隣で生きていく 1

「旦那、準備できた?」
「う、うむ」
「今日会っていきなり婚姻とかにはならないから、気楽に行きなって。合いそうになら断っても良いんだし。まあお館様の話聞く限りは優しい姫さんらしいから、旦那にはお似合いだと思うけどね。その今身に着けてる着物も向こうの姫さんからなんでしょ」
「ああ、お館様を通して頂いた。まだ縁を結ぶと決まった訳ではないからと遠慮したのだが、婚姻云々は関係ない、俺の為に作ったのだからただ受け取ってくれれば良いと言われていると……」
「良い姫さんじゃない……でも旦那、浮かない顔だね。……誰か想う人でも居る訳?って旦那に限ってそれはないか」
 俺様、馬の準備してくるから、と去っていく佐助の背中を見つめ。幸村はごく小さな溜息を零した。

 信玄から、彼の遠縁の娘が自分との縁談を望んでいると聞き。幸村は信玄の勧めもあり、今日その姫君と彼女の住む城で会う事になっている。最初、自分にはまだ所帯を持つ覚悟は、と伝えたのだが、敬愛する信玄に『まあ一度会う位はしてみてくれんかのう』と言われてしまえばそれ以上強固な拒否は出来なかった。

(……想う人、か)
 佐助の問いに、頭をよぎった人物がいる。だが。
(結ばれる事が許される相手ではござらぬな)
 浮かうんだ想い人の姿を振り切るように首を振り、幸村は支度の続きを始めた。
「?」
(何やら騒がしいような)
 程なくして、城門側から喧騒が聞こえ。
「幸村様!」
「どうしたのだ、そんなに慌てて」
「それがっ」
 障子を開けて飛び込んで来た下男がすべてを言い終わる前に、幸村は庭を見渡し、眼を見開いた。
(何故ここに!?)
 戦を仕掛けて来たのかとも思ったが、幸村配下の優秀な忍び達からはそのような情報は齎されていない筈。それにどうやら単騎の様で。しかもいつも戦場で身に着けている鎧とは違う、兜は無しの軽い武装しかしておらず、それはないと判断する。
 彼がそこに存在するのが信じられず。
「まさむねどの」
 思わず裸足のまま庭に降りた幸村は、これは幻かと、馬上の彼の存在を確かめるように手を伸ばした。
「!」
 政宗がその腕を掴み、驚くべき力で幸村の体を馬の上に引き上げ。その衝撃に、幸村は彼が確かにこの場に居るのだと悟った。
 政宗の操る馬に、女子の様に横抱きにされて乗せられている。それを恥ずかしいとは思ったが今はそれよりも。
「政宗殿、何故こちらへ」
「……アンタの縁談の噂を聞いた。……本当か?」
 政宗の声は元から低音だが、いつもの心地良い低音ではなく、怒っているような声だった。
 その理由が幸村には分からなかったが。
「まだ縁を結ぶと決まった訳ではありませぬが、お館様の勧めもあり今日あちらの城へ伺う予定でござる」
 正直に答えると、政宗から明らかに怒りの気配を感じ困惑する。
「まさむねどの?」
 戸惑いを滲ませた声で尋ねかけると。独り言のような声が返って来て。
「……アンタはオレの半身だ。他の奴のものになるのは許さねえ」
 その政宗の言葉は、幸村の心を大きく跳ねさせた。
「何か騒がしかったけど何かあった旦那……!?ちょっと何でアンタがここに居る訳。旦那も何大人しく抱かれてんの!今から出掛けるとこだったでしょーがっ」
 馬の用意を終えたらしい佐助が、戻って来るなり政宗と幸村の姿を見て、慌てた声を掛ける。
「猿!虎のオッサンには後から書状出すと伝えとけ!取り敢えずコイツはいったん奥州で預かる」
「なっ、そんな事許されるはずないでしょうがっ旦那、何ぽやっとしてんの!旦那は武田の武将だろうがっ」
 佐助の言葉に、政宗の腕に腰を抱かれたまま呆としていた幸村がハッとする。だが幸村が馬から降りようとするのを腰に回した腕の力を強める事で阻止した政宗が耳元で小さく囁き。
 その内容に、幸村はまた彼の腕の中で大人しくなってしまった。
 そして。
 二人を乗せた馬は、走り出したのだった。

「虎のオッサンがアンタの力を必要とした時にはちゃんと甲斐に返してやる。だから今はオレと共に奥州に来い」

 馬に揺られながら政宗の「アンタはオレの半身だ」という言葉を反芻し、幸村は僅かに瞳を潤ませた。
(……俺だけの想いではなかったのだな……)
 政宗と幸村の間に、今まで色恋沙汰が絡んだ付き合いなどなかった。ただ一度、戦場で引き分けた後、収まりきらない熱を発散するために体を繋いだ事があるだけで。
 その時の事を、幸村はよく覚えている。房事に縁が無かった幸村は、政宗にただ、されるがままだった。慣れない体は、政宗の熱を受け入れる時に酷く痛みを訴えたけれど。それ以上に。政宗と繋がった瞬間、幸村を最も強く襲ったのは、驚くほど満ち足りた感覚だった。まるで元は一つだったのだと、失くした半身を取り戻したのだと言わんばかりのその感覚に、困惑しながらも大きな幸福な気持ちと、僅かな切なさを抱いた。
 そんな中頭に浮かんだのは、幼い頃に聞いた、年老いた下女の話。
『夫婦というのは、元は一つのいきもので。それが二つの魂に分かれてしまったから求め合って夫婦になるのですよ』
(あの話は男女の事であるし……何よりあの感覚を感じたのは俺だけだと思っていたから今まで想いを口にすることは出来なかったが……)
 想い人、と言われ浮かんだのは政宗ただ一人だ。けれど彼は艶噂の多い人物であるし、何より戦場で一度抱いただけの自分の事など何とも思っていないだろうと思っていた。現にあの後、二人の関係が好敵手以上に変わる事はなかった。
 だが。
(俺の縁談の話を聞いて怒っておられて、更に俺の事を半身だと……)
 それはあの時の感覚は自分だけのものではなかったという証拠だろう。
 それが嬉しい。

(佐助には済まぬ事をしたが……)
 佐助が追って来ている気配はない。恐らく幸村と佐助、二人同時に消えては信玄にいらぬ心配がかかると思った彼は、苦渋の末に残って報告する事を選んだのだろう。
奥州に連れて行かれて、自分がどのような立場に置かれるかはまだ想像がつかない。
しかし自分の従者に心の内で謝りながらも。 
 幸村は、政宗の操る馬から降りる気にはなれなかった。

「政宗殿、これは?」
「その着物、気に食わねえ。これに着替えな」
「え」
「それ、アンタが好む色じゃねえし、大方今日会う予定だった相手にでも貰ったんだろ」
 馬の疲れを察し、政宗が取った宿で。馬から降り幸村の全身を初めてゆっくりと眺めた彼に、突如着物を変えるようにと、不機嫌そうに言われた。確かに政宗の言う通りで、彼の洞察力に驚く。
「……湯を浴びてからでは?」
 恐らくそう遠くない時間に入浴をするであろうと考えた幸村は、政宗に渡された着物を抱えたままそう返すと。
「駄目だ、すぐ着替えろ。……アンタが他の奴に贈られた着物身に着けてるとこなんて、見ていたくねえんだよ」
 その物言いに、驚きながらも、嫌な気分ではもちろんなく。幸村は政宗から受け取った着物へと着替える事にした。

「こっちに来い」
「!まだ旅の汚れがっ」
 外が段々と闇に包まれようとする時刻。政宗の胸に引き寄せられて。湯を浴びる前だった幸村は思わずそんな言葉を漏らし身を捩るが。
「……汚れてんのはお互い様だ。それに」
 あの時に比べれば綺麗なもんだろ、オレもアンタも。

 熱の篭った瞳でそう囁かれながら押し倒される。
 政宗が言っているのは二人が初めて体を繋いだ時の事だろう。あの時は確かにお互い血と汗にまみれていて。それに比べれば今は綺麗と言えるだろう。
「んっ」
 唇を重ねられ、幸村の瞳が驚きに見開かれる。体を繋いだ事はあるものの、あの時は心の繋がりは、満たされているのは自分だけと思っていたから。口吸いを求める事は出来なかったが。今、政宗の方から、確かにそれを求められている。
 合わさった唇から淡い幸せを感じ。
 幸村は、抵抗する代わりに政宗の背にそっと腕を回した。


「はぁっ」
 長く深い口付けから解放された幸村の唇からは、荒い息が零れ。一瞬こちらに視線を向けた政宗の手が着物の合わせに掛かるのを、呆とした表情で見詰める。進められる行為に、幸村は一抹の不安を抱えていた。
(あの時の分かたれていたものが一つになったようなあの感触を、今回は得る事が出来なかったら?)
 戦場では普段より感情が高まっている。あの時繋がった事によって得られた大きな幸福が、戦場の高揚ゆえの勘違いだったとしたら。もしそうだとしたら政宗は自分に興味を失ってしまうのではないかという不安が、幸村の中にはあった。
「えっ」
 そんな幸村の気持ちを知るはずもない政宗は、幸村の下帯に手を掛けすべてを露わにした後。
「政宗殿、そのような……!」
 仰向けに寝転んだ状態の幸村の下半身に覆い被さるようにして、その中心に唇を寄せる。体を繋ぐ事自体にもう抵抗する意思はないものの、政宗が今しようとしている事は幸村の許容範囲外で。驚いた幸村は慌てて彼の髪を軽く引っ張り、止めさせようとするのだが。
「く、ふ…!」
 すぐに自身を暖かく柔らかいものに包まれて、その快感に髪を掴んでいた手が力を失った。
(政宗殿の舌が俺の……)
 とても信じられないその行為に、顔を真っ赤にして目を瞑り耐えようとするが。政宗の舌と手はそんな幸村を容赦なく追いつめる。
「あ、あ」
 根元を手で扱かれ、舌で先端を割り開くように舐め上げられては、耐え切れるはずも無く。
「も、お離し下されぇ…!」
 限界を迎えつつあるが政宗の口に出す事だけは耐えられぬと、泣き出しそうな声で伝えると。
「ひ、ぁあああ!」
 唇が離れた代わりに、爪先で先端の割れ目を刺激され、幸村は堪らず嬌声を上げながら白濁を撒き散らした。
「はぁ、ぁ…?!」
 解放されたと息を整える間もなく、今度は力の抜けた体をひっくり返されて。腰を政宗の方に突き出すような姿勢を取らされる。この体勢で繋がられるのか、顔が見える体勢の方が良いのに、と思いながらもそれを口にはできなかった幸村だが。政宗は先程よりさらに信じられない行動をとった。
「っ」
 政宗の指が幸村の尻肉を左右に割り開く感触に、次に訪れるであろう衝撃と痛みを覚悟して体を硬くした幸村だが。感じたのは痛みではなく。生暖かい何かが肌を這うようなそれ。
 最初、それが何なのか幸村には分からなかった。だが。
「な、そんな不浄の場所を!」
 政宗が自分の奥まった場所に舌を這わせているのだと理解した瞬間。逃げるように上体を起こした。しかし、政宗の腕ががっしりと腰を掴んだ事によって、それ以上動く事は出来ず。
「この前は、抵抗しなかったアンタがまさかvirginとは思わなくて、大して慣らしもせずヤっちまったが……。アンタすげえ痛かっただろ」
「某、痛みには強い方故お気遣いは無用でござるっ」
「気遣いとかそんなんじゃねえよ。あの時とは、戦場の興奮を発散するためのSexとは違う。アンタ自身を欲しいと思う故だ。アンタにも気持ち良くなって貰いてぇ。独りよがりなのは御免だぜ。だから逃げるな」
(政宗殿がそのような気持ちで俺を……)
 政宗の言葉が、幸村の心に響き。固くしていた体の力を少し抜いた。

「んぁ、あ」
 舌と放ったもので充分に濡らされた後、政宗の指に柔らかくなったそこを掻き回される。くちゅくちゅと響く淫らな音。。男の、自分の下半身がこんな濡れた音を出すのが信じられない。しかしそんな考えも、与えられる快感にすぐに四散していった。政宗の指は幸村の中の感じる場所を捉えていて。そこを刺激され、一度吐精して力を失っていた幸村の中心も再び勃ち上がり、先端からはしたなく滴を零している。
「政宗殿、もうっ」
「ああ、オレもいい加減限界だ」
 再び体を反転されて。欲を湛えた瞳の政宗と視線が合った。戦場で対峙した時にも似た、けれどそれより少し暖かさのある眼差しに射抜かれる。暫し見つめ合った後。
「くぁ、あ…!」
 幸村の足を抱えた政宗の、熱を持ち硬くなった中心が一気に押し入って来て。流石に指とは段違いの質量に、幾ら慣らされたからとはいえ無痛とはいかず。苦しげな声を漏らしてしまうが。苦痛よりも何よりも。今回も繋がって感じたのはやはり、分かたれたものが一つに戻ったようなあの幸福感で。
「……アンタは、間違いなく俺の半身、だ」
 政宗の呟きに、彼も同じ感情を共有しているのだと知り。より一層その感覚は高まった。
「動く、ぜ」
「んぁあ!」
 政宗の肩に腕を回し抱き付いたまま、揺さぶられる。慣らされていたお蔭で、痛みは程なくして治まり、幸村が今感じるのは快楽だ。
「ああぁ!!」
 数回突かれただけで、再び達してしまった幸村だが。政宗の方はそれで収まるはずも無く。
「あ、あ」
 再び揺さぶられ突き上げられ、与えられる快感に溺れる。
「くっ」
「ああ!」
 今度は二人ほぼ同時に達し。幸村は中に放たれた政宗の精の熱さに、体を震わせた。

 あの後二人は何度も行為を重ね。もうお互いこれ以上は無理だという状態だったが。体は未だ繋いだままで。
 それは二人ともが離れるのを勿体無いという想いを抱えた故、だった。
「さすがにずっとこうしてる訳にはいかねえな。アンタの体にも負担になるしな」
 政宗が渋々といった感じで、ゆっくりと自身を幸村の中から抜いて行く。満たされていたものが欠けて行くようなその感触に、幸村が寂しさを感じながら政宗を見上げると。
「んな顔するな、ほんとに離れられなくなっちまう」
 そう告げられ頬を撫でられた。
「湯を貰ってくる。アンタは暫く休んでな」
 軽く体を拭き、着物を羽織り身を整えた政宗が部屋を出て行く。
 その後ろ姿を、すぐに戻って来るのだから、体が離れただけで切なさを感じる必要などないと、幸村は自身に言い聞かせながら見送った。


「政宗様!」
 何度か宿を取り休みながら、奥州の政宗の居城へと辿り着く。途中、逃げませぬから自分にも馬をといった幸村の申し出を、政宗は許可しなかった。アンタが単騎で馬を駆っている姿は目立つと言って。
 だから結局上田を出た時と同じように、政宗の馬に女子のように同乗してここまで来た。
 出迎えた政宗の右目とも呼ばれる忠臣、片倉小十郎に少しの呆れはあれど、怒っている様子はない。という事は政宗がどこに行っていたかを、彼は知っていたのだろう。
 馬から降りた幸村は彼に軽く頭を下げる。そんな幸村を小十郎は少し複雑な表情で見つめて来た。
 その様子に首を傾げていると、政宗が幸村に湯殿を使うように勧めて来て。長旅の汚れを落としたいと思っていた幸村は、小十郎の視線の意味を図りかねながらも湯を使わせてもらう事にした。

「真田、着替え置いておくぞ」
「片倉殿?!忝い」
 湯に浸かっていると、湯殿の入り口から聞き覚えのある声が響き、着替えを持って来たのが小十郎だと知り驚く。
「所で……ここに来たって事は政宗様の申し出を受けたんだな?」
 少し抑えられた声。その内容に幸村は再び首を傾げた。
「政宗殿の申し出、とは?」
 聞き取りやすいようにと、出来るだけ入り口に近い方へと移動する。
 奥州に来いとは言われていたが、それ以外具体的には知らされていない。その旨を小十郎に伝えると。
 大きく溜息が零れるのが聞こえた。
「……肝心な事は伝えてねえ訳か……」
「?」
「……政宗様から多分改めて話があると思うが、今のその様子じゃいきなり言われても冷静に判断できねえだろうから、俺から先に言っておく。政宗様から話があるまで、良く考えておいてくれ。……俺から聞いたというのは政宗様には言うなよ」
 そうして告げられた小十郎の言葉に。
 幸村の意識は驚きで真っ白になった。



「政宗様はテメエを、ご自分の、奥州筆頭の正室にとお望みだ」


(佐助はどうしているであろうか……怒っているであろうな。お館様とあの姫君にお詫びの文も書かねば)
 湯浴みを終えた後、案内された部屋で体を休めながらこれからの事を考える。
 まだ政宗の口から、小十郎に教えられた事は告げられていない。
 政宗の正室。
 その立場に自分がなる事など、余りにも現実感が無さすぎて、幸村には想像が出来ない。
(そもそも、本当に俺を正室に等、考えておられるのか?片倉殿の勘違いなのでは……)
 男で、敵国の将である自分を正室にするというのは困難な道だろう。大国の主で、整った容姿を持つ政宗に、縁談は山の様にあるだろう。現に噂として幸村の耳に届いている戦場以外での彼は、艶噂が多い人物だった。
 政宗に抱かれ、彼に自分の半身だと確かに囁かれたが。彼が今まで関わった女人達より、自身に魅力があるなど思えず。
 そんな自分を、政宗が正室として望んでいるなど、政宗の信の篤い小十郎の言葉でも、いまいち信じられない。
 深く考えるのは得意ではない。かといって小十郎に口止めされているから、政宗に自分から聞く事も出来ない。
 鍛錬でもすれば気が紛れるかと思い、場所を借りられないかと、障子に手を掛けようとした所で、誰かがこの部屋に向かっている気配を感じ。部屋に居た方が良いかもしれぬと、腰を下ろした。
(あ、この気配は)
 近付いて来る人物が誰か、強くなった気配で悟る。何度も戦場で出会い刃を交わしている内に、彼の気配は幸村の中に染み付いてしまっていた。
「真田幸村、放っといて悪かったな」
 部屋に現れたのはやはり政宗で。
「いえ」
 彼から話があるかもしれないと、幸村は姿勢を改めた。

「虎のオッサンにはさっき文を出したが……。オレはアンタを俺の妻に、正室にしたいと考えてる」
「!」
 そう望まれているとは小十郎から聞いていたが、まさか信玄にまでもう手回ししているとは思わなかった。その行動の早さは、政宗の本気を現しているような気もする。
「アンタが嫌なら無理強いする気はねえが……アンタはここまで着いて来たし、オレに抱かれるのも嫌がらなかった。……だから、オレとしては良い返事を期待してんだがなァ、真田幸村」
「……某、政宗殿がその様に求めて下さるのは嬉しゅうござる。……しかしながら、某を政宗殿の妻にしても貴殿には何の利も無い気が致す……」
 幸村なりに、考えた答えだった。
 半身だと思っている相手が、自身を妻という立場に求めてくれている事は純粋に嬉しい。小十郎の勘違いなどではなかったと知り、心は確かに跳ねた。
 けれど、彼を取り巻く環境を、彼の為を考えると、自分は軽々しく頷いてはいけない気がするのだ。
「……オレが妻に欲しいのは、真田幸村個人だ。アンタを求めてるのも、伊達政宗という一人の男だ。……アンタがいろいろ考えちまうのも分かるが。オレはアンタ自身の答えが欲しい」
 政宗の指が俯いていた幸村の顎を掴み、視線を上げさせる。幸村の瞳に映った政宗の隻眼は、真剣さを感じさせる輝きを帯びていた。
「……某個人の答えならば、最初にお伝え申した。……求めて下さり、嬉しいと」
 上田に政宗が来てくれた時から、自分自身の心は政宗に向かっていたのだ。
「なら、受けてくれるな?」
幸村は少しの間の後。
政宗の視線の熱に、求めてくれている証の様なそれに勝てず、小さく頷いた。

 政宗が信玄に出した文は、奥州と甲斐の同盟を求めた上で、幸村を自身の正室として娶りたいというものだったらしい。今、幸村が奥州の政宗の居城にて過ごしている事も記したと聞き及んでいる。
「オレはアンタを妻にしたからと言って籠の鳥にする気はねえ。武田信玄の家臣であるアンタの立場を奪わねえ。甲斐がアンタの力を必要とするなら一時的にだが帰してやるし、オレもアンタと手合せ位はしてえと思ってる」
「はい!政宗殿と仕合うのは、この幸村に取って僥倖でござる」
 今すぐ仕合いてえのは山々だが、今日はそろそろ政務に戻らねえと小十郎の雷が落ちるからな、と言って幸村の部屋から去っていく政宗を、微笑を浮かべて見送った。

「文を書くのは苦手でござる」
 与えられた部屋で筆を持ちながら、たどたどしい手つきで文字を書き連ねて行く
 信玄へと宛てた文だ。
 最初に、信玄へ無断で奥州に来てしまった事と先日の姫への無礼に対しての詫びをしるし。その後少し考え筆を止めた後。
 意を決したように。
 政宗の傍で生きて行く事を許して欲しい旨。それと同時に。信玄が自分の力を必要としてくれる時はどんな時も駆けつける。政宗の傍にあっても、自分の主家は武田で。政宗はそれを許してくれているという事も記した。
 佐助への文も同封するか悩んだが。恐らく政宗の文の返事は佐助が持ってくるだろうと考えて。また、政宗と佐助の仲の悪さも考慮して、彼への言葉は記さなかった。
(政宗殿は政務でお忙しいであろうし、何方に文を託せば……)
 思案していると、部屋の外から「昼餉をお持ちしました」という声。この城に着いて以来、幸村に世話係として付いている老女で。伊達家老臣の家族らしい。
 彼女に文を出したい旨を伝えてみようと思いながら、幸村は障子を開けた。

 文は彼女が、政宗が出す書状と共に送ってもらえるように手続してくれるらしく。少し肩の荷が下りた気がして。礼を告げた後、運びこまれた昼餉の膳に手を付けた。
「何やら普段より少しにぎやかな気がするのでするが、何かあったのでござるか?」
 食べ終わった膳を下げに来た老女に、食事中気になっていた賑わいの正体を尋ねる。
「ああ、あれは殿の遠縁の姫君達がいらしているのですよ。おなごはお喋りですからね。騒々しく感じられるならお部屋を移動なさいますか?ここは姫達が過ごす部屋から近いですし。殿から貴方様には失礼のないようにときつく仰せつかっていますので」
「いや、騒々しいとは思いませぬ。少し気になっただけでござる」
「それにしてもあの姫様も諦めの悪い事で」
「え?」
「この城で暮らす者は皆知っている事ですので、貴方様に隠す事もありませんね。あの姫様は殿に自分を娶れと迫りに来ているのですよ。もっとも殿にその気はないらしく、きっぱりと断っていらっしゃるのですけどね。血縁の上、姫の叔父上がこの城でかなり重要な位置についているので、遊びに来る事までは禁じていないようです。殿に決まった方が居れば諦めるのではとも思いますが、今の所そのような話はありませぬしね。中には側室として娶る事を薦めている方もいるようですが」
 上品な笑みを浮かべて話す老女に、幸村も笑みを返しながらも。果たして自分は笑えているだろうかと、不安になる。
 政宗が幸村を正室にと伝えて来たのは昨日で。政宗が幸村を正室として望んでいる事は、まだほんの一部の者しか知らないのだろう。だから老女の言葉は悪意あってのものではない。けれどその内容は、幸村の心に小さな針を落とした。
(そうだ、政宗殿の正室になったとしても、男の俺には世継ぎは産めぬ。それは充分に分かっていたつもりであったが……実際は何も分かっておらぬかったのだ、俺は……)
 正室が産めぬなら、側室が産めば良い。それが当たり前の世なのだ。この城にも、政宗の世継ぎの誕生を待っている者は大勢居るだろう。その事実に、先程の話を聞くまで気付けなかった。
 自身を半身と呼び、正室にと望んでくれている彼が。世継ぎの為に他の者を抱く事に、耐えられるだろうか。
(いや、耐えねばならぬのだ。世継ぎを作る事を厭うなど、正室の立場として許されるはずがない。政宗殿程の才と容姿を持つ方なら、血を受け継ぐ跡取りの誕生を望んでいる者も多く居るであろうし)
 そう言い聞かせながらも、幸村の胸の痛みは大きくなって行く。そんな中、殆ど無意識のうちに部屋を出て。
 政宗が政務を行っている部屋へと、幸村の足は向かっていた。


「どうした?」
 部屋の傍まで来て、我に返った幸村は。政務の邪魔をしてはと引き返そうとしたのだが。一瞬早く、幸村の気配に気付いたらしい政宗が出て来てしまった。
「何でもござらぬっ政宗殿は政務に励んで下され」
 慌ててそう告げ、今度こそとその場から去ろうとするが。
「Wait!丁度休憩しようとしてたとこだ。アンタも茶くらい飲んで行きな」
 言葉と共に、部屋に引きずり込まれてしまう。
(……大国だけあって処理せねばならぬ案件も多いのであろうな……)
 政宗の政務部屋でまず目についたのは、机の上に積まれた大量の文や書物。それらは、政宗の支配するこの国の下に多くの民が居るという事実を、幸村に再確認させる。奥州という北の地、それらを立派に治める政宗は民にとって良い国主だろう。そして良い国主であればあるほど。民は国主の血を引く世継ぎを望むはず。
(……それを俺が阻んで良いはずはない……)
 そんな風に考えながら使用人が運んできた茶を啜っていると。
「!?政宗殿?」
 突如、隣に居た政宗の膝上に抱え上げられた。
「アンタ、何でもねえって言ってたが何かあったろ、ほんとは」
「!」
「部屋の前に立ってた時、表情ちょっと変だったしな……別に言いたくない事なら無理に聞き出したりはしねえ。ただ、アンタはこの城で暮らす事になる。城で何かアンタの負担になる様な事があるなら、出来るだけ解決しときてえ」
「……有難うござりまする。政宗殿の御手を煩わす様なものではござらぬ故、ご心配なきよう」
 政宗の言葉は、自分の些細な変化に気付き、それを気遣っての声は、幸村の心を温める。
(政宗殿が、このように俺に心を向けて下さっているならきっと大丈夫だ。……耐えられる)
 彼が側室を娶り、その者と交わるのを思えば、胸は痛むけれど。彼の気持ちが自分にある限り、先程まで耐えられるだろうかと悩んでいたそれを、何とか受け入れられるはずだ。
「政宗殿、政務のお邪魔を致して申し訳ありませぬ。某はこちらの城で使わせていただいている部屋に戻りまする」
 政宗の膝から降り、そう告げる。ほんの数分の触れ合いと会話だったが。それによって幸村の心はかなり軽くなっていた。それを悟ってか。
「ああ、また夜にな」
 今度は政宗も引き留める事はなかった。

「んっ」
 夜は、政宗に抱かれた後そのまま一緒に寝るのが奥州に来てからの常になっていて。今日も政宗の腕の中で寝息を立てていた幸村だが。ふと。
 少し離れた場所に、良く馴染んだ気配を微かに感じて目が覚めた。
(佐助……)
 気配は佐助のもので。恐らく政宗の出した文に対する信玄の返事を手にここまでやってきたのだろう。
 床を抜け出し迎えに出るか悩んでいると。
「……外に誰か居るな」
 政宗も気付き、目を覚ましたようだった。
「政宗殿、多分佐助かと」
「ああ」
 それならオッサンの文持ってるはずだな、起きるかと呟く政宗に、連れて参りますると告げ。幸村は部屋を抜け出す。
「佐助」
 外はまだ夜明けには程遠く、空には星が瞬いている。幸村は寝ている城の者達を気遣って小声で自分の忍びに声を掛けた。
 幸村の声に応えるように、音も立てずに佐助がその姿を現す。
「旦那……その様子だと独眼竜に酷い事はされてないみたいだね」
 彼は最初、政宗が自分を強引に攫ったと考えていたのかもしれない。もっとも、文の内容は事が事だけに、佐助にも伝わっているだろうから、幸村自身の意志でここに居るというのは知れている筈なのだが。
(……佐助は政宗殿と仲が悪いからな)
 それ故幸村が政宗の伴侶になる意思を持っている事など信じたくなく、政宗の文の内容も彼の独断だと思いたかったのかもしれない。
 けれど、今政宗の寝所から出てきた自分を見て。佐助も全て本当の事だと悟ってしまっただろう。
「佐助、政宗殿の文へのお館様の」
「ああ、持って来てるよ。これ独眼竜に渡しなよ。後こっちはお館様から旦那への文」
 幸村がすべて言い終わる前に、佐助が少しぞんざいな手付きで文を二つ差し出す。
「旦那、お館様は旦那が独眼竜の傍で暮らすのには反対してないけど……一つ条件を出してる」
「……条件?」
「俺様はその条件を独眼竜が飲むとは思えない。……どうやら独眼竜に惚れてるらしい旦那にあんまりこういう事言いたくないけど。……甲斐に帰る心構えはしておいた方が良いかもね」
 佐助がそんな物言いをするとなると、信玄が政宗に出した条件は、かなり厳しいものなのだろう。
 政宗との別れを想像して、着物の袂をきゅっと握り締める。
「おい、いつまで外に居る。風邪引く」
 そこにそんな声と共に政宗が現れ、幸村の肩に羽織を掛けてくれた。礼を伝え、幸村は政宗に信玄からの文を手渡す。その場で読み始めた政宗を、幸村は緊張した面持ちで見守った。
「猿、甲斐に戻って虎のオッサンに全て諾と伝えろ」
「な、あんた、ちゃんと全部読んだ?」
「当たり前だろうが」
「お館様は、アンタに、真田の旦那以外娶る事を認めない。側室も置く事は許さないって言ってるんだよ?!アンタ国主だろ、それで良いわけ?!」
「!!」
 佐助の言葉に、激しく反応したのは政宗ではなく幸村だった。
(……お館様がその様な……)
 しかも、政宗はその条件を飲むと言う。彼は幸村の方に視線を向け、更に告げて来た。
「何だ、アンタ。オレがアンタ以外に側室を囲うとでも思ってたのか?一番にして唯一欲しいアンタが手に入るんだ。元よりアンタ以外を傍に置く気はねえよ。だから虎のオッサンの条件はオレにとって条件にもならねえ」
 分かったら猿、さっさと行け、と佐助を追い払うようなそぶりを見せる政宗を。幸村は呆然と見つめる。
(政宗殿が、俺だけと言って下さったのは嬉しいが……)
 佐助の言うように。国主である彼が、子も成せぬ自分だけを傍に置く事が許されるのだろうか、という思いもあった。

 政宗は意志が固い方だ。今までの付き合いの中でそれは充分に感じて来た。だからそんな彼が幸村だけ、と言ったのならそれを貫くだろう。幸村に取って、それは幸せな事だ。
(……だが、それは政宗殿の立場を悪くするかもしれぬ……)
 男である自分を求めてしまったが故に、国主としての彼を愚かだと言う者が現れるかもしれない。自分のせいで彼を悪しざまに言われたくはない。
 幸村だけを政宗が求める事実は変えられない。だったらどうすればと悩んだ末。
 幸村はある決意を固め。
 その決意を心に、政宗ではなく彼の腹心・小十郎を訪れた。

「片倉殿、お願いがあり申す」
「……政宗様にではなく、俺にか?」
「片倉殿に、でござる。……政宗殿にはご内密にしていただきたく」
「……それは内容によるが、話してみろ」
 内容を告げれば、小十郎も政宗には伝えないだろうと確信があった幸村は、口を開く。
「某は、後少し経ったら一度甲斐に……」
 信玄に、きちんとした形で輿入れをと言われた為、準備の為に幸村は甲斐に戻る。その間に小十郎にやって欲しい事があるのだ、と伝える。
「……テメエはそれで良いのか?」
 話が終わった後、小十郎の第一声はそれだった。
 こくりと頷く幸村に、小十郎は更に言い募る。
「城内でのテメエの立場が辛いものになるかもしれねえが、それで良いのか?」
「……政宗殿が愚かな国主と言われるよりは、ずっと良いでござる」
「……そうか。なら俺にもう言う事はねえ。確かに頼まれた」
「お願い致す」
 静かに頭を下げる幸村に対し、小十郎も無言で頭を下げていた。

 そして迎えた輿入れの日。
(白無垢などこの俺には似合わぬであろうが)
 政宗がその姿を見たいと言ったから、それを身に纏っている。普段は奥州への移動は馬で行っていたが、正室の輿入れでそんな訳には行かず、幸村は籠に揺られている。うっすらとだが化粧も施され、いつも後ろで纏めている髪は下していた。
 あまり大ごとにしたくないとの幸村の意志を、政宗はある程度汲んでくれたらしく。輿入れの行列は甲斐からではなく、奥州からそう離れていない場所から出発した。
(片倉殿は確実に頼んだ事をやって下さっているであろう)
 そしてそれによって。
 自身の政宗の居城での立場は決して良いものとは言えなくなっている筈だ。
 程なく城へと辿り着くだろう。
 幸村は目を伏せ。
 ただ籠が城に入るのを待った。



「旦那」
 佐助の声が、籠の外から小さく響く。間もなくの到着を知らせる意のそれ。彼の気配はすぐ消えて、その後籠の周りの雑音が急に増えた。城の敷地に入ったのだろう。籠が地面にそっと下ろされ。幸村の体に小さく緊張が走る。
 奥州筆頭が選んだ正室が男だという噂は。既に国中に広がっているであろうから。これから自分は遠慮のない視線に晒される筈。それ故の緊張、だった。
(……政宗殿に久々にお会いできるのだ)
 彼に会えば、この揺れる心も収まるはず。そう言い聞かせ、意を決して。慣れない女物の着物の裾を踏んで転んで恥をかかぬようにと。ゆっくり、外へ足を踏み出した。
「っ」
 覚悟はしていたが、元より気配に聡い武将ということもあり、多数の突き刺さるような視線に息を詰まらせる。だが。
「幸村!」
 こちらに向かって来る政宗の姿。祝儀の為の盛装で普段も男前だが更に男が上がって見える彼の姿を、綿帽子に覆われた狭い視界に収めた瞬間。心が凪いで行く。それと同時に自分に向いていた視線の大半が彼に移ったのを感じ、小さく息を吐いた。
 予定では幸村が政宗と邂逅するのは城の中だった筈だが。
「政宗殿」
「アンタに早く会いたくて出て来ちまった。……輿入れの準備に時間掛かりすぎだ。虎のオッサン、アンタを手離す気がねえのかって思っちまったぜ」
 確かに信玄は輿入れする自分の為に、いろいろと準備をしてくれて。奥州に来るのは予定より遅れてしまったが。政宗がそれに焦れていたなど思いも寄らなかった。
 それ所か。
(……お待たせしている間に、心変わりをされるやもしれぬなと少し考えていた……)
 政宗には、自分などを選ばずとも、もっと周囲から祝福を受け歓迎される様な相手は沢山いるのに。
 それでも彼は自分を求めてくれる。 
 会いたかったと伝えられ。その言葉と態度は幸村の心を満たす。
「顔、見せてくれ」
 被っていた綿帽子を政宗の手がそっとずらし。瞳がかち合い。
「まさむねどの?」
 彼の隻眼が驚くように見開かれたのを見て。幸村は首を傾げた。
「唇がやけに赤いとは思ってたが。アンタ、化粧を?」
「!……やはり、似合いませぬか」
 失念していたが、自分は確かに派手ではないが化粧を施されている。佐助は不安がる己に変ではないと何度も告げてくれたが、化粧をした美しい女性を見慣れているはずの政宗にとっては。今の自分の姿は滑稽にしか見えないのではないか。
 しかし幸村の懸念を余所に。
「元からCuteな顔立ちしてるとは思ったが……」
 良く似合ってる、綺麗だぜ。
 政宗の口から零れたのはそんな言葉だった。

 城の者、とくに女子(おなご)からの視線に幸村は棘を感じながらも。祝言は滞りなく行われ。最後に幸村の後見人として祝言に出席していた信玄と、政宗が同盟の誓約を交わした後。儀は一区切りとなった。
「この後は無礼講の酒宴だ。その格好じゃ堅苦しいから着替えな。オレも着替える」
 政宗に手を引かれ、その場を後にする。
 着替えの場として政宗の寝所に向かう途中。
「政宗様、申し訳ありませんが至急処理していただきたい案件が」
「Shit!分かった。幸村、アンタオレの部屋は分かるな?先に行ってな」
「承知致した」
 小十郎に連れられ政務室に向かうのであろう政宗を見送った後。以前も身を寄せていた政宗の寝所へ足を進める。
 政宗と一緒の時は、城の者達も慎んでいたのか。大っぴらな雑音は聞こえて来なかったが。幸村の傍に政宗が居ないのを見て、彼等の口が緩んだのであろう。含みのある声達、それらの会話が聴覚の鋭い幸村の耳に届いて来た。
『聡明な殿がまさか男、武将をご正室として迎えられるなど……』
『全く、何を考えておられるのか』
『同盟の為、かもしれぬぞ。甲斐は中々に大国。それに殿が正室として迎えられたあの者、戦場では紅蓮の鬼と恐れられていると。我が国の戦力としては歓迎できるのでは』
『ふむ……鬼と言えば、城の使用人、とくに女子たちの間であの者の噂が流れ、女子たちが怖がっているらしいが』
 聞こえてきた声は、どうやらこの城である程度の身分を持つ者達、らしい。その声の中に、幸村が小十郎に頼んだ事、それを示す事柄があり。やはり政宗の腹心は約束を守ってくれたようだと、安堵した。これから、自分はその事柄を事実だと後押しする為の行動を取らねばならない。
 雑音を表面上では気にしない振りをして、部屋に入る。
(誰か、居るようだな)
 広い部屋の奥に歩を進めると。そこには部屋を整えている使用人と思わしき若いおなごが居た。
「!」
 彼女が幸村に気付き、こちらに視線を向ける。その瞳には明らかに怯えの色があった。
(……俺に対する噂を知っているようだな。このような若い娘を怖がらせるのは可哀想だが)
 政宗の為に、彼が愚かな国主だと思われない為に。行動は早い方が良い。
「何をしている」
 若い娘に接するのは、本当は苦手だが、それを悟らせぬように。幸村は女子にわざと冷たい声を掛けた。
「お、お着替えをお持ちしました。後お部屋のお掃除を」
「必要ない、今すぐ出て行け」
「ですが私はお殿様からこの部屋の事を一任されて」
 震えながらも言い募る娘に近寄る。その態度から、彼女は淡い想いを政宗に抱いているのが見て取れた。
「うるさい!この幸村の噂は聞いているであろう?政宗殿の御世話はこの幸村がする。政宗殿のご寵愛を受けようとなど思って、あの方に近付く者は」
 戦場で紅蓮の鬼と称されるこの身が、焦がしつくしてしまうやもしれぬぞ。

「おお、どうしたのだ。そんなに怯えて」
「殿の部屋の世話係ですな」
「何があったか話してみろ。殿のご正室が何か言ったのか?」
 ずるずると娘が体を引きずるようにして部屋を出て行った後、先程の者達とかち合ったのだろう。若く可愛らしい娘が、彼らに涙ながらに先程の出来事を語れば同情を引くはず。
 聞こえてきた会話を確認して。これで自身に対する噂、決して良いとは言えぬそれは更に広がる筈と確信して。
 悪意を無理に演出するなどという無茶をした幸村は。大きな疲労を感じ、その場に崩れ落ちた。

 幸村が小十郎に頼んだ事。それは。
 政宗の正室となる真田幸村は、大層嫉妬深く。側室などを娶ろうとすれば、その者を亡き者にしようとするかもしれぬような人物だという噂を流す事、だった。
 政宗の意志ではなく、自分の嫉妬が政宗に側室を娶らせないのだと、そう民に勘違いさせる為、に。

「?!どうした!!」
 部屋に戻って来たらしい政宗が、着替えぬまま突っ伏している幸村へと慌てた様子で近付いて来る。
「体調、良くねえのか?長旅で疲れたか。……酒宴には出ずに休め。オレも傍に付いててやる」
「しかし」
「夫婦になった日に、妻を放って酒飲んでる夫なんて最低だろうが」
 それにオレもアンタの居ない酒宴より、アンタと二人でただ横になってる方が良いしな。
  政宗が用意してくれた布団に、着替えて身を横たわらせその優しい言葉を聞く。
「政宗殿」
「なんだ?」
「……抱いて、下さらぬか?」
「Why?アンタ疲れてんだろ、そんな体に無理させられねえよ」
「……政宗殿が抱いて下されば、元気になりまする」
 政宗と繋がり。あの半身を取り戻したような充足感で満たされれば。
 自分のこの疲労、体力的なものではないこの疲労は。
 きっと消えてくれる筈と懇願する。
「……まあオレもアンタを久々に欲しい気持ちは当然あるしな……やばそうだったら言えよ?オレが途中で止められるかは不安だが」
「止めないで下され。大丈夫でござるから」
 しばらく悩む様子を見せた政宗だが、結局は幸村の望みを叶える方を取ってくれたようで。
 幸村の唇にゆっくりと、政宗の唇が重なって行く。

「はぁっ、まさむねどのっ」
 久々な事もあり、蕾を多量の香油で解されてから、繋がる。政宗はもう少し時間を掛けたい様子だったが、幸村の方がそれを望まず。もう大丈夫だから早く欲しいと懇願した。
 政宗を体内に感じながら、彼の首筋に抱き付きながら思う。
(この時間が、政宗殿と繋がるこの時があれば俺は)
 住み易くはないであろう城での生活に。
 耐えられる、耐えてみせる。


「……」
 繋がりは明け方にまで及び。行為の後のけだるさと、半身から引き離されたような切なさを感じながら微睡んでいた幸村の耳に。
「いつもの奴はどうした?一応ここはあの女に任せていた筈だが」
「それが……」
 部屋の外で政宗と恐らく下男と思わしき誰かの会話が微かに響いた。
「まあ今はそんな事はどうでも良い。湯と着替えを頼む」
 言い淀んだ相手の男に、政宗はそう言い放ち。そこで二人の会話は終わって。
 幸村はそれに安堵したように小さく息を吐いた。政宗が言っていた『任せている女』というのは、幸村が脅したあの女子だろう。あのまま会話が続いていれば、話はきっと幸村の事に及んでいた筈。
(政宗殿に、追及されるのはまだ避けたい)
 政宗の様子から、どうやらまだ彼は幸村に対する城内での噂を知らないようだった。城主の選んだ相手に対する悪噂を、城主本人に聞かせようとするような者は居ないだろうが、政宗は耳聡い。そんな彼が噂を知らずにいると言うのは。恐らく小十郎が、主の耳に出来るだけ入らぬよう、上手く手配してくれているのだろう。
 ずっと誤魔化し続けるのは無理だろうが、今はまだ知られたくはない。いや知られてはいけない。意外と優しい心根を持っている彼だ。幸村が彼の為に辛い立場に身を置こうとしているのを知ったら、怒る気がする。「アンタがそんな事をする必要はない」と。 
 けれどそれでは駄目なのだ。 
 彼に知られて良いのは、自分が独占欲の強い正室として、周囲にもっと認識されてから、だ。

「幸村、体起こせるか。洗わねえと」
 湯がなみなみと張られた桶を手に、政宗が部屋に戻って来た。頷き、起き上がろうとした幸村だが。
「っ」
「っと」
 ぐらついた体を政宗に抱きとめられる。
「忝のうござる」
「No。オレのせいだからな。疲れてるアンタをもっと気遣って抱こうと思ってたってのに」
 いざ繋がっちまうと駄目だな、我慢が効かねえ、と苦笑を浮かべた政宗に。
「……充分お気遣いいただいたでござる。急かしたのも強請ったのも某故、政宗殿はそれに応えて下さっただけで」
 そう告げ笑い掛けた。

「や、そこはっ」
「ここが一番きれいにしねえと。アンタが辛くなる。何せオレの子種がまだ中にたっぷり入ったままだからな」
 けだるい体を、政宗の手で清められていた幸村だが。寝床の上で俯せにされ、尻肉を割り開かれて、恥ずかしさに身を捩る。だが政宗は幸村が逃げる事を許さず。空いている手で幸村の腰をがっしり掴み。
「くぅ、ん」
 乾き切っていない精に濡れた幸村のその場所へと指を侵入させて来た。
(掻き出そうとしているだけで、他意はないと分かっているが……)
 敏感な奥を刺激され、足の間に掻き出された精が伝う感触に、身を震わせる。
「!ひぁっ」
 中の最も敏感な部分に政宗の指が掠め、中心に熱が集まったのを感じながら一際高い声を上げてしまい。幸村は寝床に顔を押し付け、欲に濡れそうな表情を隠した。政宗はそんな幸村を気にする事無く、掻き出すのを続けているように思えたが。
「ぁふ、くぅ…!」
「……Shit!」
「まさむねどの?」
「アンタがSexyな声出すから、我慢できなくなっちまったじゃねえか。中もまだ柔らかい上にオレの指に喰らい付いて来る上に、アンタ前もおっ勃てて汁零してやがる」
「っ!申し訳、ござら……んぅ!」
 政宗は身を清めてくれていたのに、それに性感を覚えてしまった自分を恥じ謝罪しようとするが。指を引き抜かれ、代わりに酷く熱いものがそこに宛がわれる感触に、語尾が喘ぎと混じってしまった。
「謝る事はねえがな。オレもアンタの声聞いてただけで、こんなになっちまってる」
 その言葉で宛がわれた熱い塊が政宗自身だとはっきりと理解し、求めてしまっているのは自分だけではないのだと知る。
 振り返り、彼を見つめると。自分と同じように欲を感じさせる政宗と視線が合い。
「んぅ」
 直後噛み付く様な口付けを贈られ、それを享受していると。
「お殿様」
 突如、障子の向こうから声が響き。幸村は驚きで体を固くした。政宗から与えられる接吻ばかりを意識していた幸村は人が訪れた気配に気付かなかったが。対する政宗は、勘付いていたようで。大した動揺も無く、一旦幸村から離れ障子の向こうに声を掛ける。
「何の用だ」
「朝餉の支度が出来ております。こちらに運ばせますか?」
 幸村が脅したあの女子とは違う女子の声。普段の幸村なら、障子一枚しか隔てていない場所で淫らな行為をするなど考えられず。正直、今も先程までの様子を聞かれていたかもしれないと考えると。逃げ出したいほど恥ずかしかったが。
(今の俺は、嫉妬深い正室なのだ。政宗殿が他を見つめる事を一切許さぬほどの)
 だったらどういう行動を取るべきか。少しだけ考えを巡らせた後。
「まさむねどのぉ。このような状態の某を放って、他の者と会話などしないで下され」
 精一杯甘えた声を出しながら、政宗に擦り寄った。
 政宗は少し驚いたような顔を見せた後、幸村の髪を宥める様に梳き、障子の向こうの相手に声を掛ける。
「朝餉はまだ後で良い。ここにはオレが呼ぶまで誰も近付けるな。分かったらさっさと行け」
「……分かりました。失礼いたします」
 女子は主君の命に従い、早々に去って行く。彼女にも幸村が政宗に掛けた声は聞こえていた筈。
 政宗に他を見る事を許さない正室の声、が。

「アンタ、昨日の夜も思ったが、暫く合わない内に随分煽るのが上手くなったじゃねえか」
「そのような事は……」
 政宗が自分の真意には気付いていないのに内心小さく安堵の息を吐いて。けれど自身の体が彼を求めているのは嘘偽りない真実だったから。政宗の腰に誘うように足を絡める。
「まだ中、解れてるな」
 政宗の手がそれに応えるようにして、幸村の足を抱え上げる。
 お互い着流し1枚しか身につけておらず、下帯も既に外していて。二人が繋がるのに時間は掛からなかった。
「ぁあく、ん!」
 昨夜の名残もあり、且つ先程まで政宗の指に掻き回されていた事もあり。幸村の中は柔く解けて政宗の雄を受け入れる。繋がった瞬間のいつものあの幸福感、しかも今回痛みはなく快楽と共に訪れたそれに、幸村がうっとりしていると。
「良い具合になってやがるっ」
 いつもより感じている様子の政宗の声が耳に入って来た。
 普段より少し柔らかいその場所は、政宗にも酷く快感を与えたらしい。
「ひぁあ!」
 激しく揺さぶられ、敏感になっていた中の最も感じる部分を擦られ。幸村は程なく達してしまい、きゅう、と中を締め付けて。
「っ」
「!!」
 直後、政宗も幸村の蕾から自身を引き抜き。熱い精を幸村の腹に撒き散らした。

 それから数週間、幸村は小十郎の協力を受けつつ政宗に気取られぬよう気を付けながら、出来るだけ嫉妬深い妻を演じ。それにより、政宗が居ない所での幸村に対する風当たりは強くなって行った。それでも正室という立場が幸村を守っているようで、直接何かされる事はなかったが。政宗の居ない所では、比喩的な表現ではあるが、あからさまに悪意のある言葉を囁かれる事が多くなった。
 それは幸村自身が望んだものだった筈だが。
 甲斐では信玄の保護や佐助の気転により、悪意に晒される事は少なかった身が。心に幾つも棘が刺さる様な生活に、疲れ切ってしまうのに時間は掛からなかった。

「……顔色が悪ぃな」
「そうでござるか?」
「ああ、アンタこの城に来てから覇気が無くなっちまってる気がする」
「っ……それは政宗殿の気のせいでござる」
「……」
 一瞬動揺してしまったが、誤魔化すように言葉を続ける。そんな幸村に、政宗は表情を歪めたように見えたが。その時はそれ以上の追及はなかった。
「政宗殿、それよりそろそろご政務の時間では。遅れると片倉殿の雷が落ちますぞ」
「……そうだな」
 渋々と言った様子で、部屋から出て行く政宗を見送るべく幸村も立ち上がろうとしたが。
(まずい)
 最近あまり眠れていない事もあり、酷い眩暈を感じてその場に座り込む。暫く安静に座っていれば治るかと思った眩暈は段々と酷くなって行き。
 座って居る事すら困難になり、その場に崩れ落ちる。
「幸村?!」
 霞む意識の中、振り返った政宗が動揺した様子で自分の名を呼ぶ声が、幸村の脳裏に響いた。



「テメエはオレに雇われた医者だろ。それがオレの妻を診たくねえってのはどういう了見だ!」
「……確かに私は殿に雇われております。殿の為にその腕を振るう所存」
「だったら!」
「……私には殿のご正室の存在は、殿の為になるとは到底思えません。体調を崩されているのなら、療養の為甲斐に戻っていただいた方が。それが殿にとってもご正室にとっても最良かと」
「テメエどういう意味だそれは!!」
「恐れながら申し上げます」

(……政宗殿に、ばれてしまうな)
 寝床に横になっていた幸村の耳元に、障子の向こうのやりとりが響く。
 医者の声に交じってたまに小十郎の声も聞こえていて。こうなってしまった以上、彼は全てを主君に話すだろう。
(だが、もう十分に広がったはず)
 だから政宗に知れても大丈夫だと、言い聞かせる。
 しかしそれとは裏腹に、幸村の心は医者の言葉に酷く傷つけられていた。
(……元より俺が望んだのだ、そう思われるように)
 だから、あの会話で心を痛めるのは間違いだ。
 そう言い聞かせても。
 政宗に仕えている者の口からはっきりと。
 政宗の為にならない、と言われるのは辛かった。

「幸村」
「政宗殿?」
 部屋に入ってきたのは政宗一人で。医者は連れていなかった。
(少し心が弱っているだけで、病ではない。故に診ていただいても効果はなかったであろうが……)
 政宗は幸村の寝床の横にしゃがみ込み。
「アンタに、聞きたい事がある。だが今は」
 ゆっくり眠って、心を休めろ。
 言葉と共に、幸村の枕元から少し離れた場所に香炉と思わしきものをそっと置いた。
「西洋の香だ。安眠できる効果があるらしい。俺は普段から使ってたが……アンタは人工的な匂いは苦手かと思って、アンタがここに来てからは使ってなかった」
「……良い香りでござる」
「今日はオレがずっと傍にいる。だから……眠れ」
 幸村はその柔らかい煙を立てる香と、優しく額にかかった髪を払う政宗の手の優しい動きに誘われるように眠りに落ちた。

「何故、自分を貶めるような噂を流させた」
 目覚めた幸村の体調を気遣った後、政宗が告げたのはそんな言葉。
「……政宗殿は、某以外を娶る気はないと申しておられた。それは確かに某にとって喜ばしい事でござったが……この国の、政宗殿の大切な民達はそれを望まぬであろうと……民達が、政宗殿の心を知り、政宗殿が……」
「オレの評判が落ちるのを心配したって訳か。そうなる前に、自分がそう仕向けたと思わせる為に……」
(ああ、やはり政宗殿は敏いお方だ)
 幸村が全部言う前に、悟ってしまったらしい。
(このような敏い方の血を引く御子を、民が、彼に仕えている者が望むのは当たり前、だ)
 あの医者の言うように、自分はこの機に甲斐に帰った方が良いのかもしれない、それが何より政宗の為になるのでは、と後ろ向きな考えに捉えられ始めた幸村に。
 政宗の低い声が落ちた。
「アンタの心は、まだ甲斐にあるのか?」
「政宗殿?」
 質問の意図が分からず、首を傾げる。
「この地に、オレの傍に在りながら、奥州に嫁入りしておきながら……アンタの心はまだ甲斐のものか?」
「……お館様に忠義は残しておりまするが、この幸村、政宗殿のもとに、政宗殿をお慕いする気持ちと共に、輿入れした次第でござる」
 政宗がの望む答えは分からなかったが、自身の気持ちを正直に答える。
「だったら……アンタも、オレの。奥州の民、だろ」
「っ!」
「しかもアンタはオレの妻で。オレが最も大事にしたいと思っている相手……最も大切な民、だ」
 そんな相手に、自らを貶める噂を流させて、周囲もその噂を肯定して。
 オレが平気だと思うのか。

「まさむねどの……」
「オレを想うなら、もう自分を貶めるのは、嫌な正室の演技をするはやめろ。小十郎が協力してたからオレの耳に噂が入ってこなかったんだろうが……それでもアンタの様子がおかしいのにもっと早く気付くべきだった。アンタが倒れるほどに心労を抱えているのに気付くべきだった」
 唇を噛みしめる政宗は、深い後悔を抱えているように見えて。彼の為にと思ってやった行動が、結果的には自分を大事にしてくれている彼を傷付けてしまったのを知った。
「政宗殿……この幸村の浅慮をお許し下され……」
 政宗の、優秀な国主という立場を守りたいが故の行動だったが、それが彼を苦しめては意味を持たない。幸村は謝罪を告げる。
「……なあ、アンタはオレなんかよりよっぽど人格者だ。噂が広まっちまったのは、アンタの見合い話を聞いて、嫁入りを急ぎアンタの味方を増やせねえままこの城に迎え入れたオレにも確かに責はある。だが」
 アンタがいつものアンタのままで、ここで暮らしていけば。
 味方はきっと増える。
 だからもう、自分を偽るのはやめて、いつものアンタのままでこの城で過ごせ。

 政宗の言葉に、幸村がゆっくりと頷くと。
 政宗が僅かに口の端を上げて笑んだ。
 もとより演じるのには限界が来ていた。その演技が政宗を傷付けるとなれば、余計に演じる必要はない。
「?政宗殿?」
 横になっている幸村の横に、政宗がその身を潜り込ませてきて、少し動揺した声が漏れる。
「いつも夜は一緒に寝てんだろうが」
「それは確かにそうでござるが……ご政務はよろしいので?」
「今日はアンタにずっとついとくって言っただろ。政務は小十郎に押し付けてきた、今日の分だけな……アンタの行動をオレに報告しなかった罰だ」
「!政宗殿、片倉殿に咎はなにもっ某が政宗殿には知られたくないとお願いした次第……!」
「それも分かってる。だがアイツはオレの部下だ。アンタの頼みを無視してオレに知らせる事も出来たはず……そんなに心配そうな顔しなくても、別に本気で怒ってるわけじゃねえ。ただ……小十郎がオレに言わなかったってのは……アンタの悪い噂が広がる手伝いをしたってのは……アイツもオレの心じゃなく立場を優先したのかってな」
「!……片倉殿が政宗殿の国主としての立場を重んじるのは、家臣として当然の事でっ…!!」
 更に言い募ろうとした幸村を、政宗が抱きしめる事で止める。
「ああ、そうだな。……だが小十郎はオレ以外にこの城でアンタを守る事が出来る数少ない人物、だ……アンタの心を傷付けるような行為を、オレの心を蔑ろにするような行動の手助けして欲しくなかった……まあ伊達家臣にそれを求めるのは……オレのわがまま、だな」
 小十郎には、今後アンタがオレの為に自分の身を傷付けるような行為をしそうだったら、隠さずオレに伝えろ、って命令した。
「……申し訳、ござらぬ」
「アンタが謝る事じゃねえ」
「しかし、某が片倉殿にあのような頼みごとをしなければ……」
 自分の行動が二人の関係に影を落としてしまったのでは、と俯く幸村に。
 こんな事位でオレとアイツの関係は変わらねえよ、と政宗の声が落ちてきて。
 自身を安心させるようなその声音に。幸村は小さく息を吐いて。政宗の胸に頭を擦り寄せた。

「政宗様、今日はご政務に戻っていただきます。もう朝ですぞ」
「!」
 障子の向こうから掛けられた小十郎の声に、まず反応したのは幸村だった。
(あのままずっと眠って?!)
 昼、政宗が床に入ってきた後また眠りに落ち。今度は朝まで目覚めなかったらしい。
 ここまで熟睡したのは、この城に来て以来初めてな気がする。
「政宗殿、起きて下され」
 隣の政宗は瞳は閉じているものの、気配から意識は目覚めているのが分かる。だが彼が起き上がる気配はなく。小十郎の雷が落ちるのを心配し、幸村は政宗を揺する。
 仕方ないといった様子で、渋々と体を起こした彼は。まず障子の向こうの小十郎に声を掛けた。
「飯位食わせろ。食ったら行く」
「必ずですぞ!……朝餉はこちらに運ばせます」
 仕方ない、と言った様子でそう言い残して小十郎は去っていく。
 そのやりとりがいつもの二人と何ら変わらないのを感じ、幸村は安堵した。

「このような場所があったのでござるな」
「アンタ、輿入れして来て以来ほとんど部屋から出てなかったから、な。城の中も外も余り知らねえだろ。これから時間がある時には案内してやる」
「有難うございまする」
 あの日から、政宗は幸村を部屋の外に連れ出す事が多くなった。
 今日も彼に連れられ、城の裏にある小さな可愛らしい野花達が咲き誇る庭を訪れている。
 噂は、政宗がもしかしたら幸村の居ない所で否定をしたのかもしれない。
 以前のように直接悪意のある視線を受ける事は幾分か減った。
「まさむねどの?」
 幸村を縁側に座るように促した彼は、幸村が腰を下ろした後も立ったまま、で。首を傾げると。
「少しここで景色でも眺めときな。オレはちょっとやる事が出来た」
 幸村の横髪を少し指に絡めた後、政宗は背を向ける。
 部屋の外で一人になるのは、輿入れして以来初めてで。
 以前より悪意を受けるのは少なくなったとはいえ噂はそう簡単には消せないだろう。それ故一人で過ごすにはまだ不安がある。
 去っていく政宗の背を、少し心細い気持ちを抱え、見送った。
(政宗殿はご多忙なのだ。いつも俺についているなど無理な話……慣れねば)
 言い聞かせるものの、心は落ち着かない。
 そんな幸村に突如。
「御前、お茶をお持ちしました」
 と声が掛かった。
 振り向くと、小さめの盆に湯気の立つ湯呑と茶菓子を携えた若い男が立っている。
 今まで噂のせいで、自分に近付く使用人など居なかった。城中でこんな男を見掛けた事も無い。
(この気配は……)
 この男は単なる使用人ではないだろう。ただの使用人が、幸村に存在を悟られず近付ける筈もない。
 暫し悩んだ後、幸村はこの男の気配に覚えがある、と結論付ける。だが。
(この城に、居る筈がない……姿形も違う……いや姿形を変える事など容易、か。しかし)
 自分が今思い浮かべている人物は。自分の命を受け、信玄のもとでその力を。武田の、甲斐の為に奮っているはず。
 そう思いながらも、幸村は男に呼び掛けていた。

「さすけ」
 と。


「あーやっぱり旦那は誤魔化せないか」
 男の声音が、聞き慣れたものに代わり。右手がその顔を隠すように一撫でした後。そこに在るのは確かに幸村の部下である忍・佐助の姿だった。
「佐助、どうしてここに」
「いやー、旦那がここに来てもう結構時間経ってるよね?旦那が甲斐に居れば、任務で離れてても報告してくれる者も居るから、仕事に専念出来てたんだけど。……奥州に居る今はさ、旦那の情報殆ど入ってこないじゃない?んでお館様から任されたお仕事にも集中できなくなっちゃってさー。軽い失敗増えちゃってねえ。お館様から『そんなに気になるなら行って来るが良い!」って、駄目出し喰らっちゃったわけよ」
「……それは、嘘、であろう?」
「はー、こっちも誤魔化されてくれないか」
 佐助の忍びとしての能力は一流、また性格も公私混同をするような種ではない。むしろ割り切れる方だ。幸村自身に何かあったと言う噂を耳にしたのならともかく、今は彼が先述の理由で、ここに居るなど信じられない。そんな佐助が今この奥州に在るのは恐らく。
「……政宗殿が、呼んだのだな?」
「あんま言いたくないけど、正解。端々に本当は嫌だって滲ませながらも奥州に来いって文が届いたよ、俺様宛てに」
(やはり……)
 幸村は輿入れの際に、自分の部下を一切連れて来ていない。最初、佐助を始めとした自分の部下を伊達の兵力として共にこの城に、と考えていた。また、伊達の側も姫ではない武将を娶るのだからこそ、それを望んでいるだろうと思い、政宗に提案したのだが。彼は意外にも拒否した。佐助は政宗を嫌いだと公言していたし、政宗の方もあまり良く思っていないようだったから、拒否するのはまあ分かる。だが自分の他の部下たちを拒む理由は、幸村には分からなかった。
 そんな政宗が、佐助を呼んだ理由。それはきっと自分が倒れた事が原因。疲弊したこの心を癒すのに、佐助の存在が必要だと、思ったのだろう。
「旦那、大体の事情は聞いた。……正直、あの男の為に旦那が傷付く必要ないって思ったけど。……あんな事を思い付くほど、旦那はあの男に本気なんだね。だったら、俺様はそんな旦那を守って支えて行くしかないじゃないか」
 お館様も快く送り出してくれたし、あの男も渋々だけど俺様がこの城に留まるのを諾としてる。
 だから真田の旦那、これからはまた甲斐に居た時のように、お傍に仕えさせていただきますよ。

「さすけっ……」
 佐助がこれからはこの城に居てくれる、その安心感に思わず瞳を潤ませ、彼に抱き付こうとした幸村だが。
「?」
「っと、旦那それはなし、ね。俺様まだ死にたくないから」
 少し呆れたような表情を滲ませ、制止する佐助の声に首を傾げる。
「なんだというのだ」
「あっち」
「政宗殿?」
 佐助が指差した先には、先程用があると離れた政宗らしき人影が見える。
「あの男に釘刺されてんのよ、俺様。側付きは許すけど、旦那には出来る限り触るなってね。腹立つけどまあ今旦那は、あの男のお嫁さんだから仕方ないって思う事にした」
 さて、俺様は一旦退散しますよ、でも呼べばいつでも現れるから、と言い残し。佐助がその姿を消す。
「幸村」
 佐助が姿を消した後も、その場に佇んでいた幸村の元に、政宗がやって来る。
「政宗殿、有難うございまする……佐助を」
「……オレはあの猿、どうにも好きになれねえが、アンタにとっては必要、なんだろ」
 それにアイツがいればアンタが今回みたいに苦しむ道は取らせねえだろうし、な。
 静かにそう呟いた後、政宗の手が幸村の背に回り。その体を引き寄せる。周囲に人影は見えなかったから、幸村は素直に政宗の胸に頭を預けた。
「だが、アンタはオレの、だ。あの猿がアンタの信頼の篤い男なのは良く知ってる。だからこそ、ここに呼びたくはなかったんだがな。アンタは分かってなさそうだったが、アンタの部下を奥州の戦力とするのを由としなかったのも、似たような理由だ」
「?」
 政宗の言っている意味が良く分からず、首を傾げる。
「……アンタには遠回しじゃ通用しねえか。……アンタは部下にも気さくに接してるのが容易に想像がつく。オレの半身であるアンタが、アンタを慕ってる部下と仲良くしてるのなんて、見たくねえんだよ。だから兵を断った」
「それは……」
「皆まで言わなきゃ分かんねえか?jealousy、嫉妬、って奴だ」
「……嬉しゅうござる。しかしながら、この幸村既に身は既に政宗殿のもの。心は……全てとは行きませぬが、大半が貴殿への想いで占められておりまする。それ故他に嫉妬する必要など……」
「……分かってはいるんだがな。そうじゃなきゃ、アンタが伊達に輿入れしてくる筈もねえ。だが、アンタに関してはどうも心が狭くなっちまう」
 嫉妬を抱くと言うのは、政宗が自身への執着を示してくれている証。彼の口からそれを改めて聞く事が出来たのは嬉しくて、幸村は彼の胸に甘えるように頭を擦り付ける。だが。政宗の言葉を聞き、浮かんでしまった彼への独占欲は。
 政宗殿も、俺だけのものに。
 という感情は。
 奥州の国主に輿入れしてきた身である自身が抱いて良いものではないのだと、必死に押さえ付けた。

「祭り、でござるか?」
「どちらかというと舞いの会って方が近いかもですね〜」
 段々と城の中の者とも打ち解け、政宗の言うように普段通りに過ごしていた幸村の周囲から、あの噂は薄まって行き。最近は鍛錬場に顔を出し、顔馴染みの兵士達とも世間話をする位になっていた。そんな中で、城で行われる催しの話を兵から伝え聞く。
「本当は先月だったんですが、真田の兄さん、いや御前様が体調崩されてたでしょ。それで筆頭が延期しろって」
「!」
(そのような事、政宗殿は一言も……)
 多分、自分が気に病むと思って、伝えなかったのだろう。彼の負担になりたくない、と思っているのに、その為にと取った浅はかな行動が、彼に余計な手間を掛けてしまっている。
 聞けば、城の大広間を解放し、身分の隔てなく踊りの得意な者がその舞を披露する祭りで。多くの者が楽しみにしているのだと。
 そんな催しを、自分のせいで延期させてしまったのだと、申し訳なくなる。

「ああ、華宴の事か。あれはアンタの体調ってより、催事にアンタが隣に居ねえってのが嫌で延期させた。オレの都合だ、ありゃ」
 政宗はそう言ってくれたが、幸村が倒れなければ予定通りに行われていた筈なのだ。
「アンタがそんな顔する必要ねえ。……そういや、アンタは舞えるのか?」
「某は……」
 気にするな、というように幸村の頭を軽く撫でながら政宗が尋ねてくる。質問に、どう答えようか幸村は悩んだ。
(きちんとした型を踏んだ舞は習った事はないが……)
「……おい猿、居るんだろ」
 中々返事をしない幸村を不思議に思ったらしい政宗が、天井に向かって声を掛けると。すぐに佐助が部屋に姿を現した。
「能とか神楽とかのきっちりした舞じゃないけど、旦那は踊れるよ。ちょっと変わった諏の舞だけど、アンタに恥をかかす様な事はないと思う」
「どんな舞でもオレが恥に思う事はねえ。舞えるんなら着物も用意しないとな」
「だったら」
 自分はまだ舞うと言っていないのに、政宗と佐助は、既に決定しているかのように話を進めていく。
(舞う事は嫌ではない……だが)
 佐助の言っていたように、幸村の舞は少し変わっている。それを見て、他の者がどう思うかが少し不安だったし、何より、政宗が舞を気に入らない時の事を考えると怖くて。すぐに舞えるという言葉は返せなかったのだ。
 だが、今こちらに視線を向ける政宗は、明らかに自分の舞を楽しみにしている様子で。しかも彼はどんな舞でも恥に思う事はないと言ってくれた。
(ならば)
 全力で踊るのみ、だ。

「政宗様」
「何だ小十郎」
「華宴の事で打ち合わせをと、例の色街の女芸者がお目通りを求めておりますが、如何しますか」
「?今年からはアイツとの舞は無しだと文を出した筈だが。オレ以外の奴と舞うようにと」
「どうやら相手方は文の内容に納得していないようですな」
「めんどくせーが会って話すしかねえか。あの女は一応華宴のMaineだからな。ここに通せ」
「承知しました」
 既に日も暮れかかった時刻。政宗と、襖の向こうで彼に来訪者を告げる小十郎の会話を。幸村は寝転んだ政宗に膝枕をしている状態で聞いていた。
 色町の芸者、しかも目通りを許されている身分という事は。
(……政宗殿と体を重ねた経験もあるのでござろうな)
 今の政宗は幸村以外と関係を持ってはいないだろうが。
 過去に彼の寵愛を受けていた可能性が高い者の来訪。
 政宗の立場上、そういう人物は少なくない筈。
 いちいち気にしていては身が持たないと思いながらも。
 ざわめく心を止める事は出来なかった。



「あの、政宗殿……このままでよろしいのでござるか?」
 部屋のほど近くに、恐らく目通りを許した者とそのお付と思わしき数人の気配を感じ、それらはこちらへ近付いて来ている。それなのに。
「アンタと二人の時間を邪魔しに来たのはあっちだ。歓迎してやる必要なんてないだろ」
 そう不機嫌を滲ませて零した政宗は、幸村の膝に頭を預け寝転んだままだった。
「政宗様、――でございます。夜分に申し訳」
「そう思うんならとっとと用件済ませて帰りな」
「まあ相変わらず連れない方ですこと」
 芸者の名前は、幸村にはよく聞き取れなかった。だが別に知りたいとは思わないから、政宗に尋ねる事もしない。
(しかしこの不機嫌そうな政宗殿の声に、あのように軽く返せるなど)
 それは、彼女と政宗の付き合いの長さを示しているような気がして。幸村の胸に小さな影が落ちた。
「お邪魔致します」
 障子がゆっくりと開く。
 頭を下げたままの彼女とそのお付きに、政宗が顔を上げな、と告げた後。
 政宗は相変わらず体を起こさないでいたから。まず彼女と視線が合ったのは。幸村だった。
(……っ)
 人の美醜にはあまりこだわらない性質だが。今自分の目の前にいる女は。芸者である故か少し化粧が派手過ぎるきらいはあるものの。誰が見ても美しいと形容するであろう容姿を持っていた。政宗が、好んで愛でていたとしても可笑しくない。いやむしろ、似合いの二人、と思えた。政宗とこの芸者が並んだ姿は酷く絵になるだろう。
 芸者が無遠慮な値踏みするような視線で、こちらを見る。そして、ふっと笑った。勝ち誇ったようなその笑みに耐え切れず、幸村は俯く。
(俺は、愛でられるための華ではない。戦の華と言われる事はあっても、それ以外の場では……)
 それは自分でも良く分かっているのだから、そんな風に笑わないでほしい。自分の方が政宗に相応しいとでも言いたげな顔で笑わないでほしい。
 そんな事は何より己が知っているのだから。
「おい」
 政宗の低い声が部屋に響く。
「っ」
 幸村は自分が、膝の上の彼の着物の襟を強く握り締めていた事に気付き、慌てて離す。だが。
「俺の正室だ、あんまりジロジロ見るんじゃねえ」
 政宗の声の棘。その原因は、己ではなかったらしい。
 芸者は、そこで初めて政宗がどのような体勢で居たか気付いたらしい。美しい顔が僅かに引き攣った。
「まあ政宗様。そのような御恰好で。御前様の御膝はそんなに居心地がよろしいので?噂に聞けば御前様は名のある武人との事。膝枕として御前様の足は些か硬いのでは?」
「……テメエはオレの機嫌をよっぽど損ねたいらしいな」
「っ申し訳ございません!」
僅かに放たれた殺気に、女がぴくりと怯えるように体を揺らした後、平伏する。
「……政宗殿、某の膝が固いのは事実でござる」
 本当の事なのだから、怒る必要はないと、彼を宥める。
「Ah?オレに取っちゃ丁度良いぜ。オレは柔い枕は嫌いだしな」
 そう言いながら自分の頬に手を伸ばしてくる政宗に。
 女の態度と言葉で冷えた心が暖かくなる。
「で、宴の打ち合わせってのは何だ。今年は一人で舞えと伝えたよな?だったら打ち合わせなんて必要ねえはずだ」
「……確かにそのような文をいただきましたが……政宗様と私の舞は華宴での中心行事。毎年、皆政宗様と、私の舞を楽しみにされております。それが無くなるのは私だけでなく、他の方々も納得なさらないかと……」
「……オレには今正室が居るんだぜ?それなのにあれを舞えと?」
「そのように難しく考えずとも、あれは確かに男女の恋を表現したものでございますが。舞い手が本当の恋人である必要はどこにもありません」
「……オレが、嫌なんだよ。例え単なる祭りの出し物の一部だとしても。オレがこの正室の前で、他の女と踊るなんて無理だ。分かったらさっさと帰りな。一人で舞うのが嫌なら、誰かほかの男を見付けて舞えばいいだろうが。そいつを雇う金が必要なら存分に出してやる」
 そう言い捨てて、政宗は隻眼を閉じてしまう。
 仕方なくといった様子で引き下がる芸者とその付き人を。幸村は複雑な面持ちで見送った。
 政宗が自分がいるから、恋の舞など、と言ってくれたのは嬉しい。けれど。
(あの者と政宗殿が舞う姿は確かに美しいであろうな)
 皆が楽しみにしていると言うのも頷ける。
 その楽しみを、自分が。決して奥州の者に歓迎されている訳ではない自分の存在が。
 奪ってしまって……良いのだろうか。

「旦那?何か元気ないね」
「そんな事は」
 否定しながらも以前倒れた時ほどではないが、自分の気分が低下している自覚は幸村にもある。ただ心配を掛けたくないから、認めないだけで。
「……無理に聞き出すなんて真似はしないけど、何かあったんなら言ってよね。俺様旦那の力になる為にここに来たんだから」
「ああ、有難う佐助」
(だが今回の事はほんとに大したことではないのだ。あのような事で傷付く俺の心が弱いだけで……)
 ちょっと見回りしてくる、と言い残し佐助が姿を消す。従者の消えた空間を畳に腰を下ろしたまま見つめながら。
 幸村はここ最近自分に向けられたこの城の者達の言葉を思い返し。
 かり、と小さく畳に爪を立てた。
 あの芸者が言いふらしたのかは定かではないが。政宗が宴の席で舞わないと言った事は城に住む者達に伝わっていて。そして彼らはその理由を少し勘違いしているようだった。
(……いや、勘違い、しているのは俺の方かも知れぬ、な)
 あの夜、幸村の膝の上で政宗は。自分が居るから他の者と舞うのは、まして恋を表現した踊りなど、と芸者の訴えを一蹴した。けれど。城内には。政宗が自分の存在に遠慮して舞わないのだ、と伝わってしまっているらしい。そしてここ最近。幸村自身もそれが正しいのでは、と少し考えるようになっていた。
(……あの言葉は本心ではなく、俺を不安にさせないための政宗殿の優しさ、かもしれぬ)
 付き合いの長いらしいあの芸者は、それを悟ったのかもしれない。
(それに。……俺はやはり政宗殿の隣に相応しいものとは、皆に思われておらぬし)
 沈んでいる一番の理由は、それ。だった。
 以前の噂は払拭され、幸村を慕う者も城内に幾分か現れていたが。この身が政宗の本当の正室、と思っている者は少ないのだと。数日前の鍛錬場で聞かされた、ある兵の言葉で思い知らされていた。
 まだ年若いその兵は。得意武器を槍としていて。二槍を操る幸村に尊敬の念を抱いている、と以前伝えてくれた事がある。そんな彼だから、あの言葉も悪気があってのものではないだろう。だが、いや悪気が無いからこそ。あの言葉は幸村の胸に刺さり。更に周りのものが、その言葉に納得した事実が。棘となって幸村の心を抉った。

「俺去年初めて見たんですけど、本当にきれいなんですよ筆頭と――さんの舞。幸村様も見たいと思いません?」
 頷く事が出来ずに、曖昧に笑む。
 そんな幸村の様子は目に入っていないのか、兵は更に言葉を続けた。
「幸村様が説得して下されば、筆頭も納得しますって!皆見たいって思ってるはずです。お願いします。それに、筆頭と幸村様って政略結婚、ですよね?筆頭はしょっちゅう持ってこられる縁談話にうんざりしてたって話聞いてますし。幸村様はあまり女の人が得意じゃない。お二人が婚姻を結んだのはその辺りが原因でしょう?ご正室を娶れば、幾分縁談話も減るでしょうし。それに甲斐と奥州が同盟を結べばお互い大きな利になる」
 口に出した自分の考えに、うんうん、と頷く兵に。周囲の者達も「ああ」と納得した様子を見せる。ただ幾人か。政宗にほど近く仕えている数人。恐らく政宗と幸村の事情を知っている彼等だけが。青い顔をしてこちらを見ていたから。
 幸村は彼らを安心させるように微笑みかける。
 けれど。心の中では。
(違う……!俺は政宗殿に望まれて……政宗殿の半身として……自分の意志で傍に居たくて。この城に来たのだ)
 そんな想いが強く、渦巻いていたが。それを口に出す事は。この場の空気を乱す様な事は。幸村には出来なかった。
「御前様、そろそろ部屋にお戻りになった方が」
「そうっす、風も冷えてきたし!」
 かつては戦場で自分の事を「真田の兄さん」と呼んでいた彼らが、自身を気遣うようにここから離れた方が、と差し障りのない言葉で告げる。
 件の若い兵は幸村とまだ話したそうにしていたが。これ以上ここに居るのは苦しくて。
 幸村は部屋に戻る旨を彼らに告げ、鍛錬場を去った。
 運悪く、この日の朝から政宗は出掛けていて。
 いつもは彼に抱かれ、自身が彼の半身である事を再確認すれば。苦しい気持ちも消化できていたが。この日はそれも叶わず。

「そろそろ、お戻りになるだろうか」
 そして政宗が未だ帰城していない故に今もなお、幸村は行き場のない気持ちを抱えたままだった。
 見回りに行く、と佐助は言っていたが。あれは多分沈んでいる自身の為に、帰って来る政宗の姿が見えないか確認しに行ってくれたのだ。
(城の者の楽しみを奪ってしまうのは辛い。だが……)
 自分の心をないがしろにして、政宗に他者と舞を。しかも恋を表現した踊りを、と説得するなど。幸村にはできそうになく。
 胸の内がぐちゃぐちゃで。
「まさむねどの」
 幸村は助けを呼ぶように、彼の名を力なく呟いた後。
 畳に突っ伏した。


「旦那、もうすぐ戻って来るみたいだよ」
 佐助の言葉に幸村は、そうか、と小さく返す。誰がとは聞き返さない。この城の中で幸村が帰還を待つ相手など政宗一人。
 佐助が時間を示さずもうすぐというなら、彼は程なく城に帰って来るだろう。
 政宗の帰りを、幸村は待ち望んでいた。
 出迎えに向かおうとしたのだが。幸村が部屋を出るより早く。
 城内が騒がしくなり。
 それは主の帰還を示していた。
 大勢の者が彼に声を掛ける中。その輪に近寄りがたく。少し遠くで見守っていた幸村だが。
 政宗の視線が一瞬こちらを向き。
 直後。
 部屋に戻る、と政宗が告げ。周囲の人垣は各々の持ち場へと戻って行ったようだった。
 政宗はこちらへ、幸村の方へ歩いて来る。
「お帰りなさいませ」
 頭を下げると。
「ああ、アンタちょっと出れるか?」
「え?」
「見せておきてぇのがある」
「某は大丈夫でござるが、政宗殿はご帰還したばかりでお疲れでは」
「戦に行ってたんじゃねえからな。大して疲れてねえよ。馬の用意させとくから、その間にアンタも遠乗り出来る格好に着替えな」
 了承の意を伝え、着替えるために部屋に戻る。政宗はそのままの格好で出るようだったから、余り待たせては、と慌てて着替えた。

「こっちだ、着いて来な!」
 いつもの彼の愛馬ではなく、白い馬で政宗が駆ける。恐らく愛馬は旅で疲れているだろうと、休ませているのだろう。馬が変わっても彼の馬を操る腕は勿論衰える筈も無く。
 自身も武田では騎馬隊の隊長だったのだ、彼に劣っては、と政宗が用意してくれた栗毛の馬を駆る。
「ここは?」
 城からかなり離れた場所。周りに何もない、広く開けた台地。そこに、これから家を建てようとしているかのような土台だけがある。
「ここに、アンタと手合せする為の道場を作ろうと思ってな」
「?道場なら城にも立派なものが」
「ああ、オレも最初は城のを使うつもりでいたんだが」
「?」
「小十郎にな、城でオレとアンタが手合せをしては、アンタの立場が辛くなるかもしれねえ、って言われてな」
「!」
 幸村も今、政宗の言葉で初めて気付いたが。あの城の中で、幸村は政宗の妻なのだ。妻と言うのは夫に従う存在。そんな自分が、例え手合せと言えど、政宗と打ち合う様子は、城の者に良い印象を与えないだろう。
「アンタを妻として大事に愛したい気持ちと同時に、アンタとライバルとして思いっきり打ち合いたい気持ちがある。どっちも捨てたくはねえからな。城の奴らに見付からない場所に、道場を建てる事にした。それが此処だ」
 帰りが遅くなったのは、この道場を建てる材料として木材問屋を見に行ってたんだが、中々気に入るのがが、なくってな。

「政宗殿との手合せは以前もお伝えいたしましたが、某にとって大変喜ばしい事でござるが……その為にここまでしていただくなど……」
「アンタの為ってより、オレの為だこれは。だから気にする事はねえ」
 完成はちっと先になるが、完成したらここはアンタとオレ二人だけの場所だ。
 本心ではあるだろうが、同時に幸村を気遣っての言葉でもあるだろう。
 言葉で礼を告げればきっと押し問答になってしまうだろうから。幸村は心の中でだけ彼へ感謝の気持ちを告げた。

「ちょっと、旦那を傾国とか呼ばせないでよ。何この高そうな細工!」
「AH?大した額じゃねえよ。馴染みでかなり引いて貰ってるしな。自分の妻を飾りたてて何が悪い。別に普段つけろって訳じゃねえからな。普段はこんなもん邪魔だろうし。アンタが宴で舞う時にでも気が向いたら付けてくれたら良い」
 政宗の言葉は、前半は佐助、後半は幸村へ向けられたものだ。
 道場を建てる予定の場所から城へ戻った後。政宗は自室で幸村への土産だと、銀細工の腕飾りや足飾り。そういうものへの知識が薄い幸村にでも、一目で上等な品だと分かるほどのものだった。
 どうやら宴の際の装飾品として買って来てくれたものらしい。
「布もずいぶん上等なの買って来てくれちゃって……」
「それもテメエの指定した寸法が普通よりずっと短かったから大した額掛かってねえよ」
「これはこの位あればいいの!」
 お互いが嫌っている割に、随分会話が弾んでいるなあと幸村は二人を見守っていたが。
「あ、これ旦那の舞の装束用の布だから。じゃなきゃこの男に買い物なんて頼まないし!」
 と、佐助が釘を刺すと。
「オレもアンタのモノじゃなかったら、コイツの頼みで買い物なんてするかよ」
 等と政宗も幸村にそう伝えるのだった。

「オレが居ない間、何も無かったか?」
 褥で、幸村の解いた髪を政宗が指で梳きながら尋ねる。
 城で何か問題があれば、それは自分ではなく小十郎や彼の家臣を通して政宗へと伝わるだろう。幸村はまだ、伊達家の内情に通じるのを許された立場ではない。だから政宗が言っている何かと言うのは、幸村個人の周囲の話だ。
 兵達との会話を思い出す。
(城の者達の事を想うなら……)
 政宗にあの者と舞をと告げるべきなのかもしれないが。政宗に触れられている今、やはりそれを告げる事は出来なくて。
「何もありませぬ」
 幸村はそう答えていた。
「ならいい」
 言葉と共に髪を触っていた政宗の手が、幸村の頬を包む。口付けられる予感がした幸村は、瞼を閉じてそれを待った。
「んっふ」
 口付けは思いの外深いもので。
 政宗の唇が離れた時には、幸村の瞳には生理的な涙が溜まっていた。政宗の舌がその涙を舐めとり、同時に手が幸村の身に付けていた単衣に掛かる。
「アンタが不足しちまってる」
「某も」
 元より、政宗が帰って来たら、彼に抱かれたいと。あの繋がった故の充足感を、と思っていた。
 政宗に、幸村は一言だけそう返し。着物を脱がして行くその手に身を任せた。

「ふぅっ」
 離れている間の想いをぶつけるかの如く、政宗の愛撫は執拗なものだった。胸の尖りを吸われながら、同時に後ろの狭い場所に指を差し入れられ押し広げられて。幸村の口から耐え切れなかった喘ぎが零れる。
「まさむねどのっ……」
 彼の舌や指に翻弄されるのは嫌ではないが。幸村が今最も求めているのは。彼と繋がり得られるあの感覚。
 だから。
 もう慣らすのは充分だと。
 早くこの身と繋がって欲しい、と。
 幸村は。指を抜いた政宗の前に。
 誘うかのように足を大きく開いていた。

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