はつこい 後編
「やめろ!……っ」
伸びて来た男達の手に、怯えた声を上げ。
その自分の声で目を覚ました。
(ゆ、め)
だが起き上がろうとした体に襲った痛みは、夢が現実にあった事なのを幸村に教えていて。
「く、ぅっ」
頬に涙が伝った。
(……俺は、政宗殿以外に……っ)
はっきりとは覚えていないが、尻の奥に痛みが残っているからには、この体は男達に最後まで犯されてしまったのだろう。
(しかもそれを、政宗殿に見られて……)
彼が来てくれたのは嬉しかった。だが同時に。他の男に、見ず知らずの男達に襲われている様子など、見られたくはなかった。
(……どう、思われたのであろうか)
鈍痛に苛まれながらゆっくりと体を起こし、部屋を見回して。
「まさむねどの?」
異変に気付いた。
幸村がベッドの上から見た限りでは、政宗の私物が全く目に入らないのだ。元からお互い私物が多い方ではないが、それでも普段はいくらかの、雑誌や腕時計、ペンなどの私物が目に入る場所に置かれていた。それが今は全くない。
(いつもハンガーに掛けてある制服が無いのは、すでに登校されたから?……)
だが時計はまだ幸村の朝練の時間にすらなっていなくて。それは考え難い。
酷い緊張感に苛まれながら、ベッドから降り。覚束ない足取りで政宗が使っているクローゼットへ向かい。
その扉を開け、中を見て。
「……」
言葉を失った。
そこには政宗の普段着が収まっている筈だった。だが今幸村の視界に広がるそこは、何もないただのがらんとした空間。
(まさむね、どの……どこ、に)
彼の存在を示すものが、今のこの部屋には何もない。
(この部屋は、政宗殿のもの、なのに)
自分は彼の部屋に居候させてもらっている身。
彼が居ない以上、自分もこの部屋に住む事は出来ない。
途方に暮れた幸村の視界に。
政宗のベッドの上に置かれている一枚のメモが映った。
「……」
震える手でそれを拾い上げる。
「まさむねどの、なぜ?」
そこには政宗の字で言葉が記されていた。
『オレはもうこの部屋には戻ってこないが。ここはアンタの卒業までアンタ一人の部屋だ。アンタを襲った連中は警察に引き渡したから、安心しな。大会は、直接声を掛ける事はねえだろうが会場の隅でアンタを見守っとく。約束したからな』
更に最後に少し乱れた文字で。
悪かったな、と記されているそれ。
幸村には、政宗が何に対して謝罪しているのかが、分からなかったし、手紙からは彼が消えた理由も読み取れない。けれど。
政宗がもうここに帰って来る事はないのだと思うと。
彼と共にこの部屋で過ごす事はもうないのだと思うと。
酷く苦しい。
「……あさ、か」
昨日は政宗が居ない事が信じられなくて、一日中部屋から出ず、部活も授業も忘れ、ただ呆と過ごした。翌日、目覚めて相変わらず政宗の気配は感じられなくて。彼が居なくなってしまったのを改めて思い知らされる。
(……2日連続で部活も授業もサボっては……)
自分はスポーツ特待生なのだ。今日行かなければ特待生としての待遇に影響が出るかもしれない。それは幸村にとって大袈裟ではなく死活問題だ。
重い体を引きずりシャワーを浴びて、朝練に向かう。
部活棟へと歩く道のりで、何となく道路の方に視線を向けて。
(政宗殿?!)
校門の向こう、通り過ぎて行く車の中に、彼の姿が見えた気がして。
反射的に走り出していた。
しかし相手は車。追い付けない、と半ば諦めかけていた所で車のスピードがゆっくりと緩む。好機と駆け寄ろうとした幸村は。車が停まったすぐ傍らの道に立っている若い、自分とあまり年の変わらないように見える女性の姿を見て、足を止めた。
運転手らしき人物が車から降りて来て、後部座席のドアを開ける。立っていた女性は当たり前のように車内へとその身を車の中へと移動した。
政宗の隣へ、と。
『住む世界が違う』
以前顧問に言われた言葉が、現実感を持って頭に響く。
あの女性は政宗の『婚約者』、だろうと。幸村の直感が告げていた。
車は立ち竦む幸村に全く気付いた様子はなく、再び走り出す。
その様子を、ただ見送る事しか出来なかった。
「……」
朝練にも授業にも身が入らず。顔色が優れない、体調が悪いのであれば早退を、と言ってくれた担任の言葉に甘え。幸村は3限目途中で早退し、寮に戻った。
ベッドに体を投げ出し、考えるのは今朝見掛けた政宗の事。
(この部屋から姿を消した政宗殿が……婚約者と共に)
それは、政宗がもう自分から、興味を失ってしまった証のように思えた。
何故、と考えて。すぐに理由に思い至る。
(政宗殿は、穢されたこの身を確かに見た……)
政宗の相手をしたい者は沢山居る。顧問も言っていたし、自分も今まで彼女たちの嫉妬を受けて来たではないか。
そんな人物が、他の男、しかも複数の男達に体を奪われた自分に興味を失くすのは当たり前ではないか。気遣うような言葉を記してくれたのは、別れの本当の理由を自身が悟らない様にという彼の優しさだったのだろう。
「ふ、くぅっ」
だが、当たり前だと言い聞かせながらも、その考えは幸村の心に大きなダメージを与え。
知らずと涙が零れた。
(あの夜、政宗殿に気持ちを伝えていれば……)
顧問の言葉を聞き、臆病になる前に。共に風呂に入ったあの日に、彼へ自分の気持ちを伝えていれば。彼に全てを捧げていれば。
もしかしたら、こんな風に突然の別れを突き付けられる事は、なかったのかもしれない。
(まさむねどの……俺は、馬鹿だ)
彼と、恋人としての思い出を作った後の別れの辛さを恐れる余りに、彼との関係の変化を拒み。彼を失ってしまった自分が滑稽だった。
だが政宗が居なくなった今も、恐らくは彼が幸村に興味を失ってしまった今も。幸村の心はどうしようもなく政宗を求めている。
彼に会いたいと、思っている。
この、コントロールできない感情こそ、本当の恋なのだろうと。今更ながらに思い知らされる。
(確か以前教えていただいた携帯電話の番号が)
かけても冷たい言葉が返って来るかもしれない。だがそれでも。政宗の声が聞きたい。彼と出会って以来、一日全く声を聞かない事などなかった。
幸村は携帯を持っていないから。10円玉と100円玉を数枚づつ握り締め、寮に設置されているかなり旧式の公衆電話へと向かい。
震える指で以前聞いた政宗の携帯の番号を回したのだが。
受話器から流れて来たのは「現在使われておりません」のアナウンスで。
自分と政宗を唯一繋いでくれるはずだったそれが、今は使用されていないと言う。となれば、この番号には幾らかけても無駄なのだ。
立ち竦んでいた幸村の脳裏に、政宗が残したメモが思い浮かぶ。
(……試合、見に来て下さる、と)
約束は守ってくれる男だと、共に生活している中で感じていた。興味を失ったはずの自分の試合を見に行くとわざわざ書き記したのは、彼の実は律儀な性格故の誠意だろう。
政宗が寮から消えた今。自分が彼の情報を他の者に求めるのは難しい。学校関係者は、あの顧問のように、政宗が幸村に向けていた感情を良く思っていなかった者も多いだろうから。だから。
(本大会まで進めば、見に来て下さるはず……)
今の幸村には、それを拠り所にして。
部活に励むしか、政宗に会う方法は思い浮かばなかった。
「政宗様、この携帯電源が入っていないようですが」
「ああ、それはもう解約したからな」
元より学校内で、幸村と連絡を取る専用に契約していた携帯、だ。
(……まあもっとも幸村から連絡があった事なんてなかったが)
何かアクションを起こす時は殆ど自分から、だった。幸村が自分に何か求めた事と言えば。
(あの、風呂の誘いと……後、試合見に来て欲しいって事くらい、か)
もっとも今は、自分が彼を穢してしまった今は。幸村が自分に来て欲しいと考えているとは思えない。けれど。
政宗としては遠くからでも、彼を見守りたかった。だから約束、という言葉で、自分の行動を正当化するようなメモを残した。
元より性根の優しい幸村なら、それくらいなら許してもらえるだろう、とずるい考えで。
「それにしても政宗様、あちらの方は本当に進めてよろしいので?」
「ああ、構わねえ」
(オレの唯一にして本気の恋は……もう叶わねえものになっちまったしな。アイツ以外なら誰を相手にしようと同じ、だ)
2日連続で部活をサボった後、かなり緊張して朝練の為部室に向かった幸村だが。顧問からのおとがめは軽い口頭での注意に留まり。その後も顧問から暴力を受けるようなことはなく。
幸村は集中して部活に取り組む事が出来ていた。
「はぁっ……」
部活を終え、寮の部屋の床に倒れ込む。今日は特に疲れ切った様子の体は、ベッドに辿り着く事さえ困難で。床の上で暫し休息を取る事にした。
部屋の鍵を自分で開けるのにも慣れて来たが。それは政宗が離れてからの時の経過を思い知らされた気がして、胸の奥が痛んだ。
普段は床ではなくベッドで休んだ後、シャワーを浴びるのだが、今日は中々その気力が起きない。
部活を終え、寮へと帰る途中。2年、3年の女子生徒の集団に掴まった。どうやら彼女たちは政宗に心を向けていた者達のようで。
幸村に政宗の居場所を尋ねて来た。
当然「知らない」と答えるしかなく。納得しない表情の彼女達に、更に何か言われるかと身構えた幸村だが。不満そうながらも、それ以上の追及は無く。
ホッと息を吐き頭を下げ、今度こそ寮へと歩き出した所に。
自分とは逆方向に去って行く女子生徒たちの会話が耳に入って来た。
『伊達君、担任が自主退学扱いになってるって言ってたけど、なんでだろうね。あの様子じゃあの子も理由知ってそうにないし』
(政宗殿が自主退学……)
素行は兎も角、成績優秀な上に学校の経営者の血縁。そんな政宗が自主退学状態だと言う。
自主退学というのは、表向き生徒から退学の届けが出されたという事になっているが、学校側から生徒へ退学を促し提出させるという場合も多いと言うのは、幸村も知っている。
政宗がそのケースに当てはまるのかはわからない。だがもしそうだとしたら。
(俺の、せい?)
政宗が居なくなってしまったのは、自分があの他校生たちに襲われ、彼に助けられた夜の次の日。
それまで彼は全く普通に学校生活を送っていた筈。ならば彼の退学の理由に、自分がかかわっている可能性は高いのではないか。
(まさむねどの……)
自分が退学の理由に関係しているならば、彼に謝りたいのに。その謝りたい彼が何処に居るか幸村には分からない。
(県大会で、お会いできれば……聞かせていただけるだろうか)
「政宗様、学校からお電話がかかっておりますが」
「……俺の部屋に置いてある子機の方に繋げ」
用件は分かっているが、出ない訳には行かないだろう。そしてその話は他の人間に聞かれたくはなく。
政宗は自室へ向かい鍵を閉めて。電話の子機へと手を伸ばした。
「――わりいが、戻る気はねえし、退学届もそのまま受理してくれ。勝手な言い分だが、理由を生徒側に知らせるのは無しだぜ」
『それは勿論、生徒どころか教師達にも知らせるつもり等……』
相手は政宗がつい最近まで通っていた学校の校長。
自主退学というのは問題を起こした生徒へ学校側から促されるものが多いらしいが、政宗の場合、本当に自分から退学届を提出した『自主退学』だった。
(普通なら、あれ位の事を起こしたら即退学だと思うんだがな……。引き留められるのは、オレが経営者の血縁だから、だな。元生徒相手にやたら下手に出て来やがるし)
幸村が他校生に襲われた夜、政宗は怒りに任せて幸村を襲った連中を殴った。相手は喧嘩慣れしているようだったが、一時期アメリカで育ちまたかなり荒れていた頃もある政宗の方が、連中より強かったようで。
あの他校の男達はかなりの怪我を負った筈。
あの中から政宗を訴えるような勇者は居なかったようだが。校内で暴力沙汰を起こした事は事実。充分に退学理由になるはずの行いで。
幸村の元から離れなければ、と思った事もあり。それを理由に学校から言い渡される前に自分から退学届けを出し、そのまま寮を去った。
理由を生徒に知らせるな、と言い置いたが。知られたくないのは、ただ一人。
幸村がもしその理由を知ったら、優しい彼が心を痛めてしまうかもしれないと思ったからだ。
「それだけなら切るぞ」
『あ、例の件ですが―――今の所特に何も問題は起こしていないようです』
続いた言葉に、小さく安堵の息を吐いた後、政宗は通話を終了した。
(脅しが聞いてる、か)
幸村の腫れ上がった尻を見た翌日。それを彼が所属する剣道部の顧問の仕業と見た政宗は、顧問を訪ね。
次、幸村に何かしたら学校に居られなくなるするぜ、と些か行事の悪い脅し文句を告げていた。もっとも、あの顧問が幸村の体を竹刀で叩いたのは事実だったようだし、もし次に幸村が傷付けられるような事があれば実際に実行する気でいた上に、それは当然の報いだと思っていたが。
(もっとも今一番幸村を傷付けてるのはオレ、だろうがな)
顧問より、嫌がる彼を無理矢理抱いた自分の方がよっぽど酷い奴だな、と苦い笑みを浮かべる。
しかし、離れても尚、幸村の学校での環境を守りたいと言う気持ちは持ち続けていて。
退学届けを出す際に、あの顧問を監視していてくれ、生徒を虐待している可能性がある、と校長に告げていた。
今の所問題が無いというのは、幸村は部活に集中できる環境にある、という事だ。
(予選まであと1週間、か)
本当なら、部活で疲れ切って寮の部屋に帰って来るであろう彼を傍で支え見守っていたかったが。
彼を穢してしまった今となってはそれも叶わず。
(アンタの腕なら、予選は勿論県大会での優勝も出来る筈)
だから、頑張りな、と。
ただ心の中で呟いた。
(っ……床で寝て……以前は床で寝たままの記憶などないという事は)
起き上がりシャワーを浴びる準備をしながら。以前の事を考える。
政宗がこの部屋に居る頃も、床に倒れるようにして眠ってしまった経験は何度かあるが。次に目を覚ました時は必ず、きちんと自分のベッドの中に居た。自分で無意識に移動していたのかと今の今まで思っていたが、恐らくそうではなく。
(……政宗殿が運んで下さっていたのだな……)
その彼はもう自分の傍には居ない。だが、彼に会えるはずであろう、県大会の日時は近付いているから。
今の幸村はそれを拠り所に生活している状態だ。
(……大会で、政宗殿に会えたら)
俺は、どうしたい、のだ?
自分に問いかける。
(政宗殿は、もう俺の心など求めていないであろうが。俺に話し掛けられる等、迷惑に思われるかも知れぬが)
しかし、自分を気遣う様なメモを残して去って行った彼だ。言葉位は、聞いてくれるのではないか。
暫し悩んだ後。幸村は自身が県大会に出場でき、そこで良い成績を収める事が出来たら。その上で政宗に県大会で会う事が出来たら。
ある言葉を彼に告げようと、決めた。
今度は、後悔しない為に。
(団体戦は残念であったが、個人戦はどうにかこの県大会に出場できてよかった……)
団体戦は県予選の準決勝で敗れた。先鋒で出た幸村は出場試合全て勝利を収めたのだが。
個人戦の方は予選を最後まで勝ち抜き優勝する事が出来、幸村が今居るのは県大会の会場だ。顧問すらついて来ていない(一応顧問として必要な手続きはしてくれているようだったが)、一人きりでの会場入りだったが。普段のように先輩方の自身を疎む視線も無く、気は楽だった。
観客席を見渡すと、今日は週末という事もありクラスメイトが何人か見に来てくれているようだ。
(……政宗殿はどこかにいらっしゃるのだろうか)
まだ試合開始まで時間があるのを時計で確認して、観客席の方を伺うべく歩き始める。
「!」
観客席の一番後ろ、しかも階段の陰になっている見辛い場所に、政宗に良く似た人影を見掛け、幸村の心は跳ねた。
気付かれないようにそっとその人物を見つめ。彼が政宗本人である事を確信する。
(……本当に、見に来て下さっていた……!)
すぐに声を掛けたい、退学の理由を聞きかせて欲しい、等と逸る心を押さえつける。出場人数が多い今回の大会、1日で日程は終わらない。今声を掛けて、彼がもし自分を鬱陶しいと感じてしまえば。たとえ勝ち続けていても、明日の試合を見に来てくれなくなる可能性があるかもしれない。それは嫌だった。少しでも長く、彼と同じ空間に居たかった。だから。
(まさむねどの)
見ていて下され、と。
心の内でだけ、彼の名を呼んだ。
(やっぱ、アンタは勝ち進んだ、か)
という事は、明日もこの会場で幸村を見る事ができる。
本当なら試合を終えた彼に声を掛けたかったが、向こうはそれを望んでいないだろうと。
政宗は、幸村の今日最後の試合、その勝負が決まった瞬間。
観客席から立ち上がり、会場の外へと歩き出していた。
(政宗殿!)
決勝まで順調に進み、勝ちを収めた幸村は。平日という事であまり多くはない観客の歓声を受けながら政宗を探す。
(……行ってしまわれる!)
見付けた彼は既に会場の外へ出ようとしていて。
それを見た瞬間、幸村は。対戦相手へ一礼した後、走り出していた。
試合を終えたばかり、しかも防具をつけたままの体は重く早く駆ける事は出来なかったが。
政宗はゆったりとした歩調で歩いていたようで。幸村の視界に程なくしてその背中が見えてくる。
それに小さく安堵の息を吐いたのだが。
「!」
彼の少し向こうに車が停まっているのが見え。その車は以前見た、あの車で。
「まさむねどの!!!」
あれに乗ってしまえば、もう二度と会えない。
そう思った幸村の口から、政宗を呼ぶ声が零れた。
「まさむねどの!!!」
(?!)
背中越しに、聞こえる筈のない声が響いた気がして。思わず足を止める。幸村の優勝は見届けた。これ以上あの場に居ると、離れ辛くなってしまいそうで、彼に声を掛けてしまいそうで。彼はそれを望んでいないだろうから、早々に離れた。けれど。
(AH、オレの願望、か?これは)
しかし空耳にしてはやけにはっきり大きく聞こえた。
「!!」
振り向くと、走ってきたのか荒い息を零す防具をつけた人物の姿。自分が立ち止ったのを見て、その相手が面を取る。
「ゆきむら、なんで……」
見えた顔は、確かに自分の想い人だった。
(ああ、何の責めも受けねえで消えたオレへの恨み言でも言いに来た、か?)
彼を傷付けた報い、それは確かに受けなければならないだろうと。
幸村へ近付く。
だが、その口が紡いだ言葉は。
政宗に取って信じられないもの、だった。
「政宗殿……政宗殿が、某に、他の男に穢されたこの身などに、もう興味を失ってしまった事は分かっておりまする。ですが……某は今更ながら政宗殿への自身の想いに気が付いてしまい……もう一度好きになって欲しいなどとは望みませぬ……ただ、知っておいて欲しかっ、た……」
幸村が自分を想っている、という告白。それも驚いたが、それよりも。
(……他の男に?)
幸村を穢したのは自分だ。自分が学校から離れた後、幸村の周りに何かあったという話は聞いていない。何かあればあの校長から必ず連絡が入る筈。
だとしたら。
(あの夜の事を、勘違いしている、のか?)
あの拒絶は、自分に対してのものではなかったのか。
そんな疑問が掠め。政宗は幸村へ返す言葉が浮かばなかった。
(……やはり、今更こんな事を言われても、迷惑であろうな……)
こちらを見てくれてはいるものの、政宗からの言葉はない。
「何も求めませぬ……ただ」
貴殿を想い続ける事だけは、許して下され……。
ようやく気付いてしまったこの気持ちを。自身にとって初めての恋を。自覚してしまったこの感情を。そう簡単に捨てるなど出来ない。
母も、きっとそうだったのだろう。
父への気持ちを捨てきれなかったのだろう。
記憶をなくし他の女性と家庭を築いた父を。彼女はずっと愛していたようだった。
(ただ、これが言いたかった)
「呼び止めて、申し訳ありませぬ」
政宗は動かない、言葉も発しない。こちらを見るその隻眼はどこか虚ろな様子で。
それがまるで自分などもう彼の世界に存在しないのだ、と告げられているようで。
想い人にそのような態度を取られるのはやはり辛く。堪らなくなった幸村は、頭を下げその場を去ろうとした。
「待て」
「!」
幸村の腕を、政宗の手が掴む。
(ちゃんと俺の存在を認識して下さっていた……!)
久しぶりに触れた彼の体温に、心音が跳ねる。
政宗は何度か口を開き掛けては閉じてを繰り返し。幸村へ告げる言葉を思案しているようだった。
だが、結局彼の唇が言葉を発する事はなく。
「ま、まさむねどの?」
政宗が、腕を掴んだまま歩き出したため、引き摺られるような形になる。
そして。
「?!」
傍に停まっていた車、それに押し込まれる形となってしまった。
幸村の横に、政宗が乗り込み。
「――の別邸に行ってくれ。後さっきの会場に個人戦の優勝者は急用で表彰式に出席できなくなったと連絡を頼む」
「!」
驚く幸村を余所に。運転手が彼の声に応え、静かに車は走り出した。
「あの、政宗殿」
連れてこられたのは、どうやら伊達家が所有している家の一つらしかった。
運転手は既に去っている。
ソファに座るように言われ従う。政宗も向かいのソファに座るかと思ったが。彼は横に立ったまま話し始めた。
「外で話す様な事じゃねえと思ったからな……アンタは勘違いしてる」
「?何を、でござるか?」
「アンタ、さっき他の男に穢されたってオレに言ったな」
「っ」
「……違う」
「え?」
政宗の言いたいことが分からず。戸惑いながら彼を見上げる。
「あの時、アンタはあの男共には最後までされてねえ」
「?!しかし朝起きた時に、その……感触、が」
「……あの夜、アンタの体を最後まで奪ったのは……」
「まさむねどの?」
「この、オレ、だ」
「え」
「襲われたアンタの体を清めてる時に、抑えきれなくなって殆ど正気を失ってたアンタを抱いた」
「!!」
ではあの朝感じたあの下肢の異物感は、あの男達のものではなく。
(まさむねどのが、俺を抱いた故のもの?)
知った事実に心が軽くなると同時に、疑問が浮かぶ。
「……政宗殿は、某が他の男に穢されたから興味を失ったのだと思っておりました」
だがあの夜、自分を抱いたのは彼だと言う。
それなら何故、政宗は自分の傍から去ったのか……。
「あの夜……アンタはオレを拒絶したんだ」
「?!そのような記憶、全く……」
「ああ、あんな勘違いしてたくらいだ。オレが聞いた拒絶の言葉、あれはアンタが正気に戻っての言葉だと思ってたが。あの時もまだ混乱してたんだな」
「それでは、政宗殿が某から離れたのは……」
「アンタを守る為、だ。オレ自身からも、な」
「では……某への政宗殿の気持ち、は」
震える声で尋ねる。
「アンタを想う心は……変わってねえ、よ」
「っ」
とくんとくんと、心臓が音を立てる。では、自分達は今、両思いなのではないか。
「まさむねどの」
呟いて手を伸ばす。いつもなら彼の方から自分に手を伸ばしてくれるはずだった。だが。
「え」
(な、ぜ?)
政宗は、触れようとした幸村の手から。逃げるように後ずさった。
「……アンタを好きだと言う気持ちは、これからも変わらねえ。だが」
オレにはもう、アンタに触れる事が出来ねえ。
「政宗殿?某は政宗殿なら」
彼を想っているのだから、何をされても構わない。そう呟いた幸村に政宗は苦しそうに首を振る。
「……違う、オレにはもうアンタに触れる資格は……アンタに拒絶された後、オレは。アンタと結ばれないんなら。相手が誰でも一緒だと自棄になって。……今まで保留してた婚約者との結婚話を進めるように指示した」
「っ」
「多分もう式場も抑えてる。多くの人間がオレの結婚を知ってるはずだ。相手の家はうちの財閥ともかなり深い関係がある。今更中止にはできねえ」
立っていた政宗が、ずるずると床に座り込む。こんなに憔悴した彼を見るのは初めて、だった。
彼は今、自分への気持ちと家での立場の間で苦しんでいる。
(政宗殿が今こんな辛そうな顔をしているのも、俺が早く自分の気持ちを伝えなかったせい、でござるな……)
暫し二人の間に沈黙が落ちる。
(……俺は、もう後悔しないと決めたのだ)
だったら、後悔しない為に自分は今どうすれば良いのか。
結論を出した幸村は、ソファから立ち上がり。
「政宗殿」
彼の隣に腰を下ろした。
「某は政宗殿の結婚を邪魔する気などござらぬ。想い続ける事を許して頂ければそれで。……ただ、一つ某に下さらぬか」
「何を、だ?」
「某は政宗殿に抱かれたあの日の事を覚えておりませぬ……一度だけで構いませぬ、どうか。政宗殿の某への気持ち」
その証を、この身に下さらぬか。
(……抱け、って言うのか)
幸村の大きな瞳が自分を見上げている。それに応えて良いのか。自分はもう、彼ではない者と未来を過ごす事が決められているのに。
(……アンタがオレを想ってくれてると分かった今。全てを捨ててでもアンタと居たい)
だが、それを口にしなかったのは。
全てを捨てたとしても、「家」の者はきっと自分を探し出すだろう。それだけの力がある家、だ。そして連中はその時自分ではなく幸村を非難するのは分かり切っていて。そんな立場に彼を置きたくないから、だ。心優しい彼は、そうなった時、きっとひどく傷付いてしまうだろうから。
「まさむねどの」
幸村が自身の名を呼ぶ。甘さを含んだ声で。
彼の為を思うなら、こんな奴の事など忘れて新しい恋を探す方が良い、と伝えるべきだろう。自身はこれから彼と共に生きる事など出来ないのだから。
だが。
想い続けていた相手が、ようやく自分を望んでくれたのだ。
「……ゆきむら」
政宗は耐え切れず、幸村の体。自分が一緒に寮で暮らしていた時より幾分痩せた気がするその体を。
抱き締めた。
「政宗殿……」
彼の腕の中。その自分より少し低い心地良い体温を感じていた幸村だが。ふと視線を落とし。
「っ」
「ゆきむら?」
床の上に置かれた防具に、自分が先程まで剣道の試合をしていた事を思い出し。慌てて政宗の腕の中から逃げ出した。
「そ、その、某汗をっ……申し訳ありませぬ!」
「ああ……オレは気にならねえが、アンタはそうもいかねえだろうな。シャワーがそこの奥の部屋にある。浴びて来な。……その間に寮にアンタの外泊許可取っとく。
「すみませぬ」
政宗を、彼を求める事に夢中で。周囲の出来事が全く見えていなかった。自身が試合直後であったのも忘れ。許可を取らずに外泊をしたら寮では騒ぎになる、そんな事すら気付けないほどに。
これから、政宗と過ごすのだと思うと。体を洗う手がいつもより丁寧になる。
(……一夜限りの……契り、か)
彼のこれからを邪魔する気などない。ただ、この後別れが待っていたとしても。ただ、彼に愛された証が欲しい。
ふ、と幸村の脳裏に、母の笑顔が浮かぶ。
父が自分達を忘れた後も、自分に笑い掛けてくれていた彼女。
彼女の中には、確かに父に愛された記憶があって。それは確かに幸せな時間だった筈で。その幸せな記憶があったから。その記憶と共に。彼女の心は最後まで父の元に在ったのではないか。
(俺も、そんな風に生きて行けるだろうか……)
母はそんな生き方は望まないかもしれないが。政宗への想いはもう消せそうになく。それに初めて知った、恋なのだ。それを簡単に手放したくはなかった。例え一時的にしか実らないものだとしても。
母が持っていた父の記憶と比べたら、これからの出来事などごく短いものだろうが。それでも。これから政宗と過ごす時間を、確かに心を通わせていた時間を、自身の心に刻み付けようと。
幸村はシャワーを止めて。用意されてあったバスローブだけを身に付けて。
政宗の元へと向かった。
「後悔、しねえな?」
「はい」
はっきりと告げると。政宗が幸村をある部屋へと導いた。
「ここは……」
薄いブルーで統一された、その部屋の真ん中には男二人が寝ても十分な広さのベッドがある。
「!」
立ち止まっていると政宗の腕が幸村を抱え上げて。
そのベッドの上にそっと下ろされた。
「……この家は……結婚した後に使う予定だった」
「!!」
という事は、ここはつまり政宗とその婚約者の新居。自分が今居るベッドは、政宗と彼女の。
「そ、その様な場所ではっ」
慌てて飛び退こうとした体を、政宗の腕に押さえ付けられる。
「もう使わねえ。誰が他の奴と使うか。ここは、オレとアンタだけの場所だ。……他の奴なんか入れねえ。ここには、オレとアンタの……今日の記憶だけが残ればいい。オレが結婚しちまった後も、アンタとの今日の記憶に浸る場所になれば良い」
「まさむねどの……」
苦しそうに呟いた彼の背にそっと腕を回す。
(ああ、この人は……今日が終わっても……別れても、俺の事を忘れなどしない)
本当なら、彼の心を軽くするなら。また、彼の相手の事を考えるなら。一夜限りで忘れてくれて構わない、と伝えるべきだろう。だが。政宗が自分と別れた後も、結婚した後も。彼が自分との恋を密かに心に抱えているだろう姿は。
幸村の心を痛めると同時に、暖かな気持ちにもさせて。
(この薄暗い、けれど確かな幸せな感情も。……恋故のもの、なのであろうか)
結局忘れてくれて構わないとは伝えられずに。
ただ、政宗の背に回した手に、小さく。力を籠めた。
「幸村」
「んっ」
暫く、抱き合ったまま。お互いの心音を聞いていたが。
政宗が動き。幸村の唇に軽いキスを落とす。
何度かの唇をついばむようなキスの後。
「っんぅ」
深い口付けに代わり。政宗の舌が幸村の口の中へ入り込み。
知識も経験も無いけれど、自分からも求めたい気持ちから。幸村はいつしか自分からも舌を絡めていた。
「は、あ」
唇が離れ、幸村の口から荒い息が零れる。その間に、政宗の手は幸村のバスローブの紐を解き。その素肌にそっと触れていた。
「んっ」
政宗の手が、ゆるりと幸村の体を撫でて行く。
ほんの僅か、あの時の記憶が掠めたりして、体が拒否してしまったら、という心配が幸村の中に有ったが。
政宗の優しい手つきにその心配は溶けて行った。
「あ」
胸の突起を摘まれて、その刺激に思わず跳ねると。
「ひゃうっ」
次の瞬間、政宗の舌が、その部分を包み込んでいた。軽く歯を立てられたり、舌で先端を突かれる感触に。
「ぁ、んぅ」
幸村は、びくびくと体を震わせる。
更に。政宗の手が、幸村の剥き出しの足の中心に触れて来て。
「あ、あ!」
一際高い声が零れた。
「はあ、あ、あっ……!!」
胸から離れ、ゆっくりと下って行った政宗の舌が、今度はまだ緩やかにしか反応を示していない、幸村自身を包み込む。驚いて身を起こそうとした幸村だったが。
「ふ、ああ!」
敏感なその部分を舌で舐め上げられれば、ただ声を上げる事しか出来なくなってしまう。更に手で包み込むように扱かれて、先端を吸い上げられて。
「や、もうっ……離して下されぇっ」
口での経験な当然今までない幸村は。呆気なく精を放ってしまっていた。幸村が達する直前に、政宗は口を離していて。それに小さく安堵の息を吐いていると。
「っ」
政宗の腕が、脱力した幸村の腰を掴み、体を反転させる。
俯せで足を大きく開かされ、尻の狭間を晒す羞恥に頬を染めるが。
これから行われるのは、政宗と繋がる為に必要な事なのだ、と。
幸村は自分に言い聞かせた。
そこに。
「大丈夫か」
という政宗の声が落ちる。
何がと聞く前に、幸村は質問の意図を悟っていた。
(あの男達との事を思い出さぬかと、気遣って下さっているのでござるな)
薬で意識が朦朧とする前、部室で男達に尻に指を突っ込まれ掻き回されたのは覚えている。だが。
「政宗殿と、繋がる為なら、平気でござる。それにあんな記憶など……政宗殿の体で忘れさせて下され」
そう振り返って告げると。政宗が一瞬驚いた表情を見せた後、笑みながら頷いてくれた。
「く、ぅ」
精で濡れた指が、幸村の奥を開いていく。あの時は薬を飲まされていたせいで、痛み等は殆ど感じなかった。だが今は。
「うぅ」
痛みと共に激しい異物感があり、呻きに近い声が漏れる。それでも。これは政宗と繋がる為の準備なのだと言い聞かせ。幸村は耐えた。そんな中。
「っ」
政宗の指がある場所を掠めた時。体がぴくりと跳ねた。
「ここ、か?」
「ひぁ!」
指の腹でその部分を擦られると、今まで苦痛の声しか零していなかった幸村の口から、甘い響きを持った喘ぎが落ちる。
「そこ、いやあ」
「いや、じゃねえだろ。前も喜んでる」
「ぁああ」
力を失っていた中心が再び勃ち上がり、滴を流し。それをぴんと指で弾かれて。高い声が幸村の唇から零れた。
「も、良いか」
いつの間にか政宗の指は3本も幸村の中に入り込んでいたらしい。感じる場所を散々弄られて解けた蕾から、ずるりと引き抜かれ、体を反転させられる。
「痛かったら、言いな。……止めてやれるかは、わからねえが」
頷くと、政宗の手が幸村の足を抱え上げて。
「っ」
足の狭間に感じる熱、その温度にびくりと体を震わせる。
「まさむねどの……んっ」
政宗を見上げると、そのままキスを落とされ。唇を合わせたまま。
「んぅうう!!!」
一気に貫かれた。
激しい痛みが襲う。けれど同時に。この痛みが政宗と繋がっている証拠なのだと思うと。痛みすら幸せなものに感じられて。
幸村は政宗の首に抱き付きながら、彼を受け入れ揺さぶられ続けた。
「アンタは、あの図書館で会ったのが初めてだと思ってるだろうが」
「?」
「オレとアンタはもっとずっと昔に、会ってる」
「!」
ベッドの上。裸のまま身を寄せ合っての会話。幸村が少し意識を飛ばしている間に、多分政宗が拭いたのだろう。行為でべたついていた体は綺麗になっていた。
「何故、言って下さらなかったので?」
「アンタにとっては、忘れたい記憶だったはず、だからな。思い出させる事で、アンタが辛い思いするよりは、忘れたままで良いと。だからオレから詳細は話さないつもりだったが……」
アンタを手に入れちまった今、オレに関する記憶は全部知ってて欲しいって気持ちが、強くなっちまってる……。
「教えて下され!某はもう、政宗殿との思い出を増やす事は叶いませぬ。それならばせめて……過去の思い出も全て知っておきたい……」
政宗と過ごせるのはもう僅かしかないのだ。だからこそ、自分が忘れていた彼との時間があるのならば、それを思い出したい。そう、強く感じた。
「……アンタの父親の事も改めて思い出させるかもしれねえ過去だが、それでも、そう思のか?……アンタ、父親の事出来るだけ忘れようとしてたんだろ。死んだ事にしてるくらいだしな」
「!」
やや言い難そうに告げられた政宗の言葉に、目を見開く。
(父との事を知っている?それでは、政宗殿は俺が嘘をついていたのを承知で……)
彼の口ぶりから、自分と父の間にあった事を知っている雰囲気を感じた。きっと自分の心を思って、敢えて嘘を追求せず、本当の出会いの事も今まで黙っていたのだろう。
「では、政宗殿は某の嘘を知って……」
「……アンタはまだ小さかった上に、忘れたい記憶だったんだろ。オレはアンタの事情を知ってたから、敢えて追求しなかった。……オレとの本当の出会いは、アンタのその忘れたい記憶を抉るかもしれねえ。……それでも、良いか?」
こくり、と頷く。
父との記憶は、彼に忘れられたという事実以外、あまり覚えていない。彼に関する事を聞くのは、辛いかもしれないが。それでもその中に政宗と共有していた時間があるのならば、知りたい。
「父の事は大丈夫でござる。だから、聞かせて下され……」
(どうして、俺は忘れていたのだ……)
政宗の話で、自分の封じていた記憶を、幸村は思い出していた。その中で、確かに隻眼の少年に出会った事も。父の事で泣いている自分の傍にいつも居てくれた少年。彼は確かに政宗の面影を持っていた。
「あれが政宗殿だったのでござるな……」
「ああ。……あの後オレはずっとアンタを探してた」
「え?」
「でもあの辺では会えなくて。その後アメリカに渡って。もう会う事は無いだろうって思ってる所にあの高校でアンタに出会った」
「探して?」
「ああ、アンタは覚えてねえだろうか、オレはアンタの言葉に救われたんだ。その救ってくれた相手にずっと会いたいって思ってた」
あの時から、オレはアンタが多分好きだった。
「!」
(そんなに前から、俺を?ああ、でも)
思い出した今なら、自分にとっても。あの少年は両親以外で初めて好きになった人、だ。まだ恋など知らない小さな子供だったけれど。
「まさむねどの……忘れていて申し訳ござらぬ……」
「謝る事じゃねえ……思い出してくれたんならそれで良い」
「はい」
その後はお互いの色々な事を話しながら過ごした。二人の間で知らない事が無くなればいいと思いながら。眠る間も惜しんで言葉を交わした。
退学の理由もその中で聞き、政宗が自分を傷付けた相手に対して、それほどの怒りを持ってくれた事に。いけないと思いつつも、喜びを覚えてしまった幸村だった。
「……離れたく、ねぇ……」
外が仄明るくなってきた頃に、政宗が漏らした言葉。幸村もそれは同じ気持ちだった。だが。
(俺では政宗殿に何も与える事が出来ぬ)
政宗が自分を選ぶというのは、彼に全てを捨てさせるのも同然。それはしてはいけないと。許される事ではないと。
幾ら自分の心がそれを望もうと言葉にしてはダメだと言い聞かせて。
ただ自身を囲う政宗の腕に、そっと自分の手を重ねるしかできなかった。
「全く眠らねえのも体にわりぃ。少し眠れ」
幸村の瞳を自らの手で隠すようにして眠りを促す。政宗と違って受け入れる側の幸村は疲労を感じている筈。
程なくして幸村は小さな寝息を立て始め。その様子を見守りながら、政宗は笑みを浮かべた。
(無理、だ。アンタと離れるなんて)
手に入れてしまえば、もっと欲が出て来てしまった。これからも彼と共にありたい。彼との時間を増やしていきたい。他の誰かを愛すなんて考えられない。
自分と共に生きる事は幸村を傷付ける事にも繋がりかねないが。手に入れてしまった彼を手放したくないという気持ちが、政宗の中で強くなってしまっていた。
(……これからもアンタと共に在れるなら……オレは全部を失くしても良い……全てを失くしたオレに大した力などないが、出来る限りアンタを守って見せるから)
オレと共に生きる事を選んでくれ。と。
政宗は眠る幸村へと呼びかけていた。
「ん?政宗殿?」
「目が覚めたのか」
隣に気配が無いと思ったら、彼はいつの間に起きていたらしい。窓からカーテン越しに明るい光が差し込み、朝を告げていた。
ジーンズに上半身は裸のままという政宗の姿は妙に男の色気があって。気恥ずかしくて目を逸らそうとした幸村だが。
(……もう、このような姿を見る事も叶わぬのだから)
そう言い聞かせて。頬を紅くしながらも視線を逸らすのは止めた。
「幸村」
「?」
政宗の声に、何処かいつもと違った、少し張りつめた気配を感じて首を傾げる。政宗の手が幸村の頬を包み、真摯な色を宿した隻眼がこちらを覗き込んでいる。
「まさむねどの?」
「アンタ、全てを失くしたオレについて来てくれる、か?」
「?!……政宗殿、何を?」
確かに昨日、離れたくないという言葉は聞いた。だがそれは。決意からの言葉ではなく諦めから出た言葉だと思っていた。
「手に入れちまった以上、オレはアンタを手放すなんて無理だ……家の力のないオレはアンタに何もしてやれないだろうが、それ所か家の奴に見付かったら、アンタの心を傷付けかねねえが、それでもアンタと一緒に……」
「……某は何も持っておらぬ故に、政宗殿の手を取る事にためらいなど。何を持って某が傷付くなどと思っているのか、分かりませぬが……政宗殿と共に在れれば、某が傷付く事などありませぬ。……しかしながら……某自身に、政宗殿に全てを捨てさせる価値があるとはとても……」
政宗がそこまで自分を求めてくれる、それは嬉しい。だが、自分の存在が政宗を不幸にするのは、と伝えれば。
返って来たのは。
「他の全てを無くすよりアンタただ一人をなくす方がオレにはよっぽど不幸だ、昨日アンタを抱いて良く分かった」
という言葉で。
(そのような事を言われては……拒否出来なくなってしまうではないか……)
元より彼を好きだと自覚した今、共にありたいという気持ちは強くあるのだから。
「政宗殿は後悔しませぬか?某などの為に家を捨てて…」
「しねえ、だから」
強く求められて、差し出された手をもう拒否する事など。
幸村には出来なかった。
家に未練などないが、一人世話になった奴がいる。信用できるやつだから、そいつにだけは連絡を取った。多分もうすぐここに着く筈だ、という政宗の言葉に驚く。
「あ、服を……」
まだ裸のままだった幸村は、慌てて衣服を身に付ける為に体を起こそうとするが。
「っ」
腰に激痛を感じ、ベッドに倒れ込む。
「昨日、無理させちまったからな。まだ起きるのは無理だろ。学校側にも連絡取ったから、今日はここで休め。最もその後もオレと共に来るなら、通学は出来なくなるだろうが」
「政宗様」
「!」
「小十郎か」
「はい、入っても?」
「ああ」
政宗が言っていた者は、すでにここまで来ていたらしい。部屋に招き入れた政宗に驚きながら慌ててシーツに包まる。そうする事でしか、体を隠せなかった。
「その者が、政宗様が探していた相手、ですか」
「ああ、やっと手に入れた」
政宗と小十郎、と呼ばれた男の視線が幸村に向けられ。思わず身を固くするが。二人の会話はそのまま続いた。
「女性であればもっと歓迎出来た所なのですが……この者と暮らす為に家を捨てる、と?」
「ああ」
「……政宗様、この小十郎、ひとつ政宗様に謝らねばならない事が」
「?」
「政宗様がおっしゃっていたお話、小十郎の独断で進めておりませんでした」
「!!……小十郎、それは本当か?」
「はい……失礼ながらあの時の政宗様は自棄になっているように感じましたので……貴方様の本意ではないとこの小十郎が勝手に判断し、先方へは話しを通しておりません。ですので、貴方様とあの方の婚約は、未だに宙に浮いたままです。勝手な事をして申し訳ありません」
「いや、感謝するぜ小十郎」
「では勝手ついでにもうひとつ。この小十郎。今から政宗様にひとつ悪知恵をつけさせていただきたく……婚約の事が解決したからと言って、政宗様とその者が共にある為には困難も多いでしょう。一緒に居る為には家を捨てなければならないというのも、分かります。しかしながら、今それをするのはお勧めいたしません」
「どういう事だ?」
「政宗様は既に今幾つかの最初の経営に携わっていらっしゃいますがいずれ、早くてあと数年で全てにおいて伊達家にとって無ければならない存在になるでしょう。これは小十郎の買い被りではないと断言できます。全てを捨てるのはそうなってからでよろしいかと。いやこれは捨てる振りをする、ですな。そうなった場合伊達家の人間は、貴方様を必死に探すでしょう。その際はわざと見つかり、戻る条件としてその者と共に在る事を突き付ければ良いかと。それにその者は、特待生制度で学校に通っていると聞き及んでおります。下手な理由で退学させるのはその者の今後にも関わるかと……。政宗様が経営の重鎮になるには2年弱は掛かるでしょう。丁度その者が高校を卒業する頃合いです。卒業後に、政宗様が迎えに行けばいい」
「っ」
目の前で繰り広げられていた二人の会話に、幸村は付いていけず呆然としていると。
「……なるほど、そりゃいい。幸村」
政宗がいつの間にかベッドのすぐそばに立っていて。
「アンタの卒業式に必ず迎えに行く。それまでは、オレが忙しくなりそうだから中々会えねえかもしれねえ」
それでも……待っててくれるか?
「……勿論でござる」
小十郎の『悪知恵』の通りに行けば、自分は政宗に全てを捨てさせる事なく傍に在れる可能性がある。それを拒否する理由など、幸村にはない。
「いつまでもお待ちしておりまする」
「そう長くはオレが待てねえよ。卒業式に必ず迎えに行く」
シーツごと抱きかかえられ、額に口付けられた。まるで誓うかのように。
(2年……長いと思っていたが)
振り返ればあっという間な気もする。
卒業証書を持って、幸村は荷物をまとめる為に寮へと向かっていた。
あれから政宗とは一度も会えていない。幸村は携帯を持っていないから、メールや電話での連絡もしておらず。
(俺の気持ちは変わっておらぬが)
政宗は自分など忘れているかもしれない、と少し考えていた。例えそうであっても自分はこれから誰にも好きにならず、政宗との思い出を抱えて生きていくつもりだ。
「これで全部か」
幸村の荷物は少ない。それを持って寮の外に出ると。
クラスメイトに声を掛けられ。その内容に。
勢いよく校門へと駆け出した。
政宗が自分など忘れてしまったのでは、と思ってしまった事に心の内で彼へと謝りながら。
「真田、伊達先輩が『約束通り迎えに来た。早く来い』って伝えてくれってさ」