BROTHER`S STEP 番外編(短編集)
BROTHER`S STEP番外-指輪の話-
*終章の後、1年ちょっと経った設定の話です*
(政宗殿?)
ある店に入っていく義理の兄の姿を見掛け、幸村は声を掛けようとするが。
「あにう……!」
彼の隣に誰かいるのを見て、呼び掛けは最後まで言葉にならず。
結局その姿を見送る事しか出来なかった。
(あのような所に女性と二人で入っていくなんて……何の用だったのであろうか)
幸村と、五つ年の離れた義理の兄・政宗は紆余曲折を経て、少し前に恋人として結ばれた。
兄弟としても恋人としても、幸村に惜しみない愛情を注いでくれる政宗との甘い二人暮らしを満喫しているのだが。
今日、政宗が女性と共に店に入って行った所を見て。彼がその場所に女性と行く必要性に首を傾げた。
(お仕事の関係であろうか?でも予定にはなかったはず)
幸村は高校卒業後、政宗の秘書代わりをしているから。大体のスケジュールは把握していたが、あんな場所を尋ねる予定はなかったように思う。
政宗が女性と共に入って行った店。
それは宝飾店だった。
「幸?何だ、居たのか。出迎えてくれないから居ないのかと思った」
「!兄上、お帰りになってたのでござるか。ちょっとぼーっとしてたでござる」
考え込んでいる内に、政宗が帰宅していたらしい。常に玄関に出迎える幸村が、出てこなかった事に政宗は少し拗ねている様に見える。
「あにうえ、おかえりなさいでござる」
そんな彼の機嫌を取るべく、幸村は小さく背伸びをして彼の頬に軽くキスをした。
「んっ」
すぐに離れようとした幸村の背を政宗が抱き寄せて。今度は彼の方から口付けが落とされる。髪や額に政宗の唇が辿った後。最後に口へ、ちゅっと音を立てるキス。
「ただいま、幸」
どうやら機嫌の直ったらしい政宗は、小さく笑みを浮かべ帰宅の言葉を口にした。
政宗の気持ちが自分以外に向かっているとは思わないから、浮気の心配はしていない。彼は相変わらず自分を甘やかし、しょっちゅうキスや抱擁をしてくれる。
以前は不安になる事も多々あったが、それを全て吹き飛ばしてくれたのは政宗本人だった。
自分だけを求めてくれる彼の言葉を、幸村は信じている。
だからそちら方面での不安は持っていない。
何故宝飾店に女性と入って行ったのかという疑問は、あるけれど。
(声を掛けれなかったのは……)
連れだって店に入っていく二人が、まるで結婚を約束した恋人のように見えて。それが少し哀しかったからだ。
それが事実ではない事は、幸村が一番良く分かっている。けれど自分と彼が連れ立ってあの店に入っても、周りからは恋人と思われる事などない。女性が実際は政宗の恋人ではないと、分かっているけど。周囲にそう誤解させる事のできる彼女に少し、ほんの少し嫉妬した。
(……贅沢でござるな)
自分が政宗から、まるで宝物のように大事に守られ愛されている自覚はある。だから的外れな嫉妬などする必要はないはずなのに。
宝飾店の前で見た二人は、幸村の心に小さな痛みを落としていた。
「幸、ちょっと付き合ってくれ」
「?」
休日の夕方、政宗が幸村を自分の車に乗せて連れて来たのは。
(え、ここは)
数日前、幸村が政宗と女性が連れ立って入っていくのを見掛けた宝飾店、だった。
「この前の奴、こいつの薬指にサイズ合わせてくれ」
「!?」
畏まりました、少々お待ちを、と店員がいったん奥に下がり。指輪が入っていると思われる小さなビロード箱を手にして戻って来た。
「ほんとは、幸の十八の誕生日に贈りたかったんだがな」
あの頃は幸も俺の秘書になる為の勉強で忙しかったし、プレゼントもそっち方面のが良いかと思ってスーツにしちまったしな、という政宗の呟きを。幸村は駐車場に停められた車の助手席で呆然と聞いていた。
自らの薬指を飾るシンプルなリングを眺めながら。
「幸?気に入らなかったか?それ」
「!いえ、そうではなくっ……これ本当に某が貰っていいのでござるか?」
「俺が幸以外に指輪贈る相手なんて居る筈ねえだろ」
顔を上げると、少し呆れ気味な政宗の顔を視線が合う。
「……実はこの前あの店に兄上が入っていくところ見田でござるよ……。その時に兄上は女性と一緒で」
「……浮気とでも思ったのか?」
政宗の声が、少し低くなる。
「いえっ、某はもう兄上の、政宗殿の気持ちを疑ったりはしませぬ。ただ」
他の方から見たら、兄上とあの女性は結婚を約束した恋人のように見えているであろうなと思って。それがちょっと痛くて。だから声も掛けれなかったでござるよ。
幸村の言葉に、政宗は驚いているようだった。
「……別に他人の目なんかはどうでも良いが、幸からそんな風に見られるのは、幸にそんな思いさせるのは御免だ。……最初から幸を連れてけば良かったな」
政宗が窓の外を向く。
「あの女は仕事で知り合ったデザイナーだ。幸のその指輪、俺がデザインしたものなんだが、俺は素人だからな。デザインの修正をあの女に頼んでた。……全部幸の為に、だ。んであの女が自分も仕上がり見たいからって言うから仕方なく連れてただけだ」
「兄上がデザインしたもの?」
確かに一見シンプルだが、裏側に小さな蒼と紅の石が埋め込まれたそれは、余り普通に出回っていそうにない。
「ああ……幸の指を他の奴がデザインしたものが飾るのは嫌だったからな」
外がだいぶ暗くなってきて、鏡のようになった窓に政宗の表情が映っている。その顔は少し照れくさそうだ。その様子に幸村の胸にあったほんのわずかな嫉妬と痛みは解けていく。
「……嬉しいでござる」
幸村のその声に、運転席の政宗が振り返る。
「幸、それ受け取ったんだから」
俺の傍に一生居る覚悟は出来てるって事だよな?
こくん、と頷くと。
政宗に手を取られて。薬指を飾る指輪に彼が唇を寄せて誓いのようなキスが贈られ。
その後幸村に口付けが降って来る。
軽いキスを何度も交し合う二人のその様子を。
幸村の指にある指輪だけが見守っていた。
BROTHER`S STEP01番外-クリスマス-
「兄上、車、買い換えられるのでござるか?」
十二月の中頃過ぎ、幸村は政宗の部屋の机に車のパンフレットが大量に置かれているのを見てそう尋ねたのだが。
「……」
政宗から返って来たのは、少し気まずさを感じさせる沈黙だった。
(……なんだか嫌な予感がするでござる。……まさか)
「もしかして。……某へのクリスマスプレゼントに、とか考えておられまするか?」
「……ばれたか」
「あの、兄上?某は免許持っておりませぬよ?」
「……教習所行くか?でもあれ結構時間取られるな。幸と一緒に過ごす時間減るのが俺としては……」
悩み始めた政宗に、幸村は慌てて告げる。
「あにうえっ、別に車など欲しくありませぬ!某も兄上と過ごす時間減るのは嫌でござるよ。それに……自分で運転するより、兄上の車に乗せていただく方が好きでござる」
「ゆき……そうだな、俺も幸を助手席に乗せる機会が減るのは嫌だ」
ベッドに座った政宗の膝の上に抱え上げられ、髪にキスを落とされる。
どうやら車を贈られる事は避けられそうだ、と幸村は内心安堵の息を吐いた。
勿論、伝えた言葉に嘘はないけれど。
「車以外だと……幸、何か欲しい物あるか?」
「『モノ』はもう兄上からは十二分に貰ってるでござる……それより、クリスマス、一緒に過ごす時間あるでござるか?」
政宗の秘書になって知った事だが、十二月は決算という事もあり会社の方も忙しい。幸村が管理している政宗のスケジュールも年末までびっしり埋まっていた。
ただ一日の空白を覗いて。
「25は昼から外せない仕事があるが、24はずっと幸と一緒だ。俺のスケジュールは幸も把握してるだろ。24は幸と過ごす為に入れた休みだからな」
「嬉しいでござる……某はものをいただくより、兄上と……政宗殿と過ごす時間の方がずっと幸せでござるよ」
政宗のスケジュールの空白が自分の為だという事実に安心と感謝を感じながら、彼の胸に頭を摺り寄せる。今日の幸は可愛い事ばっかり言ってくれるな、と呟きながら。政宗は優しく頭を撫でてくれた。
「ケーキはどこのが食べたいとかあるか?そろそろ予約締め切るとこも多いからな。俺は甘いものは詳しくないが。一応社の女子社員に聞いて、良さそうな所はチェックしてみた」
幸村を膝に乗せたまま、政宗がベッドサイドに置いていた小さめのノートPCを開く。少しの操作の後、幸村の方に向けられた画面には、有名パティスリーのクリスマスケーキ写真が並んでいた。
(どれも美味しそうでござるが……)
プロが作った見た目にも凝ったケーキ達は確かに魅力的だが。
「あの、兄上?」
「?」
「兄上に作っていただく訳にはいきませぬか?」
幸村が一番好きなのは、政宗が作ってくれるものだ。
「店のより、俺の作った奴の方が良いのか?」
こくんと頷く。
「そうか、どんなのが良いんだ?」
政宗は笑みを浮かべて、了承の意を示してくれた。
「凝った物じゃなくて……兄上、前日もお忙しいであろうし」
小さい頃に作って下さったパンケーキ、果物を挟んで生クリームをトッピングした、あれがまた食べたいでござる。
「……」
(まさむねどの?)
「あんな簡単なので良いのか?普段でも作ってやれるぞ?」
ほんの一瞬、政宗の表情が翳ったように感じ気になったが、次に見た時はいつもの彼だった。
「あれが良いでござる。兄上が初めて作って下さったクリスマスケーキでござったし」
「そんな事まで覚えてるのか。分かった、作ってやる」
「有難うでござる!」
幸村が笑顔で礼を告げると、政宗のキスが瞼や唇へと降って来て。政宗の唇が離れた後、幸村も政宗の頬へキスを贈り。暫く二人で軽いキスを交わし合いながら過ごした。
すぐ隣の幸村が寝息を立てているのを確認して、政宗は上半身をそっとベッドから起こし。ベッドサイドに置いてある本棚。その並べられた本の後ろに手を伸ばし、小さな古びたメモ帳な様なものを取り出した。
ぱらぱらと捲り、あるページを確認する。
そこには幸村が言っていた果物を挟んだパンケーキのレシピがあった。
(……ホットケーキミックスはM社の、か。作り方は普通のホットケーキの応用だから記憶してるが、幸が好きな粉の種類までは覚えてなかったな……最後に作ったのはいつだったか……)
女性らしい丸めの文字で書かれたレシピを見ながら記憶を振り返る。
幼い幸村が自分の膝に座ってケーキを食べる姿を思い出し、その愛らしさに笑みが零れる。だが同時に。
彼が自分と暮らすようになった経緯を再確認してしまい。
メモ帳を眺めていた目を伏せた。
メモ帳には他にも比較的簡単に作れるお菓子のレシピが手書きで綴られていて。端の方には「幸村はバナナよりいちご挟んだ方が好きみたい。リンゴも良さそう」「チョコクリームよりカスタードを好んで食べてる」等という書き込みもある。
政宗が持っているメモ帳。
それは。
幸村の母親の遺品、だった。
「星が綺麗ですよ、坊っちゃん方」
世話役の女性のその言葉に惹かれ、弟と二人、外に出た。
温かくなさって下さいね、という声と共に、厚手のコートを着せられていたから。12月の風の冷たさも余り気にならなかった。
「幸」
手のひらを差し出すと、直ぐに自分よりだいぶ小さな指が重ねられる。
数年前に政宗の弟となった彼。
不思議なほど自分に懐いた。
彼の、幸村の母親の死には、自分も関わっていると言うのに。
「あにうえ?」
沈んでしまった自分の気持ちを、感じ取ったのか。
幸村が心配そうな眼差しを政宗に向ける。
茶色い大きな瞳の中に、自分が映っている。
可愛い弟に心配を掛けるのは本位ではない。
政宗は何でもない、と首を振って。
星の浮かぶ空を見上げた。
幸村も政宗に習って上を向く。
暫く幸村の他愛ない質問に答えながら、星空を鑑賞した。
「ふぁぁ」
「眠いか?」
「う〜」
首を横に振って否定しようとはしているが、小さな口から零れる声は意味を成していない。抱き上げると、素直に体を預けて来た。
「……幸、起きてるか?」
帰り道、すっかりクリスマス色に染まったパティスリーを見て、足を止める。既に夜の9時近く、店は当然閉まっていたが、窓に張られている『クリスマスケーキ予約受付中』のポスターを見て。ふと思いついて腕の中の弟に声を掛けた。
「なあに?」
「クリスマスケーキ、どんなのが良い?」
政宗は甘いものにあまり興味がなく。いつもは父が送り付けて来る良くあるショートケーキのホールを、少し口にするだけで。幸村が来てからはそのケーキを無駄にする事はなくなったけれど。甘いもの好きな彼なら、食べたいケーキというものがあるのではないかと思った故の問いだった。
「ん〜……。いつものお店の生クリームのケーキもきれいで美味しくて好きでござるよ。でも幸が一番好きなのはパンケーキの間にクリームといちごが入ったケーキっ。あれが食べたいでござる、あにうえ」
「!」
幸村が政宗の弟になってから、普通のパンケーキはおやつとして出た事はあるが、そんな状態のパンケーキが出た記憶は政宗にはない。けれど。
政宗はそのメニューを知っていた。
「あにうえ?だめでござるか?だったらいつものでも「わかった。作る」
「兄上が作ってくれるのでござるか?」
「ああ、簡単だしな」
「楽しみでござる!……ふぁあ」
「寝てていいぞ、幸」
「……あい、おやすみなさいでする。あにうえ」
(……記憶がないと言っても、母親に作ってもらったものは覚えてるんだな)
幸村が食べたいと言ったパンケーキ。それは政宗が引き取った幸村の母親の遺品の中に、確かに記されていた。記憶が無くても母の作ったそれを食べたいと言う幸村に、小さな痛みを感じながらも。
すぐに寝息を立て始めた弟を抱え直し、政宗は今度こそ家へと歩き出した。
(あの後からだな、俺が菓子作りにも凝り始めたのは)
すうすうと寝息を立てている幸村の前髪を、そっと梳く。二人で星を見た幼い日から、既に10年以上時は経過しているが。幸村の無邪気な寝顔は、あの頃からあまり変わっていないように思える。
あの年のクリスマス。幸村は自分の作ったパンケーキを喜んで食べてくれた。今までの店のクリスマスケーキよりずっと。けれど、政宗の心境はいささか複雑だった。
(喜ぶ幸を見るのは嬉しい……)
しかし、そのメニューが幸村の亡くなった母親の考えたもの、という事が気になった。
本当は母親の事を忘れてなどいないのではないか、でも母親の事で泣かれてしまうのは政宗も辛い。だから尋ねる事など出来ず。
最初は幸村の母親が残したメモを見ながら、彼女が作っていたおやつを幸村に食べさせていたが。このメニューが幸村に母親の事を意識させてしまうのではないかと思ってしまい。その後は自身でレシピを探して本格的に菓子作りの勉強をした。
幸村に母親の影を思い出させない為に。
幸村を完全に自分の弟にしてしまう為に。
(……ここ数年、言い出さなかったから安心してたんだがな)
幸村の母のレシピは家庭的なものが多かった。だから政宗は敢えてその真逆の店で売っているようなものを勉強して手作りし、幸村へ与えて来た。自分で言うのもなんだが、プロ顔負けのそれらに、幸村も目を輝かせて喜んで。いつしか母親のレシピの事は口に出さなくなっていた。
(今頃になって言われるとはな)
手元のメモ帳に再び視線を送る。正直、このレシピ集を見るのは、政宗にとって辛い。何故ならそこには母親の、幸村への愛情が詰まっているからだ。
奪ってしまう原因となってしまったという理由からでは決してないが、愛情は沢山注いできた。けれど、幸村がふと口に出した言葉で。自分が作った物ではなく、母親のレシピのケーキを求める言葉で。
政宗は自分は彼の母親程の愛情は与えられていないのではないかと、思ってしまう。
(別に幸の母親と競争する気はねえが)
彼女の命を奪ってしまった原因の一部は、確実に自分で。
だからこそ奪ってしまった物以上を、幸村に与えたかった。
(……幸は……あの事故に俺の責はないと言ってくれたが……)
最近ひとつ、思い出してしまった事がある。
「兄上、これ位で良いでござるか?」
「ああ、THANKS」
24日。朝食と昼食は軽いもので済ませ。夜、キッチンで準備をしていると。幸村が傍にやって来て。危ないから、と伝えると、もうそんな年でないでござると返され。確かにそうか、と納得した政宗は、幸村に少し手伝ってもらう事にして。勿論おもに作るのは政宗だが、二人で料理を作り上げていった。
「幸、あんまり食べ過ぎるとケーキ入らなくなるぞ」
「だいじょうぶでござる!」
政宗の膝の上。並べられた料理を次々頬張る幸村の食べっぷりは見ていて小気味良いが、少し心配になり声を掛けると。平気との返事がすぐに返って来て苦笑する。
「ケーキ作って来る」
俺はこれ以上入りそうにないしなと内心思いながら、幸村をいったん膝から退けて立ち上がると。幸村が食べていた手を止め、また手伝いたそうな視線を向けて来たが。
「あのケーキは簡単だからな。幸に手伝ってもらうまでも無い。幸は食べながら待っててくれ」
政宗がそう告げると、幸村は素直に頷いた。
「……」
普段自分が作る凝ったケーキより断然簡単なレシピのパンケーキだが。政宗はこれを作るときに酷く神経を使う。幸村の母親のレシピを完璧にまねる事を第一に考えるからだ。
母の思い出の残る味を忘れて欲しいと思いながらも。
違うと。母親の作った物と違う、求めていたのはこれじゃないと言われてしまうのは嫌だった。
(いや、記憶のない幸がそんな事言う筈ないとは分かっているんだがな…)
これは政宗の中に残る、幸村とその母への後ろめたい想いのせいだろう。
「あにうえ?」
「!」
いつの間にか幸村が傍に立っている。
「ああ、ちょっとぼんやりしてた。すぐ作るから向こうで待ってろ、な?」
「……分かったでござる」
政宗を少し見つめた後、何か言いたそうにしながらも言葉が見つからない様子の幸村は、声に従いリビングに戻ろうとするが。ふと、政宗の手元に用意された物たちに視線を向けた彼が、首を傾げて言葉を発した。
「兄上、先程の料理に使ったカスタードは使わないので?まだ余ってるのに勿体無いでござるよ」
幸村に取っては何気なく、本当に勿体無いと言う気持ちから零れた言葉なのだろう。だが。
(ゆき)
それは確かに政宗の心を軽くし。
冷蔵庫に保存していたカスタードクリームを取り出して。他にも使えそうなものはないかと視線を巡らせた。
「綺麗でござる!」
今までは、簡単にパンケーキの上は絞り器を使った生クリームで単純なトッピングをするだけだったが、今年は少し凝ってみて。チョコレートソースで星を描いたり、アイスクリームとウエハースで小さな家を作って飾ったりしてみた。
幸村がそれを見て喜ぶ。
その様子に暖かい気持ちになりながらも、政宗は幸村がそのパンケーキを実際口にするまで、僅かに緊張していた。
再び政宗の膝の上に座った幸村が、ケーキを口に運ぶ。
「幸、どうだ?前の奴とはずいぶん違うと思うが」
「前のも美味しかったでござるが、今回の方が兄上の作った物という感じがして好きでする!」
「……!」
幸村が笑顔で政宗を振り返って告げる。それを受けて、政宗は今まで出来なかった事を。告げる勇気が無かった事を。彼に伝えようと決めた。
「幸、これな」
「?」
ポケットに入れていたメモ帳を、幸村の前に差し出す。首を傾げながらも受け取った幸村は、パラパラと中を確認した後。
「兄上が昔作ってくれていたお菓子のレシピ?でもこれ兄上の文字じゃない……」
「幸、それはな。幸の、母親のものだ」
「え」
「幸の母親が幸の為に書いてたレシピで。俺は昔それを真似して作っていた。……このメモ帳、幸が愛されてたのが良く分かるだろ。……俺は今までこれをずっと隠してた。……幸が母親の事を思い出してしまうのが。それによって俺に対する雪の気持ちが変わってしまうのが怖くて、だ」
「某の母の事故に兄上は何の責も無いと伝えたはずでござる!」
「ああ、そうだな。幸はそう言ってくれて。俺はその言葉に救われた。けどな、最近思い出してしまった事がひとつある」
「あにうえ?」
幸村が政宗の膝の上で振り返る。彼の茶色い大きな瞳を暫し見つめた後。政宗は目を伏せぽつりと呟いた。
右目を怪我したあの時。
俺は救急車を呼ぶ事を由としなかった。大袈裟に騒がれたくなかったからだ。
……救急車で病院に搬送されていれば、あの事故は起きなかった。幸に母親を失わせる事も無かった。
「……あにうえ」
幸村が立ち上がった後、首に腕を添える様にして抱き付いてくる。
「某の事を愛してくれていた母には申し訳ないでござるが、あの事故が無かったら兄上と出会えなかったと考えたら。……某は辛いでござる。兄上に、政宗殿会えて。愛していただいて。凄く幸せでござるし。それに」
メモ帳に視線を落とした幸村が、淡い笑みを浮かべながら告げる。
「某、施設の方では余り幸せでなかったでござるよ。だから兄上が迎えに来て下さった時、嬉しかったでする。……施設に居る時、必要ない子供なのかと幼心に思っていたこともあるでござる……だから。自分が愛されていた事も知れて、良かったでござるよ」
兄上には、これを某に見せる事は勇気の要る事だったのでござりましょう?有難うございまする。
「……幸、このパンケーキな。俺がまだ一度も幸に作る前に、幸がクリスマスに食べたいと俺にリクエストした奴、なんだ」
「え、そうなのでござるか?某覚えてないでござる。今回食べたいと言ったのも、『兄上が初めて作ってくれたクリスマスケーキ』と同じようなものが食べたくて……」
「そう、か」
「兄上、某が食べたかったのは母親のレシピのパンケーキではなく、『兄上が作って下さったパンケーキ』でござるよ。某は相変わらず母の記憶はありませぬし。でも某を愛してくれていた母なら、きっとこの薄情を責める事はないと思うでござるよ。このレシピ兄上が持っているのは辛いでござるか?大丈夫でござるなら、このレシピに載っている物を母と全く一緒ではなく、兄上らしくアレンジしたものを、作って欲しいでござる。某が一番好きなのは、兄上が作って下さるものでするから」
「ゆき」
立ち上がり、幸村の背を強く抱きしめる。
良く彼は政宗に与えられてばかりと、気にしていたが。本当は全く違う。幼い頃から政宗の方が、幸村に与えられてばかりだ。幸村が与えてくれるのは、気持ちという目に見えない大きなもの。
「兄上、某を弟にして下さって、有難うでござる。
政宗殿、某を恋人にして下さって、有難うでござる。
……某を沢山愛して下さって、有難うございまする」
「ゆき、ゆき」
幸村の言葉に堪らなくなって、政宗は彼にキスを贈る。心の内に燻る愛情を伝えるために。
「ん、ふっ」
いつもより甘い味のする唇から名残惜しげに離れると。
「まさむねどの」
幸村の潤んだ瞳と視線が合った。
「幸、良いか?」
横抱きに抱え上げた幸村に問うと。恥ずかしそうに眼をそらしながらも小さく頷いて。それを確認してから、政宗は自室のベッドへと向かった。
「ふぁっ」
上着とシャツを脱がし、肌の手触りを楽しむ様に体のラインに沿って指を滑らせる。
敏感な幸村はそれだけでも小さく体を揺らして声を上げた。
一通り胸や臍などを刺激した後。まだ脱がせていなかった下に手を伸ばそうとした瞬間。
「!」
政宗のジーンズの後ろポケットに入っていた携帯が着信を告げるメロディーを奏でた。
「……くそっ」
「兄上、その着信音、片倉殿でござろう?むやみにかけてくる方とは思えぬ故、お出になった方が」
幸村の言うとおり、この音は小十郎からの着信で。今日のこの日に掛けて来たという事は確実に急用なのだろう。
政宗は幸村の額にキスを一つ落としてから。
携帯を取り出した。
(まさむねどの)
やはり仕事関連で急用があったようで、政宗は直ぐに戻るつもりだが眠くなったら寝てていいからと言い置いて出掛けてしまった。
しかし、幸村の中には中途半端に煽られた熱がまだ燻っていて。
(シャワーでも浴びて誤魔化すでござる……)
「……っ」
かなり熱めに設定したシャワーを頭から浴びるが。内に燻っているものは収まるどころか更に高まってしまったように感じる。
普段、特に政宗と体の関係を持つようになってからは殆ど自分で慰めるという行為をしなくなった幸村だが。
今日は政宗の中途半端な愛撫によって溜まった内側の熱を何とかしたくて。
シャワーに打たれたまま、自身に手を伸ばした。
「…はぁっ」
政宗の手の動きを思い出しながら、緩やかに勃ち上がった中心を刺激して行く。段々と硬くなっていくそれに追い立てられるようにしながら、手の動きを早めていく。
そして。
政宗が良くするように先端に軽く爪を立てて。
「んぁあ!」
熱を吐き出した。
「…はぁっ」
(……足りぬ)
放ったばかりの前だけでなく、触っていない後ろ疼いてしまっている。
(うう、しかしあの場所を自分で弄るのは……)
膝をついて、恐る恐る奥まったそこに指を伸ばすが。
(……やっぱり無理でござる!)
入り口周囲をなぞるだけで、中に入れる勇気は出ない。
もう上がって寝てしまうか、とバスルームのドアを振り返って。
「!!!」
幸村は動きを止めた。
「あ、あにうえいつからそこに?!」
確かに占めていた筈のドアが開け放たれ、壁に体を凭れさせるようにして、政宗が立っている。強めのシャワーの水音のせいか、全く気付かなかった。
「幸がイッた瞬間あたりから、だな」
「っ!黙って見てるなんて酷いでござる!」
近付いてきた政宗の胸を両手で小さな子供のように、ポカポカと殴る。勿論本気の力ではないが。政宗はそんな幸村の様子を大して気にした様子もなく。
「幸、途中で放って悪かったな」
そう耳元に囁いて来て。大好きなその低温の声にまた体内の熱が上がってしまった気がして。
幸村は政宗から視線をそらしながらも、殴っていた腕の動きを止め、彼に抱き付いた。
政宗のせいなのだから、この熱を早く収めて欲しいという無言の主張を込めて。
「ん、くぅ…あん!」
ベッドの上で四つん這いになり政宗に向けて尻を上げた状態で。奥を解す彼の指に翻弄される。たっぷりとローションを付けた指はくちゅくちゅと卑猥な音を立てて、幸村の羞恥を煽った。
つぷん、と水音を響かせ指が増やされる。
「あ、あ…ひぃあ!」
2本の指の腹が幸村のもっとも敏感な部分を擦り、乱れた声が零れた。前も既にみっともないほど先走りを漏らしシーツを濡らしている。
「くう、ん」
指が離れた後も、自分のその部分がひくついているのを感じ。幸村はシーツに顔を押し付け羞恥に耐えようとしたが。
「!ひぁぁああ!」
政宗の方も余裕がなかったのだろう。普段は幸村に確認の声を掛けてから繋がる事が多いのだが。今日は背後から突然中に大きな質量を突き付けられ。その強烈な快感に、幸村の頭から羞恥という文字が消え。大きな喘ぎを上げた。
「あ、やぁ!」
そしてほぼ挿入と同時に、精を放ってしまった。だが政宗が動きを止める事はなく。
「ぁああ!」
中の感じる場所を、熱く硬い政宗自身に刺激され、幸村の中心は再び熱を持って行く。
政宗が動くたびにぐちゅぐちゅと音を立てる中に煽られる。
「ひゃうっ」
すぐに次の限界を迎えそうになった幸村の中心を、政宗の指がせき止めるように抑えてしまい、泣きそうなるが。
「ゆき、今度は一緒に、な」
熱の篭った声でそう告げられては、頷くしかなかった。
「くっ」
「あ、あー!」
程なくして政宗の唇から切羽詰まった音が漏れ、幸村の前も解放されて。
二人でほぼ同時に達した。
幸村が目覚めたのは既に朝日が昇り切ってしまった時刻で。今日の昼から仕事のスケジュールが詰まっている政宗は既に服を着替えていた。ちなみに幸村を始め、一般社員は基本土日休みという体制の会社だ。
「今日は無理だが今度一緒に休める日にプレゼント買に行くか、幸」
「某、ものは何もいりませぬよ」
「幸は自分から殆ど何も欲しがらねえな」
「……一番欲しいものは傍にあって下さったから、欲しがる必要がなかったのでござる」
小さな声のそれは、どうやら仕事の準備をしていた政宗の耳には届かなかったらしい。
追及されたら気恥ずかしいから、それで良いのだと。幸村は心の中で呟いた。
政宗を見送ってから、幸村はリビングのテーブルの上に載せられたままだった母のメモ帳を手に取り。
(こんなに愛して下さってたのに、思い出せなくてごめんなさいでする。……俺はとても幸せだから。兄となった方の傍に居られて、愛情を注がれて。これ以上ないくらいに幸せだから)
だから、安心して下され。
メモ帳の表紙に小さなキスを一つ落とす。
幸村に取っての今年のクリスマスプレゼントは。
母の気持ちを知れた事と、政宗と共に過ごせた事。
政宗の方も、母への翳りのある想いから解放されていると良い。自分はそれを望んで政宗に言葉を告げたのだから。
気持ちの解放が彼へのクリスマスプレゼントになっている事を祈る。
「ふぁ〜」
今日は気温こそ低いが、天気は良いらしい。ベッドに寝転び、差し込んできた陽ざしに誘われるように、幸村は微睡んでいった。
BROTHER`S STEP番外-お正月-
「元旦から仕事なんだ?」
「本当は休める予定だったのだが、海外の得意先から急を要する案件の連絡が入ったらしく」
「そっかー、社長ってのも大変だねえ。あ、そろそろ煮えたかな」
台所へ向かう佐助の背中を見つめながら。幸村は小さく溜息を吐いた。
(以前はここまで忙しくされていなかった気がするのだが……。そういえば最近海外との取引が増えたと聞いたな。……会社の発展は良い事だとは思うが、政宗殿がお体を壊さないか心配でござる)
幸村の血の繋がらない兄・政宗は。元旦早朝からの携帯着信に顔を顰めた後、仕事へと出掛けて行った。その際にどうやら勝手に幸村の今日の予定も決めてしまったようで。
「旦那、お雑煮できたよ〜」
「ああ、有難う」
元旦から佐助のアパートへお邪魔し、手製のお節料理を口にしていた。
他の奴よりは安全だしな、と。政宗は自分が居ない時良く幸村を佐助の元で過ごさせる様になった。佐助の方も特に異議はないらしく。仕事で外せない用があるとき以外は、幸村の訪問を快く受け入れている。
「明日とかは休めるの?竜の旦那は」
「明日と明後日は意地でも休む、絶対に仕事には出ない、と言っていた気がする」
「そっか、ならちょうど良いかも」
「?」
佐助が差し出してきたチケットのようなものを、首を傾げながら受け取る。
「それさ、前の取材の時に貰った旅館の宿泊券なんだけど、日付限定でさあ。それが丁度明日からの一泊なんだよね。向こうはこの時期なら休みだろうってその日付でくれたみたいなんだけど、俺様明日はちょっと取材入っててさ。ペア券だし特に何するか決まってないんだったら二人で行って来れば?昨日一応確認の電話したけど、部屋の空きはあるって事だし。外観はかなり古いけど中は結構いいとこだよ」
佐助の言葉を聞きながらチケットを眺めていると。ジーンズの後ろポケットに入れていた幸村の携帯が音を立て。
「竜の旦那から?」
佐助に頷きながら、幸村は携帯の通話ボタンを押した。
「兄上?」
『幸、思ったより早く帰れそうだ。1時間位したら迎えに行く』
「わかったでござる。あの兄上」
『どうした?』
「実は佐助が」
旅館の宿泊券を貰った旨を伝えると。政宗からは良いんじゃねえか、という返事が返って来て。佐助に目でそれを伝えると。
「旦那、ちょっと貸して」
そう言いながら手を差し出して来て。
「?兄上、佐助が話したいと」
政宗に一言伝えてから、佐助へと携帯を渡す。
「あー、あのさ。OKなら予約取っとくから。予約なしで行っても大丈夫とは思うけど、一応俺様の仕事関連の相手だから、俺様から行っといたほうがなんか特典あるかもかなーと。んでアンタの名前は分かるけど弟の名前ってか苗字どうなってんの?学校では伊達だったみたいだけど」
「!」
それは密かに幸村も気になっていた。ずっと「伊達幸村」と名乗っていたが、戸籍上は違う可能性の方が高いのではないか。自分が政宗の実父の養子となっているとは考え難い。
「え!?……分かった、じゃ伊達幸村で良いんだね」
旦那、はい、と会話を終えた佐助が携帯を返して来る。
「兄上、お気を付けて帰って来て下され」
『ああ』
政宗が切ったのを確認して、幸村は通話を終了した。そして佐助に視線を向ける。佐助は幸村が聞きたいのが何かは分かっていて。問い掛ける前に話しかけて来て。幸村はその内容に驚きで瞳を丸くした。
「旦那さ、戸籍上は。
竜の旦那の息子になってるらしいよ?」
「ボロいな」
「あにうえっ」
「まあ雰囲気は良さそうだが」
佐助に予約してもらった宿に着いた早々、政宗が漏らした言葉にあわてて周囲を見回しながら窘めるが。どうやら周囲に関係者はおらず、聞かれずに済んだらしい。その後に続いた内容からするに、政宗は別に気に入らないとかそういった事ではなく。ただ正直な感想が口に出てしまっただけのようだ。
「広いでござる!」
「ああ、中は結構grade高えじゃねえか」
案内された和室は、広く綺麗で。接待慣れしているせいか、見る目の厳しい政宗も満足したようで。その様子に幸村は密かに安心した。
「洋服のままじゃ無粋だな。幸、浴衣着せてやる。服脱いでこっちに来い」
備え付けの浴衣を手に、政宗が呼ぶ。幸村は素直にそれに従った。自分で着るより、政宗に着せてもらった方が綺麗に仕上がるのは目に見えている。
「よし、これで良い」
「ありがとうございまする!兄上、館内見て来て良いでござるか?」
「ああ、迷子にならない様にな」
「そんなに子供ではありませぬ!」
頬を膨らませると、そこに宥めるような口付けが降って来る。それがまた子ども扱いされているような気もしたが、キス自体は嫌ではなく。拗ねたような表情は変えず、それを受け入れた。
「幸、これも着とけ」
やはり部屋に置かれていた半纏を、政宗が着せ掛けるように開いて差し出す。それに腕を通すと。
「後髪は下しとけ。こっちのが合う」
政宗がそう言いながら幸村の結んでいた後ろ髪を解いて。長い髪がさら、と背に広がった。
「……行って来るでござる」
「ああ」
背に流れる後ろ髪を少し気にしながら、幸村は部屋から出て歩き始めた。
(佐助への土産を買っておこう)
売店のようなものがあったはず、と部屋に来る際に見かけたその場所へ向かう。
店に辿り着き、暫し悩んだ後。幸村は無難な物の方が良いだろうと、温泉饅頭を購入した。
(何やら視線を感じるのは気のせいであろうか……)
土産を物色している最中に、ちらちらと視線を感じたような気がして。何度か自身の服装を見直したが。
政宗が着せてくれた浴衣は全く着崩れていないし、おかしな所など見当たらない。
視線に心当たりがなく、気のせいという事にして、店員から饅頭の入った紙袋を受け取り、部屋へ戻ろうとして店から出た所で。
「あ、ちょっと。君ひとりなの?」
「は?」
政宗より幾分年上か、いずれにせよまだ若いと言っていいだろう男二人組に声を掛けられ。その意図が分からず少し不安になった幸村だが。
「幸!」
耳慣れた声が響いて、ほっと安堵の息を吐いた。
「あにうえ」
幸村と同じように浴衣と半纏を身に着けた政宗が、幸村の肩を抱き寄せ男二人を睨むと。男達はそそくさと去っていく。その様子に幸村は首を傾げた。
「何をしたかったのでござろうか」
幸村の言葉に政宗が少し呆れたように溜息を零す。
「幸、ありゃナンパだ」
「!?某は男でござるっ」
童顔ではあるかもしれないが、女に間違われるような顔立ちではない筈だ、と幸村自身は思っているのだが。
「髪、下させたのが間違いだった。雰囲気だいぶ変わるからな。浴衣だとこっちの方が似合うと思ったが止めだ。やっぱり下ろすのは俺と二人の時だけで良い」
そう呟きながら、幸村の後ろに回った政宗が、素早く後ろ髪を纏めていく。
そんなに違うだろうか?と考えながらも、いつもの髪形の方が幸村も慣れているせいか下しているより安心できるので、政宗の手を止める事はなかった。
「何か買ったのか?」
「佐助に土産を。無難に温泉饅頭でするが」
「俺も小十郎に同じの買って帰るか」
政宗の発言に肯定の意を込めて頷き。彼と共に幸村は出て来たばかりの売店に再び入った。
「兄上、そろそろ温泉行きませぬか?」
「ああ、そうだな」
夕食を終え、まったりとした時間を部屋で過ごしてていたが、温泉に入らなければ勿体無いと、幸村が提案する。政宗も異は無いようで。連れ立って大浴場へと向かう。
「幸、ちょっと前向け」
脱衣所で、服を脱いだ後。政宗の手が幸村の髪を、綺麗に濡れない様にいつもより高い位置でまとめ上げた。
「兄上は髪を結ぶのが上手でござるな」
「最初は下手だったがな……幸に泣かれたくなくて練習した」
「えっ」
「幸はうちに来たころからもう髪長かったからな。自分で結ぼうとしてうまく出来なくてよく俺に泣き付いて来てた」
「……う、確かにそのような記憶があるでござる。でも兄上最初からうまかったような」
「いや、始めはきちんと結べなかったぜ?幸はまあ普通に結べたらそれで良かったみたいで喜んでくれたが。綺麗には出来なかった」
それで色々練習した。
幸の母親が多分出来ていた事が自分にできないのが悔しかったし、幸の母親が幸にしてやっていた事は全部やってやりたいって気持ちがあったんだろうな。
クリスマス以来、政宗は以前全く口にしなかった幸村の母親の事も、少しだが話すようになった。
それは政宗の中にあった、幸村の母に対しての翳りが薄れて行っている事を示しているようで。幸村にとって歓迎すべき変化だった。
「あにうえ」
少し遅い時間だった為か大浴場は貸切状態で。政宗に体と髪を洗ってもらい、再び髪を纏め上げられてから。最初は普通に政宗の隣で入浴していた幸村だが。
今は抱え上げられ、政宗の膝の上に座っている状態だ。誰かが来て見られては恥ずかしいとの思いはあるが、幸村も政宗と触れ合っていたい気持ちを持っていて
だからこの状況に対する抗議は敢えて口にせず。
「何だ?」
「あの、某……戸籍上では兄上の子供になっていると佐助から聞きましたが……なにゆえに?」
昨日知った衝撃の大きな事柄。その事への疑問を尋ねた。
「ああ……俺が二十歳になってからすぐ俺の籍に入れた。……幸を完全に自分の弟にしてしまいたかったから、だな。まあ戸籍上は息子なんだが。さすがに親父の籍に入れる訳にはいかなかったし。……真田姓のままだと幸との間に距離があるように感じた、からだ」
「……反対されたのではござらぬか?」
「知ってるのは父親と小十郎位だが。まあ小十郎には反対されたな。けど小十郎は俺が言い出したら聞かない性格なの知ってるしな。最終的には諦めた感じだった」
やはり、と幸村は俯く。本当の兄弟じゃないと知ってから、政宗が自身の為に沢山のいらぬ苦労を背負っていた事が分かって、それが心苦しい。
「幸、幸を伊達姓にしたかったのは俺のわがままだ。真田姓のままでも俺の元で弟として過ごさせる事は出来たんだからな。だから幸の気にする事じゃねえ」
政宗が幸村の肩に、お湯を掛けながら告げる。その言葉の優しさに、肩を流れるお湯と共に、感じた苦しさが少しずつ解けていく。
「髪やケーキの事やらを考えると。兄上は戸籍上だけでなく、本当に某の父親や母親のようでござるな」
自らの気持ちを上向かせるために、そんな軽口をたたくと。
「んっ…はぁ」
引き寄せられ、深く口付けられて。
「親とはこんな事しねえよな?」
とニヤと笑まれる。
(っここで致されてはっ)
政宗のその表情に、危険なものを感じた幸村は。
「そう言えば兄上とはまだ新年のあいさつを交わしておりませぬでしたっ」
慌てて別の話題を振った。
「ああ。昨日は俺が朝早く仕事に出たしな」
大晦日は、幸村が眠気に敗けて早々と寝てしまい、年末の挨拶も交わしていなかった。
政宗の膝から降り、幸村は彼の正面に向き直る。
そして。
「明けましておめでとうございます、兄上。兄上の元に来てから去年まで色々お世話とご面倒をお掛けしたでござる。きっと今年も兄上に……政宗殿にご迷惑をお掛けする事が多々あるかと思いまするが。今年もお傍に居させて下され。どうぞ、よろしくお願いいたしまする」
そう告げ頭を下げると。
すぐに政宗の手が幸村の頭を撫でて、言葉が返ってくる。
「幸、俺が今まで生きて来て一番嫌だったのは、幸が俺から離れかけた事だ。だから、今年と言わずこれからもずっと俺の傍に居てくれ。今年もよろしくな、Mylove」
幸村と政宗の間にあった問題は、去年までにほとんど解決している。
政宗の腕が、自らを抱き締める感触を感じながら。
幸せな一年になりそうだと、幸村は予感した。
BROTHER`S STEP番外-バレンタイン-
休日。珍しく一人で外出していた幸村は、デパートの地下階でバレンタインチョコの特設売り場を遠目に見守っていた。
チョコを物色しているのは圧倒的に女性が多いが、男性から女性にチョコレートをいう慣習を企業が流行らせようとしたお蔭か、ここ数年はチラホラと男性の姿も見掛けるようになった。
だから、あの場所に混ざる事はそんなに勇気の要る事ではない。だが。
(甘いものがあまり得意でない政宗殿に、贈ってもよいものか……)
義理の兄・政宗と恋人同士になってから、クリスマスに続いて初めて迎えるバレンタイン。バレンタインもクリスマスイブと並ぶ恋人たちの行事だろう、日本では。しかし政宗は甘いものは余り得意ではなく。その上。
(今年もたくさん貰って帰ってくるのであろうなあ……)
義理しか受け取らない、お返しも期待するなと会社で公言している政宗だが、それにも関わらず義理と称した中身はとても義理とは思えないものだったりする箱たちを、毎年眉間に皺を寄せながら抱えて帰って来るのだ。
ちなみにそんなチョコ達は。毎年元の形が分からないように溶かされた上に、政宗がケーキの材料として使い。その出来上がったチョコレートケーキは幸村が食べている。
日本におけるバレンタインがどういう行事がまだ認識できなかった幼い頃。幸村に取って2月14日は兄の作ったチョコレートケーキが食べられる日、だった。少し成長し、自分が食べているケーキが政宗への気持ちが込められたチョコで出来ている事を知ってしまった時。政宗に自分が食べるべきではないのでは、という事を伝えたが。返って来た答えは。
「高すぎる奴は突っ返してるし、オレが甘いもの苦手なのを知ってる連中も多い。いらないってのを無理に押しつけられてんだ。幸が食べてくれなかったら、全部ゴミ箱行きになる。だから食べてくれた方が良い」
というもので。自分が食べなければ、政宗に宛てられたこのチョコ達は全て捨てられる。確かにそれよりは自分が食べた方が良いのかもしれないと言い聞かせたが。
その時から、幸村の味覚に合わせて甘目に作られている筈のチョコレートケーキに、少しの苦みを感じるようになった。
そんな経緯もあり、幸村は政宗にチョコを贈るか悩んでいる。甘いものが苦手でも、幸村が贈った物なら多分食べてくれるとは思うのだが。中々決心がつかない。
(きっと今年も見事なケーキを作って下さるのであろうなあ)
料理を殆どした事のない幸村に、手作りという選択肢はない。政宗の作ってくれたものに相応しいものは作れないと分かっているから。
(お酒の入ったチョコならどうであろう……)
悩みに悩んだ末、特設売り場に足を踏み入れた幸村は。政宗が普段好んで飲んでいる銘柄の白ワイン入りの丸い形のチョコレート小箱をひとつ、購入した。
今年の2月14日は平日だが、この日だけは毎年終業後のチョコの押し付け攻撃を避ける為に、政宗の帰宅は早い。もっとも就業前や休憩時間に渡されたチョコだけでも結構な数なのだが。
彼の秘書的立場である幸村も、共に帰宅し。今はキッチンでケーキを作っている政宗を、リビングで待っている。
幸村の部屋着のポケットには、数日前に買った白ワイン入りのチョコレート。ポケットの中のそれを指先で確かめながら、いつ渡すかと思案する。政宗からプレゼンをされる事は多くても、自分から彼に贈り物をした事は数回しかない。だから、タイミングという物が良く掴めないのだ。
(……そういえば、昔もいただいてばかりであったな……)
遠い前世の記憶に意識が飛ぶ。あの頃も、政宗は幸村に色々なものを贈ってくれた。中にはどういった意図で贈られたか困惑するようなものもあったが、純粋に自分の為に彼が選んだものを受け取るのは嬉しかった。
(あの時は佐助に相談したのであったな)
政宗の贈り物は高価なものが多く、それに見合ったお返しを考え付かず悩んでいた幸村に、佐助は何と言ったか。
『ものに拘る事はないんじゃない?真田の旦那から接吻でもしてやれば喜ぶと思うよ、あの男は』
その時は破廉恥だぞと返した幸村だが。内心そうであろうかと考えていた。
それを行動に移す機会は、別離によって失ってしまったけれど。
現世で政宗と恋人となってから、数えるほどの少なさだが。自分からキスをした事はあり。その時、政宗は驚くと同時に確かに嬉しそうだったのを思い出す。
キッチンの方からオーブンのドアを閉める音が聞こえて。政宗が下ごしらえを終えケーキを焼き始めたのを知る。程なく彼はリビングに戻って来るだろう。
ポケットの中のチョコレートを一粒取出し、金色の包装紙を解いて自らの口に入れて。
幸村は政宗を待った。
「幸、ケーキ焼き上がるまで時間あるから、それまでゆっくりこれでも飲んで待ってな」
政宗が持って来たのはどうやらホットチョコレートらしい。甘い匂いと湯気を立てるそれに惹かれるが。まずは自分の口に含んだチョコを政宗に渡すのが先だ。
「ゆき?」
政宗がマグカップをテーブルの上に置いたのを確認して、幸村は立ち上がり政宗の肩に手を掛け背伸びをして。
彼の唇に自らの唇でそっと触れた。
そして口の中のチョコを舌で政宗の方に押しやる。
「!」
幸村の意図を悟ったらしい政宗は、自分の口にチョコを受け取った後。器用に前歯で割った半分を幸村の舌の上に載せて来た。
「っ」
割れた部分から、政宗が好む白ワインが幸村の舌の上に広がる。アルコールに余り耐性が無い幸村に、その味はきつくて。途中から政宗に主導権が移ったキスが終わった後。
幸村はとろんとした瞳で政宗を見上げる事しか出来なかった。
「幸、チョコ買ってくれてたのか」
オレが飲んでるワインよく覚えてたな、と政宗が力の入らない幸村の体を抱き上げながら呟く。
「兄上は甘いものを好まぬ故悩んだのでするが。……恋人として、やはり渡したくて」
残りのチョコの箱を差出しながら、消え入りそうな声で告げると。
「ふっ」
口付けられ。アルコールに侵された意識で、甘い味のキスに夢中になる。
「幸、幸からのチョコは勿論嬉しいが、幸の方がもっと欲しいってのはオレの我儘か?」
まだ夕方と言って良い時間から、その要求を受け入れるのは恥ずかしいという思いは勿論あったが。政宗がチョコを受け取ってくれたのにホッとして。
(ケーキが出来上がるまでまだ暫く掛かるであろうし……)
幸村は肯定の意味を込めて、政宗の胸に頭を預けた。
「はふ」
ワインのせいで普段より熱い吐息が漏れる。いつも二人で寝ているベッドに、幸村は裸で横たわり、政宗の愛撫を受けていた。
「?あにうえ…!!」
覆い被さっていた政宗が、一旦体を離したのに疑問を持ち視線を彷徨わせるが。直後、胸の辺りに冷たいものが置かれた感触に身を捩る。そして胸の位置に政宗が顔を寄せるのが見え。直後、カリという小さな音と共に肌の上に液体が広がるのを感じ。置かれた物体の正体は自分の贈ったチョコレートだと悟った。
「くぅ、ん」
政宗の舌が、肌に落ちた液体を丁寧に舐めとる。優しい、でも執拗なそれに幸村の体はびくびくと震えて快感を訴える。
「んーっ」
舐め終わった政宗からのキスは、アルコールの強いチョコレートの味がして。少しくらくらする。
「や、そこは…!」
幸村が贈ったチョコは3つ入りのもので。最後の一粒だったそれは。緩やかに立ち上がった幸村の中心へと落とされてしまった。
「噛まなくても、幸の熱さで溶けちまうな」
アルコール入りのチョコレートは基本柔らかい。政宗の手が、チョコと共に幸村自身を扱くとチョコからはじんわりと液体が染み出てくる。
「ひゃう、ぁああ!」
敏感な部分が直接アルコールに触れ、幸村は高い声を零し、耐えるようにシーツをきつく掴んだ。
「や、あにうえ、やめっ」
扱くだけでなく、政宗が自分の足の間に顔を埋めたのを見て、これから起こる事が予想でき、足を閉じようとするが。
「幸が折角くれたチョコだからな」
残す訳には行かないだろうと言いながら、政宗の口がチョコとアルコール、更に先走りで濡れそぼった幸村の中心に触れる。ちゅぷと吸い上げられ、強烈な快楽に力が抜けてしまい。抵抗は叶わなかった。
「ぁああっ」
普段なら政宗の口の中に出すまいと、我慢をするのだが。今日はいつもと違う感触にそれも出来ず、すぐに達してしまう。
「旨かった」
「っ、兄上のばかっ……ぁあ、ぅ」
ニヤと笑って告げる政宗を顔を真っ赤にして睨むが。体を反転され、濡れた指を最奥に軽く差し込まれ、声が零れる。指にもアルコールが残っているのか、触れられた中がじんと痺れて行くような気がした。
「あ、もっ……」
幸村の体を、性感を知り尽くしている政宗の指は的確に敏感な部分を捉え。じっくり時間を掛けた愛撫のお蔭で、小さな蕾は解け切っている。中心は再び先走りを零し、解放を待ち望んで震えている。指よりも大きな快感を与えてくれているものを知っている幸村は。
唇と体から吸収したアルコールで朦朧とした意識で。
「あにうえをくだされっ」
振り返り、高く掠れた声で訴えた。
「!あああっ」
直後、激しく後ろから突き立てられ。腰を揺さぶらられる。
「あ、あに……政宗殿っ!この体勢は嫌でござるっ」
顔が見えない、と訴えると片足を掴まれ大きく繋がったまま、ぐるりと政宗と向かい合う体制に変えられて。
「ひぁああああ!」
その衝撃に幸村は、白濁を撒き散らしながら達すると同時に意識を飛ばした。
(何だか酷く破廉恥な事をしてしまったような……)
意識を失っている間に体は綺麗にされていて。今は二人で出来上がった政宗のケーキを前にリビングだ。
先程までの事を思い出してしまった幸村は、赤面して俯く。
以前にも自分からはしたなく政宗を求めた事はあったが、あの時は商談相手に薬を盛られた直後で不可抗力だった。しかし今回の原因は政宗にあった気がして、少しだけ詰りたい気分にもなったのだが。
チョコレートケーキを食べる幸村を膝に乗せて、自らはブラックコーヒーを飲んでいる政宗はいつになく上機嫌で。まあいいかと考える。
(あんな方法でもチョコを食べて下さったのは……まあ嬉しいかったでござるし。それにあの渡し方では、誘っていると思われても仕方ないであろうな……)
恥ずかしさはあれど、あれも恋人として幸せなバレンタインの過ごし方だったのだと。
不安を抱えて渡したチョコを、政宗が受け取ってくれた事を喜ぼうと考えて。
幸村は、政宗お手製のチョコレートケーキを口に運んだ。
*バレンタイン突発兄弟SSでした。
作中の媚薬云々は、オフライン本の方に入っているネタになります。