吸血鬼政宗×人間幸村

「今日はまだ帰れぬか……」
 アパートの前で、2階にある自分の部屋を見上げ。その窓が遮光カーテンに隙間なく覆われているのを視界に入れ。
 真田幸村は小さく、しかし深い溜息を零した後。
 しばらく時間を潰さねば、と踵を返した。

 少し前までは一人暮らしの大学生だった幸村だが、今は同居人が存在する。
 その同居人は少し、いやかなり変わった事情を持っていた。
 普通の生地だった自分の部屋のカーテンを、遮光カーテンに変えたのは、その同居人に配慮して、だ。
 あの遮光カーテンがしっかりと閉まっている間は。
 その向こうで行われている行為に配慮して。
 幸村は家に足を踏み入れない。

 幸村の同居人・伊達政宗は。
 吸血鬼、と呼ばれる存在で。
 あの遮光カーテンの向こうでは、人が死なない程度の吸血行為と、吸血による興奮を抑える為の交わりが行われているのだ。


 幸村が政宗と出会ったのは、数週間前の深夜。コンビニのバイトを終えての帰り道、だった。

「遅くなってしまったな」
 自分の次のシフトに入るはずの相手が大幅に遅刻し、バイトの終了時間がずれこんでしまった。
 早く帰りたい、近道をしようと、普段あまり通らない細い路地裏を駆けていた時。
 道端に落ちているように見えた黒い物体が緩慢に動いて、思わず足を止めた。
(?何でござろう?)
 既に深夜1時を回っていて、辺りは当然暗く。その中で黒い、正体不明の物体など普通は不気味に感じるだろうに。その時の幸村に、不思議と恐怖は無かった。
(ひと?)
 近付くにつれて段々形が見えて来たその物体は。黒いマントに黒い服に身を包んだ、人間の男、のようだった。古風な衣服はまるで。
(映画に出て来る吸血鬼、のような……)
 等と幸村に連想させる。
(気分が悪いのであろうか?)
 片方の目は長い前髪で覆われ見えないが、もう片方は閉じられ、顔色は酷く青白く見える。目を閉じていても、整った顔立ちなのは良く分かった。
「如何なされた?」
 幸村が声を掛けると。男が僅かに体を起こし。
 その目がゆっくりと開かれた。
「……オレに構うな」
 低い、声が落ちる。
(人間、ではない、のか?)
 こちらを睨むように見つめる瞳は、金色で。人間のものとは思えない。
 しかし、やはり不思議と恐怖は無く。
(美しい色、だな)
 そんな事を思いながら、その瞳を眺めていると。
「っ」
「!!」
 男が再び崩れ落ちる。
 慌てて近付き、その体に触れ。
「血が?!」
 目の前の男が、血に濡れている事に気付く。何故か、血の匂いは感じなかったから、触れるまで彼が血を流していると分からなかった。
「……少し休んだら治る。放っておけ」
 そう言い残して、男は意識を失ってしまう。
(放っておけと言われても……)
 人間ではないかもしれないが、目の前に怪我人が居るのだ。
 そのような状況、幸村の性格上、捨て置いておくなど出来なかった。
(……医者は、もし人でないのなら、まずいかもしれぬな。まず俺の部屋に運んで。それから出来る手当を)
 自分より少し背の高い男を運ぶのは苦労したが。
「っ」
 自分の住むアパートまでは幸いそう遠くなく。
 幸村は何とか彼を部屋に連れて行った後。その怪我の手当てをしたのだった。

 彼の意識が戻ったのは、翌日の夕方、日が暮れてからで。
「アンタ変な奴だな」と幸村に言った『伊達政宗』と名乗る男は。
 異界から来た吸血鬼、らしい。
 事情があり、こちらの世界に逃げて来た、怪我は異界と人間界の貼ってある結界を強引に通ったからだ、と告げた彼には。
 酷い出血だった筈の怪我は、ほとんど残っておらず。
 その様子に、本当に彼が人外の生きもの・吸血鬼なのだなと納得した幸村だった。
「これから、どうなされるので?」
「適当に住む所さがすつもりだ。アンタには世話になったな。これは礼だ。宝石の類はあっちもこっちも確かあまり変わらなかった筈だから、売ればいい金になるだろ」
「な、こんな高価なもの、受け取れませぬ!たかが一夜泊めたくらいで……」
 差し出されたルビーと思わしき宝石を見ての幸村の言葉に、男は何やら少し考え込んだ後。
「なら、もうちっと。オレがこの世界に慣れるまで泊めてくれるか?……ああ、オレは人間の血は吸うが、殺す様な事はねえから、アンタを面倒に巻き込む事もねえと思う。血を吸った人間の記憶は消すしな」
 そう告げて来て。
 実は密かに一人暮らしに寂しさを感じていた幸村は。
 彼の提案に、頷いたのだった。

「料理、お上手なのでござるな」
「前人間界に来た時に面白そうだと思って、本も読み漁ってたんだが……あっちの住人にゃ血と生気以外の食事は必要ねえからな、実際に作ったのは初めてだ。オレも殆ど食べねえし」
「実践は初めてでこれでござるか……」
 政宗は変わった吸血鬼、で。
 日光に弱いから、と昼はほとんど寝て過ごしていたが。夜になると幸村に自ら作った料理を振る舞ってくれたりもした。
 実際の年齢は知らないが、見た目的には自分とそう変わらない歳に思える政宗。大学以外はバイトに追われて、同じ年頃の友人を作る時間が無かった幸村にとって。
 政宗と共に過ごす時間は、楽しいものだった。

 だが、最近段々と。彼と居るのが苦しい、と思う時間が増えて来てしまっている。
 政宗本人に問題があるのではなく。
 幸村自身の、彼へと向ける感情が、少しずつ変化している。
 それが原因だった。
 変化しつつある感情、それにはっきりと名前を付ける事はまだできていないが。彼の事を考えると、彼が自分以外と過ごしている時間を想像すると、胸の奥底が苦しくなる。
 けれど、彼に出て行って欲しい訳では決してなく、むしろ逆で。苦しいと思いつつも離れたくはない、のだ。


(そろそろ、戻っても良い頃合い、か)
 本屋やコンビニに行こうかと思ったが、結局立ち寄る気は起きず。政宗と出会ったころを思い出しながら歩いていた所、結構な時間経っていたようだ。
 この時間なら、政宗も用を終えている筈、と幸村は再びアパートへと歩き出した。

 遮光カーテンが少しだけ開いている。それが政宗の「終わった」という合図で。
 確認してから部屋へと向かうのが幸村の常となっていた。
(……この女性、以前も……)
 アパートの階段を下りて来た女性。足取りはしっかりしているが、その瞳はどこか虚ろで。それは彼女が政宗の術中にある事を示している。
 彼女が、今夜の政宗の相手、だったのだろう。
 終わる頃合いに見当を付け、アパート近くに戻って来るのが常となっていたから。幸村が、彼の相手の女性を目撃する事は多く。また見た限り。今まで政宗は一度血を吸った相手から再び血を吸う様な事は無かった気がする。
(この女性を余程気に入ったのであろうか?)
 浮かんだ考えを振り払うように首を振る。それが、当たっていてほしくなかったから。

「ただいまでござる」
 政宗は奥の台所に居るようで、食欲をそそる香りと共に炒めものをしているような音が聞こえて来る。
「ああ、戻ってたのか、おかえり」
「良い匂いでござるな」
「野菜炒め作ってる、もうすぐ出来るぜ。人間の夕食には遅いがアンタ、バイト上がりで腹減ってるだろうし、食べるだろ?」
 料理をしながら幸村へと笑む政宗に、先程までの女性の影は微塵も感じられず。それに安堵する。
 彼へと向ける気持ちが変化してしまってから。政宗が女性を抱くのは辛いと感じている。その場面を想像すると、酷く苦しく、心がずきずきと痛む。けれど。
 それは彼がその女性に好意を抱いている故のものではなく。
 彼が生きるためには必要な事なのだから、と。彼のあの行為は自分にとっては食事のようなものだから、と。
 そう言い聞かせると心が少し楽になったから。
 自身の気持ちに名前は付けかねたまま、幸村はそうやって胸の痛みや苦しさをやり過ごす日々を送っていた。


「っ」
 政宗は吸血鬼の名が示すとおりに、夜、主に行動する。そんな彼は、幸村がベッドで眠りに就いた後、一つしかないそこに潜り込んできているようで。部屋にはベッドの代わりになるようなソファもなく、それ自体を咎める気は全くないのだが。
 彼の姿を、その低い体温を、小さく寝息を立てる整った顔を確認した途端、幸村の心臓は何故かとくんとくんと高い音を立て始めてしまうから。
 朝、目覚めたら彼の顔が触れそうなほど間近にある、という状況にいつまで経っても慣れそうにない。しかも。
「某、大学に行く準備をしなければ。なので離して下され」
 たまに、政宗の腕は幸村の腰に巻き付いていたりするのだ。
 聞こえていないと思うが、一応声を掛け、体を起こすと。重力に従って、政宗の手は幸村からあっさりと離れた。それにホッとすると同時に、どこか寂しさも感じてしまっているのに気付くが。
 その感情の理由もまた、幸村には量りかねた。


(昨日一昨日は血を吸っていない様子であったから、今日は恐らく誰か連れ込んでいるであろうな……)
 アルバイトからの帰り道、幸村は溜息を吐いた。
 出来れば今日は帰ってすぐに寝たかった。バイトが丁度棚卸の日に当たり、しかも幸村の勤務している比較的人の少ない時間帯に配置換えもしてしまおうという事になり、重い棚を動かしたりで、かなりの体力を消耗してしまっている。政宗の血を吸う周期からして、期待は薄いだろうなと思いつつも。遮光カーテンが開いていますように、と願いながら。疲れで重い足をアパートへと進めた。

「……」
 見上げた窓。街灯に照らされたそこは遮光カーテンに隙間なく覆われていて。予想はしていたが、落胆は大きかった。
 どこかで時間を潰す気力も無く。
 幸村は結局、アパート前の道路脇の植え込みに、植物を傷付けない様に腰を下ろし。カーテンが開くのを待つ事にした。

「おい、幾らこの国が安全だからって、こんな夜中に外で寝るのはどうかと思うぜ」
「!」
 いつの間にか、眠り込んでしまっていたらしい。掛けられた声に驚き俯いていた顔を上げると。
 目の前に政宗が立っていた。
(政宗殿がここに居る……ならば、終わったのでござるな)
「そんだけ疲れてるって事か。……悪かったな、そんな時に待たせちまって」
「ま、政宗殿?!」
 言葉と共に、政宗の腕が伸びて来て。体を抱え上げられた。
「疲れてるんだろが。大人しく運ばれときな」
 その行動に驚きはしたものの。そのまますぐにアパートへと歩き出す彼の言葉に、疲れで動く気力が無かったのもあり、素直に従う。
(俺が政宗殿を運ぶ時はかなり苦労したのに……)
 自分を横抱きにしたまま、何の苦も無く階段を上って行く彼を見て。人間とはやはり体のつくりが違うのだろうか等とぼんやりと考えながら。
 常に政宗の体温が伝わってしまう体勢に。自分の心臓の音がうるさいと、幸村は感じていた。


「政宗殿、一つ提案があるのでござるが」
「何だ?」
 翌朝、珍しく起きていた政宗に、幸村は声を掛ける。
「その、某の血では駄目でござるか?某、血の気が多いとよく言われる故、多少血を失っても平気かと……」
 政宗が自分の血を吸ってくれれば、昨日のような事も無くなるし、また自分が彼と過ごしている女性の事を考える度に感じている胸の痛みも感じずに済むのでは、と。まだどこか意識が霞んでいる頭で考えた末の言葉。
 だが。
「……オレは男の血は吸わねえ主義、なんだ。ワリぃな。それにオレのは血を吸うだけじゃねえ……アンタだって男とセックスなんてしたくねえ、だろ?」
 困ったように笑んだ後、告げられた謝罪に。
 幸村の意識は一気にはっきりと目覚めた。
 同時に、今までで一番ひどく、胸が締め付けられるように痛んで。
 その痛みに。
 幸村は自分が政宗へと向けていた気持ちが何だったのかを、ようやく理解した。
「……大学に行ってきまする」
「まだ早くねえか?」
「……少し寄りたい所が有る故……さっき言った事は忘れて下され」
 政宗の言うとおり、まだ出る時間には早かったが。
 今は彼の傍を離れて、一人になりたかった。

「ぅく……」
 アパートから出て暫く歩いた所で、足を止めた幸村の頬には。涙の筋が伝っていた。
(俺が政宗殿に向けていた感情は。彼が女性と過ごしているのを苦しいと感じていた理由は)
 嫉妬、だったのだ、と。先程の政宗の言葉を。自分では彼の相手になれないのだというその言葉を受け。
 漸く理解した。
 そして嫉妬を抱くという事は。
 自分は、政宗に。
 彼へ単なる同居人や友人以上の想いを持ってしまっているのだと。
 名を付けかねていた彼への気持ちは。
 所謂恋、と呼ばれるものだったのだと。
 ようやく気付いていた。
(……政宗殿は、男の。俺の、血は吸えぬと。それに……)
 同時に告げられた、男とはしたくねえだろ?という自分に対する問い掛け。政宗と自分がそういう関係になるというのを、想像した事は無かったが。
 政宗への恋心に気付いた今、それを嫌悪するはずもない。だが。
 問い掛けの形式であれ、政宗が「自分とはできない」と言ったのも同然で。それは、彼にとって、幸村はそういう対象にはなりえない、と示していて。
 幸村の恋は、気付いたと同時に終了を宣言されたのも同じ、だった。

「まさむねどの?」
 結局大学に行く気にもなれず、人の影がほとんどなかった小さな公園でひとしきり泣いて心を落ち着けてから。アパートに戻った幸村だが。
 今はまだ昼過ぎで。政宗の行動時間には早すぎる筈なのに。
 幸村が見渡した限り、彼の姿はどこにもなかった。
「!」
ベッドの上に書き置きらしきメモがあるのに気付き、それを手に取る。
『今まで世話になったな。これ以上ここに居るのはアンタの迷惑になりそうだから出てく』
「……」
 迷惑など、今まで一度も思った事は無い。彼が女性を連れ込む時に、部屋に戻れないという事態はあったが、それもそう長い時間ではなく。昨日のようによほど疲れている時以外は、心はともかく、体にそう負担があった訳でもない。今朝の提案も、そうなったら良いなとの思いだけで口にした事で、政宗に迷惑を感じてのものではない。
 政宗は人間の食事はしないから、食費が増えた訳でもなく。それどころか、自分の為に料理を作ってくれる彼に助けられていた位だ。
(……俺への迷惑、などと書かれているが……)
 本当は、自分の想いが。今日自覚したばかりのこの感情が。男の癖に血を吸って欲しいなどと彼に言ってしまったこの自分の心が。
 彼を遠ざけてしまったのではないか。
 政宗は他人の感情に聡い方だと思う。だから。幸村自身すら理解していなかった恋心を、彼はあの時に理解してしまって。幸村のその感情を嫌悪して。それから逃れるために、この家から去ってしまったのではないのか。
 メモを持ったまま暫し立ち尽くしていた幸村だが。
 ふと思い出し、机の引き出しを開く。
 そこには、政宗から半ば強引に渡されたあの宝石が、包まれ鎮座していて。
(……政宗殿が、俺から離れたいと言うならそれを止める事など出来ぬ……)
 けれど、この宝石を返す事位は、させて欲しい、と。彼と過ごした時間は楽しかったと伝える事位は、許して欲しい、と。
 幸村は胸に痛みを抱えたまま、消えてしまった政宗を探そうと決めた。


 昼間に政宗を探しても意味がないだろう、彼は夜行性だからと。
 幸村はコンビニの夜間バイトが終わった後に彼を探し続けた。
 そして。
「!」
 彼に似た後姿の男性を見付け。急いで追いかけたが、その日は見失ってしまった。だが。
(今はあの辺りに住む場所を見つけたのであろうか)
 そう考え、明日また彼を見掛けた周辺を探してみようと決めた。

(あの女性は…・…)
 次の日の夜、彼の姿を見る事は叶わなかったが。代わりに。以前政宗が自分のアパートに連れ込んでいた女性を見掛けた。
 その女性が幸村の記憶に残っているのは。政宗が彼女を二度、連れ込んでいたのを見た事があるから、だ。
 帰宅する所らしい彼女の後を、怪しまれないように気をつけながらつける。
(…・…あの女性の所に居るのでござるな)
 彼女が帰宅した家の部屋の窓。柔らかい色のカーテンに覆われているそれらに混じってひとつだけ。
 真っ黒な遮光カーテンが引かれた窓があった。
 2度も彼女の血を吸った、ということは彼女を気に入っているのだろう。そう考えた瞬間、またずきりと胸が痛んだけれど。それを無理やり押し込めた。
 もしかしたら、幸村の言葉がなくとも。政宗はより住みやすい場所にその身を移す気だったのかもしれない。彼女の住むこの場所は、少なくとも幸村の住む、あのアパートよりは広く快適だろう。
(あの女性を通じて返したほうがよいのかも知れぬ)
 今日はあの紅い石は持ってきていないし、こんな夜に女性の住む家に訪ねていくのも失礼だが。
 政宗がこの家で暮らしているならば、あの石は彼女が持っておくべきだろう。
 あの女性を気に入っているらしい彼はきっと。しばらくこの家で暮らすであろうから。
 明日、大学が終わった時間に。改めて石を持って訪ねてこよう。
 その時に、政宗が無事に暮らしていることを確認できたらいい。
 そう思いながら。

 取り出した宝石を手のひらに乗せ見つめながら、政宗との時間を思い出す。
 彼と過ごした時間は1ヶ月にも満たない短いもので。生活サイクルの違う彼と共に過ごした時間も多くはなかったが。
 何気ないその日常が、バイトから帰った自分を政宗が小さく笑んで迎えてくれるその瞬間が。いつしか幸村の支えになっていて。
 これからもずっと、彼が傍に居てくれると良い。そう思っていたけど。
 自分の不用意な言葉が、それを壊してしまった。否あの言葉はきっかけに過ぎなかったかもしれないけれど。
 もしあの言葉を伝えなかったら。
 もう少し位は一緒に過ごせたのではないか。
(これを渡せば……俺と政宗殿の関係は)
 完全に終わる。彼と自分をつなぐものは何もなくなる。
 知らず知らずのうちに幸村の瞳からこぼれていた涙が。
 紅く煌く石の上に落ちた。

(しかし怪しまれないようにするにはどうすれば……)
 大学を終えて、彼女が在宅していますように、と願いながら件の女性の家に向かっていた幸村だが。
 如何せん自分が彼女を尋ねる理由をうまく説明できる気がしない。しかし政宗が彼女の元に居ることは確認したい。
(とりあえず行ってから思案することにするか)
 行き当たりばったりのほうが案外良い言葉が出るかも知れぬ、と。
 幸村はジーンズのポケットに忍ばせた石に手でそっと触れた後。歩き出した。

(!)
 彼女の家の近くまで来たところで、目的の人物が道端を歩いているのを見つける。だが。その状況が普通ではなかった。
(あぶない!!)
 歩道を歩く彼女に向かって、居眠り運転でもしているのか、トラックが突っ込もうとしているのだ。そして彼女はそれに気づいていない。
(あの女性は政宗殿が気に入っているらしき方で…・…彼女に何かあったら政宗殿が)
 胸を痛めるかもしれない。
 そう思い至った瞬間。
 幸村の体は動いていた。


『政宗様、このままではこの者は人間としての生を終えます。そうなったら、我等でもどうしようもできなくなるかと。そうなっては、後悔されるのでは?』
(?誰の声、だろう)
 頭に響く、男の声に聞き覚えはない。けれど男は『政宗様』と言った。ならば政宗と関わりのある男、なのだろうか。
(それにしても、俺は一体……!)
 全身がひどく痛む上に、指を動かすのすら辛く。意識もずっと霞がかかっているようにはっきりとしない。
 そんな中。
(ああ、俺は)
 あの女性をかばってトラックにはねられたのだ、と幸村は思い出していた。
(あの女性は無事であろうか……)
「……幸村」
(この声は、まさむねどの?)
 そういえば先ほどの男も彼に向かって話しかけているような内容だった。ならば、今目を開ければ、彼の姿を見ることができるのかもしれない。
 自分は多分助からないだろう。
 ならばせめて、最後に彼の顔を見て。
 どうせ消えていくのだ。彼に想いを伝える事を、許してほしい。
「まさむねどの」
 重いまぶたを必死で開けると。ぼやけた姿ながらも、求めていた彼の姿が視界に映り。
 最後に彼の姿を焼き付けながら逝けるなら、幸せかもしれない。と。
 幸村は笑みながら口を開いた。
 彼に、自分の心を伝える為に。


「アンタは、こっちの世界に引きずり込んじゃいけない人間だと思った」
 男だから、なんてのは言い訳で。
 オレの事を怖がらない所か住む所まで提供してきたお人よしなアンタを、最初はただの興味本位だけで近づいてきた人間かと思ってたけど。そうじゃなく。アンタは純粋にオレの事心配してくれて。そんな人間に出会ったのは初めてだったから、最初は戸惑って。けどアンタと暮らしてるうちに、そんなアンタに惹かれていって。
 でもアンタの血だけは吸っちゃいけねえって思ってた。
 惹かれてる相手から血を吸っちまったら、ただ吸うだけじゃ終わらねえ可能性があった。
 惹かれてる相手の血はオレの種族にとってなにより旨いもので。同時に。人間であるアンタを俺たちと同じ闇の種族に堕としちまう可能性が高い。
 アンタに闇の種族なんて似合わねえ。
 アンタから血を吸ってほしいって言われた時、嬉しかったんだぜほんとうは。
 けど、アンタみたいな人間の中でもなかなか見かけない純な種を、闇の種族に引きずり込んじゃいけねえ、アンタは人間の世界で普通の暮らしをしながら笑ってるのが似合ってる、そう思って。
 アンタから逃げた。
 それなのに。
 他の人間かばって死に掛けるなんてよ。
 あの女はオレの特別でも何でもねえ。
 この世界でオレの特別な存在はアンタだけ、だ。
 この世界では、人間の体ではアンタはもう生きられねえ。だったら。
 「その生、オレがもらっても良い、よな?」
 すでに目を閉じてしまった幸村の、血を失い青白くなってしまった唇に、指でそっと触れる。そして。
 自らの指をナイフで傷つけた後。流れたその血を口に含み。
 幸村へと口付けた。


(まさむねどの?)
 ふわふわとどこかわからない空間に意識を漂わせていた幸村のもとに。
 彼の声が降って来る。少し前までも、彼からなんだかとても幸せな告白を聞いた気がする。
『幸村、アンタの人間としての生は終わった』
 ああ、自分はやはり死んだのか、と彼の言葉を聞きながら納得する。しかし、その後彼から伝えられたのは。
『アンタが、闇の種族としてオレと共に生きる覚悟があるのなら』
(え?)
『目を開けて、オレの手をとってくれ』
(政宗殿と共に生きる?そんなことが?)
『……アンタの瞳が見たい。もう一度、その瞳に俺を映してくれ』
 彼からそんな風に求められて。逆らう理由など幸村にはない。
 人間としては死んだらしい自分が、これからどうなってしまうのかは想像がつかないが。
 彼の声に応えたい。
 その一心で。
 幸村は重い瞼を開けた。
「まさむね、どの?」
 目覚めた薄暗い空間がどこなのかはわからない。
 けれど、目の前に居た政宗に抱きしめられて。
 そんな事はどうでも良くなってしまう。
「アンタは、もうオレと同じ闇の種族だ。オレの傍で、闇の世界で生きるしかねえ」
 どこか不安げに告げる政宗に。
 幸村は心よりの言葉を告げてうっとりと笑んだ。


「……それはまこと幸せなことでござるな……」

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