BROTHER`S STEP 2(佐助編)

「あー旦那また残してる!」
「……ほとんど動いていない故、食べる必要がないのだ」
「動かなくても人間はカロリー消費してるんです!その分食べないとっ!てかこれ残してるってより食べてる量の方が少ないよね?!とりあえずスープだけでもいいから口に入れて!!」
 渋々とだが幸村がスープに口を付けたのを確認して、佐助はほっと息を吐いた。

(すぐに独眼竜が探し出して連れてくと思ってたんだけどねえ……いまのとこそれらしき音沙汰は何にもなしか)
 理由は教えてもらっていないが、政宗と二人で暮らしていたマンションを出たらしい幸村。彼は最初から佐助を頼って来た訳ではない。
 終電の時間近くに、駅で所在無げにたたずんでいる幸村を佐助が 見付け、半ば強引に連れ帰って来たのだ。
 家を出た理由を幸村は『自分にはあの場所に居る資格はない』と言っただけで、詳しくは教えてくれなかったが。
 佐助は彼を自分のアパートに保護していれば、政宗がすぐに迎えに来るだろうと思っていた。伊達家の力を使えば、幸村を捜す事など簡単だろう。
 この前の政宗の視線には、明らかに幸村に対しての独占欲があった。そんな彼が幸村を手放す訳はないだろうし、この前、強引に自分の手から奪って行ったように、今回もきっと幸村を連れに来るだろうと考えていたのだが。
 幸村がこのアパートに来て既に2週間。
 不思議と自分の周辺に政宗や伊達家のものと思われる影は見当たらない。
(何で独眼竜は来ない?これはちょっと調べた方が良いかな……旦那の落ち込み様も気になるし)
 ここに連れてきて以来、幸村はまともに食事を摂っていない。
 前世の記憶がある佐助にとって、政宗は余り良い印象を持った相手ではないが。
(そんな風になっちゃうくらいに辛いんなら、何で自分から離れたりするかねえ)
 かつての主の苦しそうな姿を見ているのは辛く。
 幸村の為に、政宗の動向を探ろうと心密かにに決意していた。


(俺様、今まで現世でこんな能力何の役に立つのかって思ってたけど……今日初めて感謝したね、うん。まあまさかこんな事に使うとは考えてなかったけど)
 既に深夜に近い時間。幸村が眠ったのを確認した後、佐助は幸村が政宗と共に暮らしていたマンションを訪れていた。そして今佐助が立っているのは、マンションの横に生えている大木の幹の上。普通の人間にはとても軽々しく登れない高さだが、忍びとしての身体能力を持ったまま転生したらしい佐助には造作も無い事で。
 マンションの号室は予め調べてきてある。
(大体あの辺だな)
 佐助はその部屋を伺える位置にある木の幹まで、身を跳躍させた。

(……誰も居なさそうだな。まあぱっと見た限り、この部屋って独眼竜が真田の旦那と暮らす為だけの部屋って感じだしねえ)
 幸村がここに居ない今。政宗がこの場所で暮らす必要はないのかもしれない。
(確か他にもいろいろ家あるんだよねえ伊達には)
 例の経済誌の記者が、そうぼやいていた記憶がある。
(まあ仕事が暇な時にでも虱潰しに探してみるとしますか)
 流石に今日はもう戻らないと、自身の仕事に差し支える。比較的時間が自由になる仕事だが、明日は午前中に取材を一件入れてあった筈だ。

(あれ、真田の旦那?)
 アパートのベランダに、見慣れた人影。彼はぼうっと月を見上げている。その何処か果敢無さを感じさせる姿は、佐助には遠い前世の記憶として見覚えがあった。
(……苦しむ癖に、旦那の魂は結局あの男を求めるんだね……)
 今世での幸村の政宗に対する気持ちを、佐助は聞いてはいなかったが。政宗と二人でいる場を目撃した際に、幸村の心はやはり政宗に向かっていると感じ取っていた。

「佐助、こんな時間にどこに行っていたのだ」
 幸村に声を掛けられて、佐助は自分が暫く彼を見つめたまま立ち尽くしていた事に気付く。
「いやーちょっと煙草切らしちゃってコンビニ。旦那、体冷えるよ?部屋入ろ」
 自分が政宗周辺を探っているのを、幸村は歓迎しないだろう。だからそんな風に誤魔化して、幸村の肩を抱いて部屋の中へと促した。

(あ、あの車!)
 伊達家所有の家を調べてきて数週間。漸くガレージに見た事のある車体を見つける。それは確かに政宗が幸村を連れて乗っていた車で。
(て事は今ここで暮らしてんだろうね、多分)
 幸村と共にマンションからはかなり離れている。
(さて、どうやって中伺おうかねっと)
 幸い自分には雑誌のライターという肩書がある。外を掃除するメイドでも居たら、軽く声を掛けてみるかな等と思っていると。
「!」
 玄関が開いて、政宗本人が姿を現す。
 この前の事もあり、彼本人と自分が話すのは諍いになりかねないかもと考え、佐助は塀の陰に身を隠した。
「政宗様、どこへ!」
「会社だ、もう何日行ってねえんだ。どうせ俺しか処理できない物件溜まってんだろ」
「……それは確かですが、しかし……ここ最近食事も睡眠もまともに摂られておりません。そんなお体で仕事など……せめて何か食事をしてから」
「……食べたくねえんだよ」
「政宗様!」
(あの声は右目の旦那か……!)
 小十郎の声を無視してきたらしい政宗の車が、少し乱暴な運転で道路に出て来る。そして。
(え?)
 運転席に見えた政宗の様子に、佐助は目を見開いた。

(……正直、あんたはもっと平然としてると思ってたよ……だって前世じゃ全然平気そうだったじゃないか)
 一目見ただけで、政宗が憔悴しきっている事は感じ取れた。時期的に考えて、幸村の事が原因なのは確実だろう。
 前世で、幸村と政宗は確かに想いを通わせ合い、個人的に交流している時期があったけれど。その交流はある日唐突に、政宗側から打ち切られた。
 原因を尋ねた佐助に、幸村は「分からぬ、ただもう来るなと言われた」と告げられ「誘って来てたのは主にあっちでしょうが!」と憤慨した台詞を返したが。幸村はそんな自身に淡い笑みを投げかけるのみだった。そしてその後の戦場で対峙した時。
 政宗は憎らしいほどいつも通りだった。
 主の、幸村の槍を持つ手は震えていたというのに。

(……旦那の為に独眼竜の様子探ってはいるけど。もし今度もあの時みたいだったら、旦那にあんな男の事忘れなよって言おうかなってちょっと思ってた。でも今回はその必要ない、かな)
 さっき見た政宗の憔悴は、幸村以上かもしれない。
 だからこそ、佐助はなぜ彼が幸村を捜さないのかが益々気になってきた。

「片倉様、政宗坊ちゃんは結局お出掛けに?」
「……ああ」
「倒れられないと良いですが……」
「一応会社には無理させないように連絡した」
「そうですか……昔は食の細い子で心配しておりましたが、幸村坊ちゃんがいらしてからは人並みに食べるようになって安心しておりましたのに、またこのような事に……あ、片倉様、幸村坊ちゃんの通っていた学校には休校届を出す手続きをしましたが、本当に宜しいんですね?」
「……ああ」
 小十郎と、どうやらかなり古株も使用人らしい、声からして老女と思われる女性の会話。その内容を聞き取るべく、耳を欹てる。忍びとしての能力か、常人よりかなり耳の良い佐助には、二人の会話がはっきりと聞き取れ。老女が幸村坊ちゃんと呟いた時に、小十郎が僅かに動揺した気配も感じ取れた。
(休校届?そんなのを出すってのは、旦那の家出は伊達家周知の事実って事か?それなのに真田の旦那を探し出そうとはしてない……そういや俺様、右目の旦那に聞いたらってアドバイスしたんだっけ……もしかしてその時に何かあったのか?真田の旦那が独眼竜から離れる決意をするような何かが)
 あの時佐助の胸で泣きながら、政宗の手を拒んだ幸村。その理由はいまだ聞き出せていないが。普段の幸村が、政宗に気持ちを寄せている筈の彼が、あんな態度を政宗に対して取る理由など思い付かない。政宗も、幸村がなぜそんな態度を取るのか分からないといった様子で苛ついていたように見えた。
 そして自分には政宗の傍に居る資格がないといった幸村。
 今の、幸村を溺愛している様子の政宗が、幸村に対してそんな風に思わせる事柄を匂わせるとは思えない。
だとしたら『何か』あったのは、政宗との間ではなく、小十郎との間ではないのか。
(あ、聞こえなくなっちゃったか。家の中入っちゃったな、これは。でもまあ)
 少しだけ、見えてきた気がする。
(あの女の人に会えたらもっとちゃんと分かる気がするんだけどねえ)
 小十郎と話していた老女。幼い頃から政宗と幸村を知っているらしい彼女に話が聞ければ、事の全貌が掴める気がした。

「?!旦那どうしたの!」
 夕飯の材料をスーパーで買ってアパートに戻ると、幸村がドアの前にしゃがみ込んでいる。
「少し、立ちくらみを起こしただけだ、心配ない」
「……どっか行ってたの?」
「バイトを捜そうかと……佐助に世話になりっぱなしだしな」
「バイトするつもりなら、まずちゃんとご飯食べて!今の旦那の体力じゃバイトしてもすぐ倒れるのがオチでしょ!ていうか旦那、俺様の負担になるほど消費してないからね!ほら掴まって」
「すまぬ……」
 自力で歩けそうにない幸村を抱え上げて部屋に入る。
(こんな元気ない旦那の姿見とくの、いい加減嫌なんだけど……独眼竜との事が解決するまできっとこのままだね。旦那はともかく、何でか独眼竜の方も自分から動く気配ないし……やっぱ俺様が何とかしないと)
「夕飯出来るまで寝てて」
 軽くなってしまった体を布団に横たえると。久々に外に出て疲れ切ってしまっていたらしい幸村は、すぐに小さな寝息を立て始め。そんな彼の頬を一撫でしてから、佐助は夕飯の準備に取り掛かり始めた。


(!)
 あれから仕事が暇な時にちょくちょく政宗が現在暮らしている家周辺を探っていた佐助。中々進展はなかったのだが。
その日の朝は、一人の老女が家の前を箒で掃いている姿に遭遇する。
 彼女が小十郎と話していた女性かは、分からない。
 少し悩んだ後。
(ま、当たって砕けろですかね〜)
 佐助は彼女に「こんにちは」と声を掛けた。
「こんにちは」
と会釈を返してくれた声は、間違いなく小十郎と話していた老女のもので。それを確認した瞬間。
「あのー、多分ここの家に関係してる家出少年、うちで預かってるんですけど」
 佐助はそう切り出していた。
 老女はハッとした顔で佐助を見上げた後、家の方を伺い。
「……主は夕方まで帰りませんが、留守の間、家の事は私が任されております。どうぞ、中でお茶でも」
と、家の中へと誘って来た。

「幸村坊ちゃんは、お元気にされてますか?」
 出された紅茶を口に含み。さてどう切り込むか、と佐助が考えていると。老女が先に質問を投げ掛けて来て。
「……元気、とは言い難いですね」
と苦笑を滲ませて答えた。
 その回答は恐らく老女にも予め予想できていたのだろう。小さく息を吐きながらそうですか、呟いた後。
「この家の主も、最近とても沈んでいるのです。幸村坊ちゃんが居なくなる少し前から、様子がおかしかったのですが、幸村坊ちゃんが居なくなってからは本格的に沈んでしまいまして」
 食事も睡眠も殆ど摂られておられません。
 そう言って目を伏せた彼女の表情には、深い心配が浮かんでいるように思えた。
「あのー、ちょっと疑問なんですけど。ここの主さんは何でその幸村坊ちゃんを探そうとしないんです?」
「……探してはおりました」
「え」
「ただ、見つけてもそっとしておけと。元気で暮らしていればそれで良い、と。もし生活に困っているようなら気付かれぬように支援するように。でも連れ戻したりはしないように、と」
「……じゃあうちに居る事を知ってた?」
「一度だけ、恐らく貴方の留守中にだと思うのですが、こちらのものが幸村坊ちゃんを見掛けたようです。私は一応使用人頭ですから、主達への報告は私が行っていますので……」
「元気だって報告したんです?」
 その質問に、彼女は佐助の瞳をじっと見つめた後。首を左右に振って否定の意を示した。
「とても元気とは思えない、気落ちされた様子だったと聞いていましたので、その通りにお伝えしました。ただ……私が報告したのは主本人ではありません」
「!」
 報告を受けたのは恐らく小十郎だ、と佐助の勘が告げる。
「主の信頼の厚い方です、何かお考えがあっての事でしょうが……その方が元気だと報告してしまったようです。その後、主は幸村坊ちゃんの様子を伺う様な命令は出していません」
「……主さんと幸村坊ちゃんは仲良かったんですよね?なのに、なんで連れ戻そうとしないんです?」
「……私も主にお尋ねしました。私はお二人の小さい頃もお世話をさせていただいておりましたが。主と幸村坊ちゃんは、実は血が繋がっていませんが、本当に仲睦まじくて。だからこそ何故幸村坊ちゃんが出て行ってしまったのか、主が連れ戻さないのか、分からなくて……」
 そして。
 その後彼女が告げた政宗の言葉。
 それは。幸村が佐助に家出の理由として告げた内容とほぼ同じだった。
『俺にはもう、幸の傍に居る資格がねえ』

(何で二人して似たような事言ってる訳?)
 帰り道、老女との会話を反芻しながら考える。
(……どちらかは誤解って事だよねぇ多分)
 ではどちらが誤解なのか。
(そういや旦那、最初抵抗されたのを家に強引に連れて来ちゃったけど、その後は出て行こうとはしなかったな。独眼竜には多分俺様のアパート知れてるのに)
 政宗の傍に居る資格はない、と言って家を出た幸村。ならば政宗に知られそうな場所に留まる事は避けたかった筈だ。けれど。佐助が説得して連れ帰って以来、幸村はアパートから逃げ出そうとはしなかった。それは。
(旦那は独眼竜が自分を探さない、もし探したとしても連れ戻さないって……分かってた?)
 そういう事になるのではないのか。

「旦那、ちょっと聞きたい事があるんだけど」
「?何だ、佐助」
 部屋の片隅で、佐助の書いた記事が載っている雑誌を読んでいた幸村が顔を上げる。
「旦那さ、この前のほら旦那が俺様に泣き付いて来て、独眼竜に強引に連れて行かれた日。あの日さ……あいつに抱かれた?」
 返事はなかったが、すぐに表情を隠すように俯いてしまった幸村の頬が赤く染まったのを見逃さず。それだけで答えを知るには充分だった。
(ああ、やっぱり)
 思い返せば、あの時の政宗の幸村を見る視線は、兄としてのものではなかった。
(多分、俺にしがみ付いてる旦那見て、隠してた気持ち抑え切れなくなったってとこだろうね。……あの男は真田の旦那が自分と実の兄弟じゃないって事を知らないって思ってる筈だから……)
「旦那、旦那はさ、今でも前世と同じ気持ちで独眼竜の事が好きだよね?俺様には分かるよ。だから多分抱かれたのも。まあ、あの状態からならかなり強引ではあったんだろうけど……嫌じゃなかった筈だ。」
 ま、主に前世の事しか知らない俺様に言わせればあの男のどこが良いのって感じではあるんだけど、と軽い口調で付け加える。
「……」
「けど、旦那はその事を。自分の気持ちを、独眼竜に伝えずにマンションを出てきた」
 今度も答えはない。だがこの沈黙は肯定だ。前世からの付き合いの佐助には分かる。
(……誤解してるのは独眼竜の方、か。旦那は独眼竜に探されたくなかった、だから誤解させたまま家を出た、か)
 それならば、老女から聞いた政宗の言葉にも納得が行く。
 恐らく政宗は、幸村が家を出たのは、自分が弟を強引に抱いたからだと、傷付けたからだと思い込んでいる。あの憔悴振りはそれ故だろう。
「……旦那、そろそろ家出の理由教えてくれても良いんじゃない?」
 政宗の誤解は分かった。けれど、幸村が何故家を出なければならなかったのか。それがまだ佐助には分からない。
(右目の旦那が関係してるのは何と無く分かった気がするけど)
「ま、無理にとは言わないよ。旦那にとって辛い事なんだろうし。あのさ、今度の日曜「……政宗殿に求められた時、確かに俺は嬉しかった。だが……それを伝えるわけには、行かなかったのだ…!」
 強引に聞き出す事で幸村の傷を抉るのは本意ではないと、話題を変えようとした佐助の耳に。苦しさを滲ませた幸村の声が響いた。

「旦那……あんな経緯なら旦那が独眼竜の傍に居られないって思う気持も分かるけど」
 話しているうちに泣き出してしまい。その顔は、以前佐助の胸で泣いていた時と同じで。ああ、あの日に右目の旦那に言われたのか、納得した。
 泣き疲れて佐助に凭れ掛かったまま眠ってしまった幸村。その背を撫でながら、聞こえていないとは分かっているが呟く。

『傍に居る資格を決めるのは。旦那じゃなくて、まして右目の旦那でもなくて。……独眼竜本人なんじゃないの』


「佐助、バイクなんて持ってたのか」
「うん一応。都会は電車数多し便利だから普段は殆ど使わないんだけどね〜。はい、ヘルメット」
「……こんな時間からどこに行くのだ?」
「まあそれは着いてからのお楽しみってね」
 実はあの日、伊達家の使用人頭である老女に一つ提案された事がある。それを実行すべく、既に夜も更けてきたと言っていい時間に。まだ歩かせるには不安がある幸村を、佐助は自分の運転するバイクに乗せて連れ出した。
「旦那、これからやる事は不法侵入っぽいですが、実際は不法侵入じゃありません」
「?何を言っているのだ?」
「まあ兎も角、旦那は昔みたいに俺様に掴まっててくれれば良いんでっと。後、気配消してね」
「っ!」
 政宗が今現在暮らしている家の裏手、ガレージが見えない位置にバイクを止め。首を傾げる幸村を抱え、樹の上へ飛ぶ。そして。
「?!」
 目を丸くしている幸村を余所に、佐助は鍵の開いている窓から家の中へと入り込んだ。

 窓の鍵が開いていたのは、あの老女の指示。
 彼女は今の政宗の様子を幸村に見せたら、幸村は帰って来てくれるのではないかと言っていて。
 でも正面から会いに来させるのはちょっと難しいんじゃないですかね、という佐助の言葉に。今夜の事を提案したのだ。
「この家には屋根裏があります。そこから主……政宗坊ちゃんの部屋を窺う事も可能です。政宗坊ちゃんは今、体調不良のせいか、人の気配にも鈍くなっています。静かにしていれば気付かれないでしょう。……幸村坊ちゃんをそこに連れて来ていただけませんか……」
 それを受けて、佐助は何も知らない幸村をここに連れて来た。
(教えちゃったら逃げられちゃう気がしたしね……ここまでくればその心配ももうないか?)
 幸村の瞳が佐助に「こんな所に何の用があるのだ」と訴えている。佐助はそれに答える代わりに、指で床がガラス張りになっている場所を示した。
 疑問符を浮かべた様子ながらも、佐助の示した位置を覗き込んだ幸村の。
「!」
 顔色が変わった。

「旦那、独眼竜があんな状態だなんて、正直思ってなかった?」
 あの後。
 屋根裏から抜け出し、佐助のアパートに帰ってからも幸村は無言で。佐助はそんな彼に優しい声音で問い掛けた。
「……俺を抱いた後……泣いておられたのだ。けれど」
 強い方だし、支える方も多いから、俺が居なくなってもすぐ日常に帰られると思っていた。

 何と無く、幸村の言っている「強い方」というのはさっき様子を見てきたあの政宗ではなく、前世の政宗を指している気がした。
「旦那の事、呼んでたよね。あれでも傍に居る資格ないって思うの?誤解、解かなくても良いの?」
「……っ」
 佐助は、幸村が政宗の様子を覗いているその表情を主に眺めていただけで。直接政宗を見た訳ではないけれど。
『ゆき』
 政宗が苦しそうに、愛しそうに、求めるように。その名を呟いた声は確かに聞いた。



(一応少しは進展したって言って良いのかねえ)
 あれから、幸村はたまに佐助に、あの場所に連れて行って欲しいと言うようになった。けれど直接政宗に会いに行く事はなく。いつも少し離れた場所で、政宗の部屋と思われるカーテンの閉まった窓を見上げているだけだった。
「旦那、今日も中には行かないの?」
 佐助がこう尋ねるのも何度目か。いつもはそれに幸村が首を横に振るという流れだったが。今日は。
「あれ、なんか家の中騒がしくなった?」
 幸村の返事がある前に、佐助が異変に気づき家の方を振り返る。
そして。
 程なくしてサイレンを響かせながら救急車が家の前にやって来て。
 遠目に担架に乗せられた人物が確認できた瞬間。
 佐助の視界に、救急車に向かって駆けて行く幸村が映った。

「大丈夫なんです?」
「栄養失調と睡眠不足、それに極度のストレスが原因だろうと。食事を摂って休養すれば良くなるだろうとお医者様が。今は薬で眠っていらっしゃるみたいです」
 あの後、幸村は救急隊員に「弟です!」と告げ救急車に乗り込み。佐助は病院に向かうその救急車をバイクで追った。
 今、幸村は政宗の傍に付いている。
 佐助は病室の前で医者と話をしてきたらしい使用人頭の老女から、政宗の容態を聞いていた。

 政宗坊ちゃんの着替えを取りに帰ります、という彼女を病院の玄関まで見送り、再び病室の前に戻ってきた佐助の耳に。
 目を覚ましたらしい政宗の声が小さく聞こえた。

「ゆ、き?……夢か、これは」
「!あにうえっ……兄上、某は……幸村はあの日の兄上を恨んでなど居りませぬっ……幸村はずっと兄上の事を兄弟以上に想っておりました。だからあの日の兄上の行動も嫌ではなかったっ……だからどうかもう苦しまないで下されっ」
「ゆき……じゃあなんで家を出た?何故俺の傍に居てくれない」
「……じゃないと」
「何だ?」
「本当の兄弟じゃないと……某と兄上が兄弟として暮らしている理由を聞いて、もう一緒に居られないとっ……これ以上兄上の負担になるのは嫌だと思って……!」
 ドアに隔たれて、二人がどういう表情でやり取りをしているかは佐助には分からない。けれど幸村の声から。
(多分旦那は、目に涙溜めてるんだろうねえ)
 そう感じ取れた。
「幸、誰からそれを聞いた」
「っ」
(お、本題。でも真田の旦那は自分からは言わないよねぇ)
どう転ぶかね、と中を窺っていると。
「そこで何をしている」
 前世で聞き覚えのある声の持ち主が、目の前に立った。
「そこは俺の主の病室のはずだが」
 佐助がドアの前から体をずらすと、男はさっさと中に入って行ってしまい。
(あーあの分じゃ右目の旦那も記憶ないね)
 そんな事を考えていると。
「?!」
 何かがぶつかる様な大きな音がして小十郎が締めたばかりのドアが開き。
「え」
 その開いたドアから見えたのは座り込んだ小十郎の背中だった。
「兄上、止めて下されっ」
「小十郎、幸に事故の事を話したのか!!事故の事で幸を責めたのか!!!」
 小十郎の前に、怒りを露わにした政宗が立っている。更にその彼の腰に、幸村がしがみ付いていた。
「俺のこの目に、幸は一切関係ねえ!!あの事故だって幸は被害者で俺達は加害者だ!幸を責める事は許さないと言っておいたはずだろう!!」
「……申し訳ありません」
「兄上っ、片倉殿は兄上の事を思ってっ……それに血の繋がらない某の弟としての立場を守って下さる為に、兄上が苦労なさったのは確かでござろうっ……」
「幸……幸が俺の負担になった事なんて一度もねえ」
「え?」
 政宗と小十郎の間に割って入ろうかと思った佐助だが、政宗の体が幸村の方を向いたのを見て、その必要はなさそうだ、と小さく息を吐く。
幸村の髪を優しく梳きながら政宗は。
「それ所か……俺は、幸が居なかったら今まで生きて来れなかった」
小さくそう零した。

「あにうえ?!」
「政宗様!」
 政宗の体が、幸村の上に崩れ落ちる。佐助は廊下に丁度通りかかった看護婦へ瞬時に声を掛けた。

「まさむねどの」
 幸村の視線の先には、再びベッドに沈んだ政宗の姿がある。
「旦那、そろそろ面会時間終わるよ」
「ああ」
 着替えを持ってきた使用人頭の老女と入れ替わるように、小十郎は政宗の代わりにやらねばならない仕事があると言って既に病院を去り。老女も屋敷の留守を守るために少し前に帰宅している。佐助は一応小十郎に自身が今幸村を保護している事を伝え、連絡先として名刺を渡していた。
「旦那?」
 返事は帰って来たものの、ベッド横の椅子に腰掛けた幸村が立ち上がる気配はない。
「さすけ」
 彼は自身の右手を見た後、困り顔で佐助に視線を送ってきた。
(あ)
 佐助も幸村の右手に視線を送ると。手首を政宗の左手がしっかりと掴んでいて、外れそうにない。
(……よっぽど離したくないんだねえ)
「看護婦さんに泊まれるか聞いてくるよ。旦那も傍に付いてたいでしょ?」
「……ん」
 少し悩んだ後、小さく頷いた幸村に微笑んで、佐助はナースステーションに足を向けた。

「じゃあ旦那、携帯に電話くれれば迎えに来るから。あ、伊達の方に戻る事になっても連絡は頂戴?」
『伊達に戻る事』についての返事は期待していない。幸村は多分まだ悩んでいるだろう。
(でも、独眼竜の方がもう離す気ないだろうし。この分だと完全解決も近いかな……まあ問題があるとすれば)
 政宗より小十郎だろう。しかし前世から政宗のいう事を絶対としている節のある小十郎なら。今日政宗の様子を見て、考えを改めるという可能性もあるのではないか。
(それにしても……真田の旦那が居なかったら生きて来れなかった、か。すごい殺し文句だね。……竜の旦那)
 佐助は、この現世での幼い頃の二人の事は知らない。けれど政宗にああ言わせる何かが、二人の間にはあったのだろう。幸村の方はそれを知らないようだったけれど。


『佐助へ。
政宗殿が離してくれないので、病院に暫く泊まる。病室に簡易ベッドも入れてもらった故 幸村』
 翌朝、携帯に入ったメールを見て。
 ああ、やっぱりなそうなったか、と思う。
 ちなみに幸村は、自身の携帯は家出した時に置いてきたようで。メールの差出人アドレスは知らないものだったが、恐らく政宗のものだろう。
『了解』
とだけ返し、自分の今日の仕事予定を頭の中で反芻する。
(……午後には病院行く暇出来るな)
 恐らくろくな食事を摂っていないであろう幸村へ、弁当でも作って持って行く事を決めて。佐助は取り敢えず目の前の仕事に取り掛かった。

「佐助」
 病院の玄関先で幸村に遭遇する。
「旦那、その服」
「ああ、政宗殿が着替えろと…さっき持ってきて貰ったのだが」
 幸村は昨日まで自分のお下がりを着ていた筈だが、今彼が身に付けている服。それはおそらく政宗が幸村に買い与えた中の1枚だろう。
「何故か政宗殿が不機嫌になるのだ、佐助から借りた服を着ていると」
 あー、そりゃそうでしょうよ、と言い掛けて言葉を飲み込む。幸村に理由を聞かれたら彼を納得させるまでに時間が掛かると思ったからだ。
「旦那、ご飯食べてないでしょ。俺様弁当作って来たんだけど。後これは病室にでも飾って。あ、俺様からってのは言わなくて良いから。旦那が買ってきた事にでもしといて」
 小さなバスケットに入った花束を幸村に手渡す。
「弁当、病室で食べる?」
「……佐助、中庭にベンチがあるのだが。そこで待ってて貰えないか?」
「ん、分かった」
 幸村の物言いからして、きっと佐助に聞いて欲しい事があるのだろう。
 花を置きに病室に戻る幸村の背を見送ってから、佐助は中庭へと足を向けた。

「すまぬ、もう入らぬ」
「まあ俺様のとこに来て以来一番食べたよね、うん」
 小さめの弁当箱の中身を半分程度食べた所で、幸村が箸を止める。昨日までの幸村なら一口二口食べた所で終わりだっただろう。政宗と会った事で幸村の体調の方もきっと上向く筈だと、佐助は安堵の息を吐いた。
「で、旦那。何か俺様に話したい事あるんでしょ?伊達の方に戻る決心ついた?」
「……戻りたい気持ちはあるのだ……政宗殿も俺に傍に居てほしいと言って下さったし……」
「だったら」
「……しかし政宗殿はああ言って下さったが、俺の存在が政宗殿にとって必ずしもプラスにはならない。むしろマイナス要素の方が大きいだろう……俺の事を、政宗殿の父上の愛人の子ではないかと噂している者も居るというし……」
「独眼竜はそんな周りの雑音より、旦那と居る事の方を選んだんでしょ。雑音は昔からあった筈だ。でも旦那はそれを右目の旦那に言われるまで知らなかった。それはあの男がそれだけ旦那を大切に、傷付かないように守ってた、そういう事でしょ。そんなに大事にしてた人が自分から離れちゃったら……こっから先は、ちょっと前のあの男の様子思い出したら分かるでしょ?
旦那、俺様はさ。今の独眼竜の事はよく知らなったから。昔の、旦那を捨てて平気な顔してたあいつしか知らなかったから。今回も平気な顔してたら、あの男の事忘れろって言うつもりだったんだ。でも、今のあの男は違うみたいだから。昨日のさ、右目の旦那殴ったあの男見て。心から真田の旦那を求めてるって分かったから。旦那も、あの男と離れただけで弱っちゃうくらいあの男が好きで、求めてるんでしょ。だから……
旦那は今度こそあの男の傍で幸せになるべきだ」
 佐助の脳裏に、前世の一場面が浮かぶ。政宗とその正室の姫の間に子供が出来たという噂が甲斐まで届いた頃。佐助は軽い口調で旦那にも良い縁沢山来てるんだから少しは考えたら、と幸村に伝えた。
『俺に女子を抱く事は出来ぬよ』
 それが幸村の答えで。彼はその後結局妻は娶らぬまま養子をとった。
 政宗との別れの後、幸村が政宗へ気持ちを語る事はなかったけれど。その一言で主の気持ちはまだ政宗にあるのだと、佐助には感じ取れた。
(あの時に、未来視の力が欲しかったね。そしたら言ってあげられたのに。こっちできっと幸せになれるよって)
「旦那、前と違って独眼竜の手は旦那に差し伸べられてるんだ。その手を取らなかったら……旦那、後悔するでしょ?それに」
「?」
「今の独眼竜は旦那が自分の手を取らない事許さないと思うよ」
 指で幸村の後ろを示す。振り返った彼が慌てて立ち上がって駆け出すのを見て佐助は苦笑した。
「あにうえっ安静にしてないと」
「幸が遅いのが悪い……また居なくなったかと思うだろ」
「っ」
(たぶん自分で点滴引き抜いてきたね、竜の旦那……あーあ、あんな所で堂々と抱き合っちゃって。注目浴びちゃってるよ。真田の旦那も顔赤くしてるだけで抵抗する気なさそうだしさあ。……ん?あれは)
 幸村を自分の体ですっぽりと包みこむように抱き込み小さく笑みを浮かべる政宗と。その胸に顔を寄せて頬を赤く染める幸村。そんな二人から少し離れた場所で、立ち尽くしている男が一人。
 小十郎だ。
(独眼竜の傍に居る右目の旦那なら見慣れた風景だと思ってたけど……あの様子だと)
 佐助は彼の元に近寄り軽く彼の肩を叩いて。
「もしかして、あの二人が一緒に居る所って殆ど見た事なかったとか?」
 そう尋ねた。この前、政宗の病室で抱き合う二人は見ていた筈だが。あの時の二人はまだ先に不安を抱えていて。今のような穏やかな顔はしていなかった。
「……伊達家の中枢の人間には、出来るだけ存在を隠すようにと政宗様が仕向けて来たからな。まして俺は余り良い感情を持っていない事を悟られていたから、特にプライベートで政宗様が真田と居る時は遠ざけられていた……」
「あれを見てもまだ、あの子があんたの主の負担になるって思うんです?」
「……政宗様があんなに穏やかに笑うとは……」
 政宗の方にもう一度視線を向け、彼を眩しいものでも見るように、目を伏せた小十郎が小さく呟く。
「真田に……政宗様の幸せを考えるなら傍から去ってくれと言ったが……居なくなった後、政宗様があんなに弱ってしまうなど思っていなかった。それに今のあの顔。政宗様にとってあの存在はそれだけ大きいという事か……あやうく俺の方が政宗様の幸せを奪ってしまう所だっんだな……」
 踵を返し歩き出した彼に「あれ、会って行かなくていいの?」と声を掛けると。小十郎はこう返して来た。
「今行っても邪魔なだけだろう。それより」

 暫く使っていないから、あの二人の住んでいたマンションは荒れているかもしれん。政宗様の退院までには使えるようにしておかなければな。


「俺様も中てられるのは御免だし、帰りますかね〜。残りの仕事もやっつけないとだし」
 幸村が政宗の傍に戻る事を中々決心できないでいたのは、小十郎の存在が大きかった筈だ。
(でももう大丈夫だから)
 それは近い内に小十郎の態度を通して、幸村へも伝わるだろう。

 寄り添って病室へ戻っているらしい政宗と幸村の二人を暫し眺めた後。
 清々しい気持ちで病院を出た佐助の視界には。
 晴れた青空が広がっていた。

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