていて、幸村は声を出さないようにするのに必死だった。
「これはやっぱ、あった方が良いだろ」
足でその何か、を引き寄せ手にしたらしい政宗の呟きと共に。
「あ、ぁ」
手で広げられた尻の中心にとろとろと液体が伝う感触に。
政宗が頼んだのは香油だったのか、と理解した。同時に、これを持って来たあのおなごは、自分達が何をしているのか分かっていたのだろうとも気付き。羞恥を感じるが。
「ぁひ、ん!」
香油で濡れた尻の狭間に侵入してきた政宗の指が。的確に幸村の感じる場所を刺激して。ただ声を上げる事しか出来なくなる。
「ああ、ふぁ!」
くちゅ、ぐちゅ、と濡れた音を立て、政宗の指を飲み込む幸村の淡い色だったその場所は。いつしか赤く熟れ。まだ幼さの残る、大人になり切っていない中心は勃ち上がり、直接触れられていないというのに先端からぽたぽたと滴を零し、寝床に染みを作っていた。
「あ、もっ…ぁああ!」
慣らすのは充分、と伝えたかったが、政宗の指が一度抜かれた後。ずぷり、とまるで彼のものを挿入する様な動きで再び中を犯して。余りの刺激に、幸村の足の間、色付いた中心がどくり、と弾けた。
「何も知らなかったアンタが、すっかりいやらしくなっちまって」
「ひゃん!」
ぱちん、と少し強めに右の尻の丸味を叩かれて、腰が跳ね、しゃらん、と一際高く足の銀細工が鳴る。
「……オレ以外にこんな痴態見せたら許さねえからな」
「ぁうっ」
今度は左の尻を叩かれ、また体が揺れた。
「……某が、この様な事を受け入れるのは政宗殿だから、で」
政宗を振り返り、伝える。
万が一もし誰かに、彼以外にこのように辱められそうな自体があったとしたら。
武士としての誇りがあるから舌を噛んで逃げるという行動は出来ないけれど。
「もし貴殿以外にこのような目に遭わされそうになった時は……相手に怪我を負わせてでも抵抗しまする。某はきっと、貴殿以外にこの身を穢されては……」
狂って、しまう。
「良い答え、だ」
オレだけを求めてるアンタには、これをくれてやらなきゃな、と言葉と共に。
「ぁああ!!」
政宗自身が、柔らかく濡れひくついている奥に突き立てられる。
「あ、ぁあ…!」
ずぷずぷと音を立てながらのそれに耳まで犯され。幸村は挿入された瞬間いつもの幸福感の中で、再び精を放っていた。
「くう、んっ」
当然硬度を保ったままの政宗は、力なく崩れようとする幸村の腰を引き寄せ、強く突き上げる。
幸村自身も、中の敏感な部分を擦られて。
すぐに再び勃ち上がり。
「ああああ!!」
幸村の求める言葉に興奮したのか、政宗の普段より幾分激しく感じられる責めに、いつもより高い声を上げ尻を突き出しながら善がってしまっていた。
「あ、も、またっ」
3度目の限界が近づき、身を震わせる。
「ぁんああ!」
一度ぎりぎりまで抜かれ、再び最奥をずん、と突かれた瞬間。
幸村の足の間は白濁に濡れる。
そして。
「くっ」
幾分遅れて政宗の熱が、中に放たれ。
「ぁ、あ、あ」
腹の中に灼熱が大量に広がる感触に、幸村はびくびくと震えながら掠れた喘ぎを零した。
「ふ、」
ゆっくりと、引き抜かれた後。政宗の腕が腰を掴んでいるせいで、高く掲げられたままだった尻から、飲み込みきれなかった精がこぷ、と溢れ出る。
「や?!ぁ、んっ」
政宗の指が、そのすっかりとろとろに解けた蕾をぐちぐちと再び掻き回し。それに感じてしまった幸村は、寝床に顔を伏せながらも甘い声を漏らした。
「こっちはオレが教え込んだからすっかり男を覚え込んじまったが、アンタの前は殆ど使われてねえ上に女を知らねえから、綺麗な色、だな」
言葉と共に後ろをいじられているせいで再び緩やかに勃ち上がった中心をピン、と弾かれ、体が跳ねる。
「ま、アンタはもうオレの妻だから、いまさら女を知るなんて許さねえがな」
「……先程も申しましたが、某が求めるのは政宗殿のみ。おなごも知りたいなどとも思いませぬ」
「……アンタやっぱり最高だ。オレの選んだ相手だ。……今度はアンタがオレを求めるそのかわいい顔を見ながら抱きてえ」
「あっ」
体を反転させられ、政宗と向き合う形になる。すぐに足を抱えられ、いつの間にか再び硬く反り勃っていたらしい彼が、一気に侵入して来て。
指と彼自身で散々嬲られたその場所は、抵抗なく政宗自身を飲み込み、歓迎するかのように締め付ける。
「ん、んう」
口付けが降って来て、それを受け入れながら揺さぶられ。
今度は唇を重ねたまま、絶頂を迎えた。
「疲れ申した……」
「良い運動になっただろ?」
甘味食べたくらいは充分に消化しただろ、と笑う政宗を頬を膨らませて睨み付ける。
確かに良い運動ではあるだろうが、腰が痛む。鍛錬にはこのような痛みは付きまとわないから、やはり鍛錬のほうが運動としては良いな、などと考えた。もっとも政宗に求められたら、この身を差し出してしまうだろうけれど。睦み合いの中で言葉にした通り、幸村自身が政宗を常に求めているのだから。
あの後、宿屋の主人の好意で再び温泉場を貸切にしてもらい、体を清めてから部屋に戻り。
くたりと床に寝転んだ幸村は。政宗と軽い会話を交わしているうちに。
いつしか眠りについてしまっていた。
「う、この状態で行くのでござるか?」
「アンタ、馬乗れねえだろ今は」
翌朝、宿の主人が馬を連れてきて。どうやらここから馬で行動するようだったが。馬は1頭しか居らず。
政宗が上田から行き村を連れ出したときと同じように、馬に乗った彼の前に横抱きのような状態で座らされる。政宗の言うとおり、昨夜の行為で激しく痛む腰を抱えて馬を操るのは困難で。
幸村は仕方なく彼に従った。
「自分で操れるようになったら、途中で馬を借りてやる」
という彼の言葉にそれならば、と頷いて。
「噂は本当のようでござるな……」
「ああ。しかもかなり力のあるやつの後ろ盾を受けてる可能性がたけえ。オレを通さずにあれほどの武器を集めてるとなるとな」
視察の目的地にたどり着き、遠目からその屋敷を伺っていると。腕っ節に覚えがありそうな者たちと、彼らによって運ばれる多くの荷が見受けられた。
荷は、武器だろう。謀反に使うための。
「政宗殿、如何されますか?我ら二人だけでもこの程度の屋敷と者達を潰えさせるのは可能と存じますが」
「まあ待て、この様子だと今すぐ謀反を起こすって感じじゃねえ。まだ人集めや武器集めって感じの準備段階だ。オレとアンタが居れば、そうそうヤバイ事態にはならないだろうが、万が一って事もある。……小十郎にも釘刺されちまってるんだよ、様子見だけで先走らないように、潰すのは万全の準備をしてからだってな」
「承知いたしました」
「戻るぞ……この辺りに馬を借りれる当てはねえから、我慢しな」
「う、わかり申した」
結局、帰りも同じように政宗の操る馬に同乗する事になり。暫し不満げな顔を浮かべていた幸村だが。帰りの道すがら、建設途中の道場の傍を通り。そう遠くない完成を予感させるその姿に、政宗と存分に手合せが出来る日を想像して。笑顔が零れた。
「証拠が充分ならば、準備をした後、早めに潰してしまったほうが良いでしょうな」
「ああ。企んでるのは間違いねえ。あの屋敷は--の持ち物だったか……武器が運び込まれてるのも確かにこの眼で見たしな」
政宗と小十郎の会話。
行きは物見遊山を兼ね、途中までは歩いての道中だった為数日掛かったが、帰りは馬でその日の内に城に到着する。途中で寄り道をする事はなかったから。幸村は結局最後まで政宗の操る馬に同乗したままだった。
政宗は帰り着くなり、すぐに軍議を開き。
普段は伊達家の事情が絡む軍議に、幸村は参加していなかったが。今回は他ならぬ政宗から、その力を貸してほしいと言われていたから。
伊達家の者たちが策を話し合うこの場に同席している。
もっとも、幸村に不信感を持つものはやはりまだ居るようで。
幸村は彼らを刺激しないように、ただ政宗の傍で話を聞いているだけだった。
「拠点が二つ?」
「ああ、小十郎が独自に調べてたんだが、オレ達が確認した屋敷以外に、もうひとつ。似たような動きをしてるところがあるらしい。動き出した時期的に繋がってるのは間違いないだろう、ってな」
「では制圧のための軍も二つに分ける方向で?」
「ああ、そうなるな。でもアンタはオレと一緒の軍だ」
「……」
政宗が自分を傍に、と言ってくれるその気持ちは嬉しい。だが。自分には政宗と戦場で同等に渡り合える程度の力はある。それならば、自分と政宗は別れたほうが効率が良いのでは、との思いもあった。だが。
(今この身は政宗殿の妻なのだから)
他の方から反対がないのならば、彼の意見に従うべきだろう、と言い聞かせた。
「随分元気が良いですな、伊達の兵士たちは」
「荒くれものが多いからな、うちの連中は。ここの所大きな戦もなかったせいで鬱憤たまってたんだろ」
謀反を企んでいる連中を制圧するために集められた兵士たちの士気は高く。余り大きな隊では気づかれる可能性が高くなるから、と小隊だったが。これならば制圧もそう難しくなかろう、と幸村は内心安堵していた。
「所で政宗殿、この戦装束、いささか窮屈なのでござるが。いつものものと着替えては」
「NO、だめだ。アンタのあれは露出が高すぎる」
幸村が今身に着けているのは、政宗が用意した戦装束。形と色は普段着ているものとあまり変わらないが、普段露出している部分は、薄く編まれた鎖帷子に覆われてまったく肌が見えなくなっていた。
「動きにくくはねえだろが。慣れろ」
「むう」
「オレはアンタの肌を他のやつに見せたくねえ」
「っ」
このような場で、そんな独占よく丸出しな態度を見せられては。それ上何もいえなくなってしまう幸村だった。
「殿、今回の策について提案があるのですが」
「AH?」
庭に降り、装束と武器の具合を確かめていた二人の元に、家臣の一人が頭を下げながら近付いて来る。
「御前様をお傍に、という殿のお気持ちは充分にわかるのですが、今回の策、午前様のお力を貸していただけるならやはりお二人にはそれぞれ別の軍について頂くのが最高かと。それと片倉様には万が一のために城に残っていただいたほうが良いのでは、と思いまして。僭越ながらご意見した次第」
「!」
「片方の軍を殿に、もうひとつの軍を御前様に率いていただき。城を片倉様に守っていただければもし城で何かあった時にも対応できる、万全の体制になるかと」
「……」
家臣の意見に、政宗は言葉を返さない。だが、幸村はこの男の意見は正しいと思ったから。
「政宗殿、某もこの方のご意見に賛成でござる」
そう告げる。
「……分かった。構成を変える」
「承知!」
自分に、伊達の者が付いてきてくれるかという不安はあったが。それを払いのけるように。
勢いよく声を張り上げた。
(……政宗殿は俺の事を気遣ってくださったようだな……)
再構成され、新ためて二つに分かれた軍の中。自分の下につけられた伊達の兵、彼らの中に以前から自分を「真田の兄さん」と呼び、この城に来てからも鍛錬などを共にしたことがあるものたちを見つけ、小さく息を吐く。
彼らが自分と同じ軍に居るのならば、自分の心配も杞憂で終わりそうだ、と。
「幸村様、いや御前様……あの以前は失礼いたしました」
「?」
呼ばれて振り返ると、槍を持った若い少年。以前から幸村を慕ってくれていたあの彼が立っていた。
彼のいう失礼の意味が分からず、首を傾げていると。
「その以前、筆頭と御前様の関係を政略結婚などと無礼なことを言ってしまって……でもあの舞の時に分かりました。御前様は筆頭に愛されてるんだって」
「っ」
彼が言っているのは、舞が終わったあとの政宗の態度の事、だろうか。人から見て、あの時の彼ははっきりと独占欲を感じられるほどだったのかと。またあの時に政宗の言っていたとおり、自分は彼に愛されて変わってしまった体を晒していたのだろうか、と体がカッと熱くなる。
そう考えると、窮屈だと思っていたが、政宗の用意したこの肌を出さない装束は、自身の心の平安を保つためにも、正解かもしれない。
「あの御前様、俺なんかがこんなことを言うのもあれですが筆頭と」
「おい、真田の兄さん、いや御前様は色の話は苦手なんだよ、あんまり困らせるな」
話の途中に、助け舟とばかりに他の兵が入ってくる。
「は、申し訳ありません!準備の続きをやってまいります!」
言いかけた言葉を飲み込み掛けて行く彼の背を、幸村は呆然と見送る。
彼が言いかけた言葉が何なのか、気になったけれど。結局その後は彼と話す機会があっても、彼から言葉の続きが出ることはなかった。
戦ではなく謀反の制圧なのだから、逃げられては意味がない。夜の闇に紛れ、出来るだけ人目につかない道を通って軍を進める。
二つの軍は騎馬を中心に途中までは共に行動していたが。
やがて分かれる事になる。
「アンタの力は充分に知ってるし、信じてるが」
馬上の政宗からの、油断するなよ、との言葉に頷き。
「この幸村、政宗殿の国に仇をなそうとする者達を必ずや倒し、貴殿の憂いを減らしてみせまする」
同じく馬上からそう返し笑むと。
幸村の口上に、政宗も笑みを浮かべたようだった。
「また後でな」
「政宗殿もお気を付けて」
制圧後の再会を約束して、政宗と行き村はそれぞれの軍を率いて別の道を走り始めた。
幸村が向かったのは政宗と共に訪れたあの屋敷。
一気に制圧に向かうのではなく、一度近くの森に隠れ。様子見の兵を出す。
様子見の兵には例の年若い兵が立候補してきて、幸村は彼に任せる事にした。
「御前様、向こうはこちらには気付いてる様子はありません。あの」
「どうした?」
「他の方々には内緒で御前様に提案があるのですが」
ごく小声で言い渋っている様子の彼に、幸村は人払いをしてから先を促した。
「このような危険な真似、御前様に求めるなど、他の方も反対すると思うのですが。筆頭に渡り合うほどの御前様のお力を充分に発揮するには、この方法のほうが良いのでは、と」
兵の提案は、幸村が単体で先に飛び込み、油断させたところに他の兵を投入すると言うもの。それが一番効率が良いのではないか、と。
政宗が傍に居たら反対されそうな作戦だったが、今彼はこの場に居らず。一応この軍を仕切っているのは幸村で。
その幸村自身が、彼の作に一理ある、と考えてしまっていた。
「乗った。一足先に行く。他の者への伝令は頼めるな?」
「はい、お任せを」
制圧しか頭になく、後ろを振り返らなかった幸村には気付けなかった。
こちらに頭を下げる若い兵の。
地面についた手が震えている事に。
(気付いていないはずではなかったのか…!)
あの兵が知らせを持ってきてから、殆ど時間はたっておらず。その間にこちらの進軍に気付いたとは考えにくい。
それなのに。
幸村が屋敷に飛び込んだ時、中の者たちに油断は見えず。臨戦態勢に入っていた。さすがに銃を使う用意までは出来ていないようであったが。
いくら幸村と言えど、万全の準備をした大勢の荒くれ者達を倒すのは簡単とはいえない。
(暫くすれば、他のものたちが来る筈!)
そう思いながら、彼らも奥州の民なのだから、と殺してしまわないよう手加減して槍を振るっていたが。
なかなか援軍は現れない。
実力はこちらが上と言えど、大勢の相手に加減しながらの戦いに疲労は重なっていく。
槍が段々重く感じて来た頃ようやく。
幸村は自分が謀られたかもしれない、というのに気付いた。
(……オレが政宗殿の傍に居る事を不快に思っている方の企み、であろうな)
あの年若い兵が企みの主とは到底思えない。
では、と考えて思い当たる。
幸村を政宗と別の軍に、と告げてきた男は誰だったか。
彼は、幸村に『殿に側室を』と進言してきた家臣たちの中に居なかったか。
(あの時から計画されたことだったのかもしれぬ……)
政宗の部下、彼の民は自分の死すら望んでいるのか、と考えると。
(俺は何のために)
自分が何を求めて槍を振るっているかすら、分からなくなる。
隙が出来たその瞬間、幸村の右肩を相手の刀が抉った。
多勢に無勢で戦っていたのだ、一瞬の隙は命取りで。他の敵も好機とばかりにぐらついた幸村の体に武器を降らせてくる。
武器が体に触れる直前。
「幸村!!!」
ここに居るはずのない政宗の声が聞こえ。少し前に彼に告げた言葉が頭に浮かび。
(そうだ、俺は政宗殿の妻として、彼の憂いを払う為に戦っているのだ。他の者が俺をどう思っていようなど関係ない……!)
萎えていた心が再び力を取り戻すのを感じて。
幸村は槍に炎を纏わせ、襲い掛かってくる武器を一閃した。