学生パラレルダテサナ
「あの二人ってホント仲悪いねえ」
「あ〜幸村あんまり人嫌わない子なんだけど、伊達とは何か合わないみたいだね。っても大体伊達が幸村からかう様な事言って幸村がそれにムキになって反論するのがパターンだけど」
「まあ正反対っぽいし無理もないか。しかし良く毎日やってて飽きないもんだねえ」
学校の屋上、前田慶次と猿飛佐助の視線の先。グラウンドには、何やら激しく言い合っている伊達政宗と真田幸村の姿。4人とも同じ学年同じクラスだが、政宗と幸村は仲が良いとは言えず。それどころか顔を合わせる度に喧嘩に近い状況になっていて。しかし周囲もそれに慣れてしまい、また二人とも恐ろしく運動神経が良く、極まれに殴り合いのような真似に発展してもお互い大きな怪我をするような事は無かったから。いつの間にか二人の言い争いはある意味学校の名物となってしまっていた。
「そろそろ止めないとバイト間に合わなくなっちゃうなあ」
「御守り御苦労さん!」
溜息を吐きながら屋上から校内の廊下に繋がっている扉に、鞄を持って向かう佐助の背を、慶次が苦い笑いを浮かべつつ見送る。
幸村と佐助は従兄弟で、更に同じバイトをしている。佐助にとって幸村は年こそ同じだが弟のような存在で。そんな佐助が放課後、政宗と争う幸村を宥め、バイトに連れて行くのは、日課となっている。
慶次に手を振り、佐助はグラウンドの幸村の元へと歩き出した。
「お迎えが来たみてえだぜ、Baby」
「っ某は赤ん坊ではござらん!!」
「あーはいはい、分かったから帰るよ幸村。バイト遅れちゃうだろ」
毎度佐助が幸村を迎えに行くたびに繰り返される会話に呆れながらも幸村を宥め、政宗から引き剥がす。
(……この男も何でこんな幸村にばっかり突っかかるのかねえ)
普段の政宗は、どちらかというと他人に無関心な方に思えるのに、幸村に対してだけは毎日のようにちょっかいを出しているのが、佐助には不思議だった。
「またな」
幸村の方はまだ何か言いたそうに政宗に視線を向けていたが、政宗の方がそう言い残し足早に去って行く。佐助が来た辺りから、政宗にはもう言い争いを続ける気はないようだった。それもいつもの事なのだが。
「ほら一回家に帰って着替えてバイト行くよ。今日からフェアやるから忙しくなるって店長言ってでしょ」
「あ、ああ。そうであったな」
ようやく政宗から意識を離したらしい幸村の手を引いて、佐助は歩き出した。
バイト先の飲食店は今日からフェア用に新たなメニューが低価格で提供される。厨房に入っている自身も、ウェイターの幸村も忙しく動き回らねばならぬだろう、と予想しながら。
「幸村、伊達の事嫌いなの?まあ俺様はあまり好きとは言えないけど」
「……嫌っておるのは向こうの方であろう。俺は……人を馬鹿にするあの態度が許せないだけだ!」
バイトを終えた帰り道。従兄弟の佐助に聞かれ、そう答えた幸村だが。
(本当に、それだけ、であろうか?)
自身の心にそう問い掛けてみるが、考えは纏まらない。ただ、あの男に自分の事をからかわれると、他の誰に言われるよりも頭に血が上ってしまって。つい激しく言い返してしまうのだ。バイト先の店長からも人当たりが良いと言われている自分らしくないと思いつつも。それを幸村はいつも抑えられずにいる。
「真田君」
朝、学校に向かう際自分の名前が聞こえた気がして、声のした方を振り向くと。そこには幸村と佐助、共通の幼馴染みの少女が立っていた。女子は苦手な幸村だが、彼女は別だ。男友達と同じように接する事が出来るから。
「どうしたのだ?」
「ん、真田君のクラスに伊達君って居るでしょ。……私の友達がさ、すっごい良い子なんだけど。彼の事気になってるらしくて、呼びだすの協力してくれないかな、って。彼手紙とかは無視するので有名みたいだし」
同じクラスなのは確かだが、政宗と仲が良いとは言えず、それどころかいつも言い争っている関係で、気は進まなかったが。彼女の友人はせめて言葉だけでも伝えたいと考えているようで。幼馴染の相談をむげに断る事も出来ず、失敗しても良いならと前置きしてから。幸村は協力を決めた。
(言い方は悪いが、誘い出すくらいなら俺にも出来るであろう)
その後の事には自分は責任を持てないが、幼馴染みもそれは分かっているだろうし、そんな事は最初から求めていないだろう。
「!」
学校に着き幼馴染みと廊下で別れ、教室の窓から外を窺っていた幸村だが。校庭に政宗の姿が見え、少し緊張で身を固くした。何故こんなに落ち着かないのだと考えて。
(……そういえば俺から声を掛けた事は今まで一度も……)
いつも何か仕掛けて来るのは政宗の方からで、自分からリアクションを起こしたのは一度も無いという事実に気付いた。
「よう真田」
「おはようございまする」
一応政宗とも挨拶位は交わす。といってもいつもはそこですぐに会話が途切れるのだが。
「伊達殿、放課後少し付き合っていただきたいのだが」
「AH?アンタがんな事言って来るの珍しいな」
疑問を口にしながらも、政宗から否定の言葉は出ず。それに少し安堵して。幸村は幼馴染みに携帯から、何とかなりそうだと記したメールを送った。
普段、放課後の屋上は佐助達がよく使っているのだが、今日は昼休みに事情を話し、空けてもらうようにして貰い。
放課後、幸村は政宗を連れて屋上へと向かっていた。
「何か改めて話でもあんのか?」
「…話があるのは某ではなく」
何だか騙す様な形でつれて来てしまった事に罪悪感を持ちながら。
「幼馴染みの友人なのでござる……少しだけ話を聞いて下さらぬか」
扉を開け、予め待っていた幼馴染とその友人の方を示す。
政宗は明らかに不快そうに顔を歪めたが、渋々と幼馴染みたちの方へ向かって、幸村はホッと息を吐いた。だが。
「!?」
暫く扉付近に佇んでいた幸村の横を、幼馴染みの友人が走り抜けて行き。ちら、と見えたその頬には涙が浮かんでいるように見えた。更に。
「もうちょっと言い方ってものがあるでしょう!」
幼馴染の怒りを感じさせる声が聞こえて来て。幸村は声のした方へ走り寄った。
「……興味のないものを興味が無いと言って何が悪い」
冷たい声に足が止まる。今までこんな感情のない政宗の声を聞いた事はなかった。
「何故、そのような言い方を……!貴殿を想って下さってる方へそんな事をっ」
お互い顔を合わせれば喧嘩をしているような仲で、良い印象を持っている訳ではなかった。けれど。こんな風に告白をしてきた女子を冷たく突き放すような人物だとは思っていなかった。
そんな幸村に対して政宗はどこか歪んだ笑みを見せ。
「アンタがオレを騙して連れて来たみてえなもんだろ。普通の呼び出しじゃオレは応じなかった」
そう告げ屋上から去って行った。
「!」
(……何故、俺はこんなに胸を痛めている?)
政宗から裏切り者、と言われた気がして。
親しい友人でもない、むしろ普段からからかわれ馬鹿にされている相手からならそんな風に言われても、本来なら気にならないだろうに。今、心が軋んでいる。
幼馴染が嫌な役目をさせてごめんと謝っている声も、幸村の耳にはほとんど入っておらず。
ただ先程の政宗の言葉が、頭をぐるぐると回っていた。
「あれ、これ頼んでたのと違うけど」
「!すみませぬ、すぐに交換をっ」
今日何度目か分からない、メニューの聞き間違い。テーブル間違いも何度もしてしまった。
「真田君、今日はもう上がりなよ」
何だか上の空みたいだし、と店長に言われ。申し訳ないと思ったが、このまま仕事を続けていても更に店に迷惑を掛けるだけだろう、と。幸村は店長の言葉に従い、バイトを早退する事にした。
厨房の佐助に上がる旨を伝えてスタッフルームで着替えながら、大きく溜息を吐いた。
「はぁ……」
自室のベッドに寝転び、今日の事を思い返す。
政宗の言葉、何故あれがこんなに胸を抉るのか。
(あれ、携帯鳴ってる)
鞄に入れっぱなしの携帯が音を立てていたが、この音はメールだ。慌てる必要はないか、とゆっくりした動作で携帯を取り出すと。
そこには幼馴染みからの謝罪メールが届いていた。
それに対して彼女のせいではないから、気にしないようにと返信して。
幸村は再びベッドに伏せて、目を閉じ。
考え込みすぎて疲れたのか、いつしか眠りへと落ちて行った。
『アンタ一人なのか?』
『……』
『来いよ、オレと同じか、少し下くらいだろ。似たような歳の奴ら、向こうで沢山遊んでるから』
『……でも』
小さい子供たちの間で、両親が居ない者はいじめの対象になりやすい。少し前に両親を事故で亡くした自分もまさしくいじめられっ子で。そんな自分が行っても良いのか、と悩んだ幸村に。再び少年の声が掛かる。
『いじめられでもしてんのか?大丈夫だ、アイツらのリーダーオレだし。何かあったらオレが守ってやるよ』
差し出された少年の手。少し悩んだ後。幸村は自分より少し大きな彼の手に。おずおずと自分の手を重ねた。
「!……懐かしい、夢」
あの後何度か少年と彼の仲間と遊んだ。両親が居ないという理由で苛められかけた事はあったが、それらは少年が宣言通り全て蹴散らしてくれた。少年は引っ越しでもしたのかいつしか姿を見せなくなったけれど。親戚の家に引き取られた後従兄弟の佐助と出会うより前、友達と言うものが殆ど居なかった幸村にとって、それは大切な思い出、だった。
(そうか……俺は)
初めて政宗に会った時、からかう言葉を掛けられても無視できなかったのは。佐助にむきになる必要ないんじゃない?と言われても素直に頷けなかったのは。
政宗が、あの想い出の少年に似た面影を持っていたから、だ。おぼろげな記憶が彼を無視する事を拒否した。
憧れていたその存在。彼に似た政宗に。
自分を否定するような言葉を掛けられると、誰に言われるより苛つき腹が立って。まるであの少年に自分を否定されたような気がして。だからこそ本気で言い返しもした。
だがいつしか。本当は、心の奥底では。
からかう為とはいえ、喧嘩する為とはいえ。
自分に興味を持ってくれたその事実を、嬉しく思うようになっていたのだ。
きっかけは先程の夢を見るまで思い出せず、この気持ちに気付いたのもたった今、だが。
(……俺は、きっと伊達殿に自分を見て欲しかったのだ)
からかいにもむきになって言葉を返し、それに更に彼が反応して、自分を見てくれるのが。かつての大切な思い出の少年に似た彼が、自分に視線を向けてくれるのが、内心嬉しく。密かに、心の奥底であのやりとりを楽しんでいたのだ。
元は、少年への想いから始まったもの。しかし今日まで目を背けて来たけれど、自分にないものを持っている政宗、自分とは全く違う彼へのあこがれも確かにあり。いつしかもう会えるか分からない少年より、政宗への想いの方が強くなっていた。彼と関わるようになった本当のきっかけ、政宗があの少年に似ていたからだというのを思い出せなくなるほどに。
だからこそ、憧れがあったからこそ。決して良い付き合いとは言えないけれど、その中で彼が冷たい人物ではないと感じていたから。その彼が想ってくれる人に対して、あのように冷たい態度を取るなど信じたくなく、ショックで、更に憧れを向けていた彼から「騙された」などと言われ傷付いたのだと理解する。しかし。
(もし、伊達殿が……)
あの少女と付き合っていたら、と想像してみると。
それは嫌、で。
幸村は自分が彼に対し、理由の分からない独占欲を持っている事を知る。だが、その感情がどこから来ているのかは分からない。
(明日から、どう接すれば……いや、悩む必要はない、か……)
気付いてしまった独占欲、自分でも理解出来ないこの感情は、彼に知られてはいけない気がする。佐助にでも相談すれば、答えが出るのだろうか。せめて自分の感情を自分自身が理解するまでは、彼に接する事を避けた方が。そんな気がしたが。それ以前に。
明日からは、何のかかわりもないただのクラスメイトになってしまうのかもしれない。いやきっとそうだろう。
あの時、彼が表情を歪めた理由は分からないが。今日の政宗の態度は、幸村を明らかに拒否していたのだから。
「まさむねどの」
ずきずきと痛む心を抱え、初めて呼んだ彼の下の名前は。
幸村自身が驚くほどの甘さを含んで部屋に響いた。
「なにやってんの……」
幸村が帰った後、厨房に料理を取りに来たウェイトレス数人が何やら言い争いをしている。その様子を見て佐助は呆れた声を零した。
「じゃんけんで決めようよ公平にっ」
どうやら彼女達はある客のテーブルに誰が料理を持って行くか、で争っているようだ。
伝票に記されたテーブルのナンバーを確認して、厨房からその場所を覗く。
「!」
彼女達の争いの元、その人物を見て。佐助は目を丸くした。
(まあ、確かに顔は良いしね……)
「これ、俺様が持ってくわ。今調理の方暇だし」
「え、猿飛君?!」
「知り合い、ってかクラスメイト。もしかしたら幸村探して来たのかもしれないし。俺様が出た方が良さそ」
ウェイトレス達の抗議を無視して、さっさと料理を手にテーブルに向かう。
「お待たせしましたっと。珍しいね、幸村なら今日ちょっと調子悪いみたいでもう帰ったよ」
「……そう、か」
テーブルに座っていたのは政宗で。その反応からやはり幸村に会いに来たのだろう。
「……アンタから伝えてくれ。今日は悪かった、もう関わらねえから安心しなって。元からオレが今まで人違いに気付かなくて勝手にムカついてただけだから、な」
「人違い?」
彼が今まで幸村に対してあんな態度を取っていたのは、誰かと幸村を勘違いしていたのが原因なのだろうか。幸村は昔から、少なくとも佐助と初めて出会ったまだ幼い頃からあの独特な言葉遣いで、それは大きな特徴だろう。政宗の勘違いしていた人物も、あのような口調だったのだろうか。しかも政宗が、恐らく勘の良い方だと思う彼が、今の今までずっと誰かと幸村を人違いしていたのだろうか。
(いやでもそれって可能性低くない?)
「あのさ、それってどういう」
政宗の物言いが気になり、問い掛けようとしたが。猿飛君いないと厨房回らないよ〜と店長に声を掛けられてしまえば、戻るしかなくなり。
調理の仕事がひと段落した佐助がテーブルに視線を向けた時、政宗の姿は既になかった。
「何か、いざ無くなると寂しいもんだねえ」
呟く慶次の視線は無人のグラウンドに向けられている。
「ああ、伊達が学校来てないし。俺様としてはホッとしてるって言いたい所だけど……」
当然ながら、学校の名物ともいえる彼らの対峙は、暫く行われていない。
「肝心の幸村が元気ないなら意味が無い、か……」
佐助の心情を汲み取ったらしい慶次が言葉を続けた。
(そうなんだよねえ)
佐助としては、政宗が幸村に関わらなくなるというのは歓迎すべき事だと思っていた。幸村の周囲に平穏が訪れると同義語の筈だったから。
しかしその幸村は。
空っぽの政宗の席に、寂しげな視線を送っているのだ。
「そういや伊達は何で休んでるだっけ?体調が悪い訳じゃないってのは担任が言ってた気がするけど」
政宗の休みは既に10日程続いているが、その本当の理由は誰も知らないようだった。
「あー……なら家庭の事情、じゃないかな。俺も詳しくは知らないけど、政宗結構家が複雑みたいなんだ。高校生で一人暮らしだし。そういや小さい頃は少しだけどこの町に住んでた事あるんだって」
「え、伊達小さい頃この町に居たの?」
政宗は電車通学で、住んでいるのは少し離れた町の筈。
佐助の呟きに、慶次が「確か幼稚園くらいの年かな?」と返す。佐助がこの町に越して来て、幸村と出会ったのは小学校低学年の頃だった気がするが。それ以前に、そう大きくない町で、同じ年の幼い子供である二人が出会っていてもおかしくはない。
(なら多分)
人違い、などではない、のだ。
(どうしたもんかな)
政宗からの謝罪の言葉は幸村に伝えたものの、「もう関わらねえ」というそれは、従兄弟を落ち込ませる気がして伝えていない。人違いだった、というのも佐助自身が納得できなかったからそれも教えていない。
そして今の幸村の状況からすると、関わらないという言葉を告げなかった選択は間違っていないと感じた。政宗の休みが重なって行く度に、幸村の顔に浮かぶ翳りが濃くなっている。
(取り敢えず早く登校して来てくれないかな)
そうすれば何故人違いなどと言ったのか、それを確認する事も出来る。
そんな事を考えながら教室へ向かう為に職員室の前を通り過ぎようとした佐助の耳に、教師が誰かと電話をしている声が飛び込んできて。
「!」
内容が政宗に関するものだったから。
幸村の為に、思わず耳を欹てていた。
「……」
政宗の席を眺め、幸村は知らず知らずのうちに深い溜息を吐いていた。
あの日の翌日。覚悟を決めて登校したが。肝心の政宗が欠席で。
体調が悪いのでは、と心配しながらも、同時に少しだけホッとしている自分もいた。彼に避けられショックを受ける時間が少しだけ遠のいたのだ、と。自分で避けた方が良い、と思いながらも、彼の方から避けられてしまうのは嫌、だったのだ。しかし。
体の不調で欠席しているのではない、と担任は言っていたが、本当の理由がその口から出る事はなく、その上こうも休みが続くとやはり心配になる。
もう一度政宗の席に視線を向けた所に。
「幸村!」
よほど急いで走って来たのか、珍しく息を切らせた佐助が教室に飛び込んで来た。
「佐助?どうした、そんなに慌てて」
「ちょっと来て!」
「お、おい」
佐助が幸村の手を掴み、そのまま教室の外へ出てしまう。
「次の授業が」
「伊達が」
「っ」
もうすぐ授業が始まる、と抗議しようとした幸村だが。佐助の口から政宗の名が出て、言葉を止めていた。
「伊達がさ、もう学校に来ないままアメリカに行くって。元から父親があっちで暮らしてるらしくて、呼ばれてたみたいで」
「え?」
「しかも今日の昼の便らしくて」
「!!」
(会えなく、なってしまう?)
それは嫌だ、こんな関係のまま離れてしまうのは嫌だ。何も無くされてしまうのは嫌だ。
政宗へ向ける自分の感情、それに名前を付ける事は出来ておらず。
佐助から謝罪を聞いたものの、会うのが怖いという気持ちもまだ少しあるけれど。
それよりも。
このまま会えなくなるのは嫌だ、という気持ちが勝って。
「佐助」
「空港、行く?」
自分の気持ちを悟ってくれた従兄弟の言葉に、こくんと頷いた。
(真田幸村)
その名前を持つ者は政宗にとって、幸せな、綺麗な記憶の象徴だった。
自分がまだ右目を失う前、家族に、母に愛されていた頃の、綺麗な思い出。その中に存在する少年。共に過ごした時間は短かったが。政宗の中に強く印象に残っていた彼。
今は変わってしまった自分と家族、その関係とは違い、高校で偶然再会した彼は全く変わっていないように見えて。
声を掛けたけれど。
彼は政宗の事を覚えていないようだった。または、彼の記憶の中の自分と、今の自分は合致しなかったのかもしれない。
それに苛ついて、わざと彼をからかうような言葉を投げ掛け喧嘩を吹っ掛けるような行動も取った。そうやって始まった関係だが。
政宗にとってその時間は自分を取り繕う必要のない時間で、いつしか彼とのやり取りを楽しいとさえ思うようになっていた。
そんな彼に話があると告げられ。
もしかしたら、彼が思い出してくれたのかもしれない、と淡い期待を抱いて向かった先に待っていたのは。自分が全く興味のない、名前も知らない女生徒、だった。
彼からの呼び出しでなければ無視していただろう。
あの時、裏切られた、と強く感じたのは。
自分が彼、真田幸村を特別に想っていたから、だ。あの日漸くそれに気付いた。
彼と仲の良い従兄弟の佐助が彼の近くに現れると、何だか酷く心がざわついて。視界に二人の姿を入れたくなくて傍から去っていたのは。
幸村へ向ける感情故、自分と違い常に彼の隣に在れる佐助への嫉妬だったのだ。
だが彼は政宗と他の女子との仲を取り持とうとして。それに政宗は散々彼をからかう言葉をかけ、怒らせてきたのだ。そんな彼に自分と同じ気持ちを期待するのは難しいだろう。このまま日本に居ても彼との関係が良い方向に変化するとは思えず。
父親の暮らしているアメリカに行くという道を選んだ。
元から父からずっと言われていた。共に暮らそう、と。それを今まで拒否していたのは、幸村が自分を思い出してくれなくとも、彼との時間が楽しかったから。
しかしそれももう終わり、だ。
元から海外での生活に興味はあり、向こうに渡ったらあちらに骨を埋めるだろうなと思っていた。
だからもう、彼と、幸村と会う事はないだろう。彼と海外、というのはおそらくあまり縁が無いと思うから。
この心の内に抱えた彼への感情、抱え続けるには少し辛いこの気持ちも向こうで生活していく内にきっと薄れていく筈。
(行くか)
放送が機内への搭乗案内を告げ、立ち上がった瞬間。
「……殿!!」
(幻聴、か?)
政宗の耳に、ここに居る筈のない人物の声が響いた。
「伊達殿っ」
広い空港内を走り回り、無理を言って通して貰った搭乗ゲート前。探し求めていた人物が見えた。
遠い国へと去って行こうとしている彼に呼び掛けて。
「……政宗殿!!」
その背中に引き留めるように抱き付いた。
「真田、何で……」
振り返った政宗の顔には困惑が浮かんでいる。
幸村の方も、彼に伝えたい事が纏まっている訳ではない。何せ自分が彼へと抱える感情。それにまだ名前を付ける事は出来ていないのだから。
しかし。
「……今のまま、お別れするのは嫌でござる……」
このまま、何も話さないまま別れるのだけは嫌だ、と。伝えた。
「……ちょっと待ってな」
これじゃあ動けねえ、と言われ。抱き付いていたのを自覚して慌てて離れる。
「そこの椅子に座って待ってろ」
すぐ戻って来るから、と促され。政宗の差した椅子に腰掛け。
(間に合って、良かった……)
ふう、と大きく息を吐いた。
こんなに全力で駆けたのは今までの人生で初めてではないか、という程のスピードでここまで来た為、疲労していて。体が休息を求めている。瞼も重い。しかし。
目を閉じてしまえば、その間に政宗がまた手の届かない所に行ってしまうのでは、という不安があり。
下がってくる瞼を必死に押し上げる。
そこに。
「……相当急いで来たんだな。少し休め。アンタが眠ってる間に消えたりしねえよ。ほら」
政宗が戻って来て。幸村の隣に腰掛け。その肩に寄り掛からせてくれた。
「すみませぬ……」
礼を告げて瞳を閉じる。
眠りに落ちていく中。政宗の触れ方、それにどこか懐かしいものを幸村は感じていた。
(この温度、この手の感触……もしかしたら、似ている、ではなくて……)
「……」
すぐに小さな寝息を立て始めた幸村の髪を撫でながら、その表情をそっと窺う。
あどけない寝顔は自分が知っている昔の小さい彼と同じ、だ。幼い時にもこんな形で彼を寝かせた事があった。
彼が何故自分を追って来たのかは分からない。けれど。
自分とこのまま離れるのは嫌だ、と彼が言ってくれたのは嬉しかった。
「間に合ったみたいだね」
「!」
抑えた声で話し掛けて来たのは、幸村の従弟、佐助だ。
彼の姿を見て、ああ、幸村をここまで連れて来たのはこいつか、と政宗は悟る。
「人違いじゃないんでしょ、ほんとは」
「……ああ」
「あんたが登校して来なくなって。いや、あんたが俺様達のバイト先に来たあの日、辺りからかな?幸村沈んじゃってね。教室でも空っぽのあんたの席見て良く溜息ついててさ。そんな時にあんたがアメリカ行くって話偶然耳にして、しかも今日とか」
幸村に伝えたら、空港に連れて行って欲しいって言うから、連れて来た訳。
「そう、か」
「あんた達の間に何があったから知らないけど。今のままあんたと離れるってのは幸村にとって後悔を残すんだと思う。幸村を振り払って行かなかったって事はあんたも似たようなもんなんでしょ?」
「……少し、こいつ借りる」
「ああ、幸村の家の方には俺様が伝えとくよ」
佐助に告げ。政宗は未だ眠り続けている幸村の体を起こさないようにそっと抱え歩き出した。
「……」
タクシーでマンションに向かう間も幸村は目を覚まさず。政宗は自分のベッドに彼を下ろす。
一人暮らしをしていたマンションの契約は幸い今月末までで、まだ部屋は自由に使う事が出来た。
すうすうと寝息を立てる幸村の頬を手で包み。自分の顔をゆっくり近付ける。
唇と唇が触れる直前。
政宗は思い留まったように、体を離した。
『どうした?』
『ひくっ』
『あーそんな泣くなよ。男だろ。ほら』
自分より幾分大きな手が、幸村の体を抱え。その膝に乗せてくれる。幸村の方が全体的に小さいが、彼とてそう大きな方ではない。自分と同じ年頃の子供を抱えるのはきついだろうに、そんな事は微塵も感じさせず。
髪と背中を、優しく撫でてくれた。
「ん……」
心地良い感触の中で目を開けると。
(ここはいったい)
見えた天井は全く覚えのないものだった。
しかも広いベッドの上に寝かされている。幸村を包んでいた心地良さはこのベッド、だったらしい。
「ああ、起きたか」
「ま、伊達殿……ここは一体」
「オレの部屋だ。空港じゃゆっくり話せねえだろ」
「!伊達殿の御部屋……」
「なんで、オレを追って来たんだ?」
このまま別れるのは嫌だ、とは既に伝えたが。政宗はもっと詳細な理由を求めているのだろう。
うまく説明は出来ないが。
「……それは……元より伊達殿が某を気に食わぬのは分かって居りまするが……。あの日の伊達殿はとても怒っているように思えて……。怒らせたまま、その理由も分からぬままお別れするのは嫌だと。……余計に嫌われたまま別れるのはいやだ、と」
そう伝える。
「……オレがアンタを嫌ってた事なんて今まで一度もねえ、よ」
「え?」
「むかついた事は何度かあったが、それもアンタのせいじゃねえ。オレが勝手に期待して裏切られたってだけ、だ」
「??」
「オレがアンタにちょっかい出し始めたのはな」
アンタがオレを覚えてねえ、それにむかついて、それが切っ掛けだ。
「!!」
政宗の言葉に、幸村は今日自分が空港で眠りに落ちながら感じた事、それが事実だったのを知った。
(……似ている、のではなく。やはりあれは政宗殿、だったのか……)
幸村があの彼に対して思い入れがあったように、政宗の方も幸村に対して思い入れがあったのだと。だから、再会して分かってもらえなかった時に苛ついて。それからちょっかいを掛けるようになったのだと、教えてくれた。
そして幸村がどこかあのやり取りを楽しいと感じていたように、政宗の方も似たような感情を持っていた事も。だからあの日、幸村に騙すように屋上に連れてこられて。裏切られたと思ってしまったのだと。
「伊達殿……某……」
「政宗と幸村ってどうなった?政宗結局アメリカ行っちゃったし。でも幸村に引きとめられて出発自体は少し遅らせたんだっけ」
「ん〜何かスカイプとかで何日かに1回位は話してる感じ。幸村一応パソコン持ってて、伊達がいろいろセッティングして行ったみたいでさ」
放課後の屋上。いつものように慶次との会話。彼の問いに、佐助は最近の幸村の様子を頭に浮かべながら答えた。
「へー。……んであの二人の関係ってやっぱそうなの?」
「……俺様はあの後そうなるの予想してたんだけど」
「あれ、その言い方って事は違う?」
「うん、幸村に聞いたらさ『友人になったのだ』って」
「意外だね〜幸村は自分で気付けないかもしれないけど、政宗が気付かせると思ってた」
「俺様もそう思ってたんだけど……あっちは幸村の方、そういう目で見てた訳じゃなかったのかなあ、こういう勘外れた事無いのに」
(幸村にとって可哀想な事にならなきゃいいけど……)
自分の従兄弟は間違いなく政宗を想っている。ただ恋愛というものに疎い彼はそれを未だに自覚しておらず。
政宗の方が幸村をそういう意味で好きではないのならば、いずれ辛い思いをするかもしれない。
そうなりませんように。弟のように可愛がっている従兄弟の心が傷付く日が出来れば来ませんように、と。
佐助は晴天の空へ向かって心の中で祈るように呟いた。
「政宗殿!」
最初は操作に戸惑ったがパソコン画面に映し出される彼との会話にもすっかり慣れて。名前の呼び方も「伊達殿」から「政宗殿」へと変わっていた。
時差があるから、普段はそう長い事話せない。
政宗は向こうで学校には通っておらず、家庭教師を付けている為、幸村より時間は自由に使えると聞いていた。だから会話は幸村が暇な時に行われる。
毎日はさすがに迷惑になるだろう、と。本当は毎日話したい気持ちを抑え、数日に一回連絡を取っていた。
『この時間ってのは珍しいな。そっちはまだ昼過ぎだろ?』
「今日は学校もバイトも休み故」
だから普段より長く話せるかもしれない、と考えていたのだが。
「もしかしてお忙しいので?」
『……いや、大丈夫だ』
政宗はそう返してくれたものの、いつもの彼らしくなく少し間があったように思える。
『そういや、この前』
しかしすぐに政宗の方が話し始めたから、幸村は気のせいか、と結論付け。
会話に集中した。
(え)
会話の最中、画面の中の政宗が急に立ち上がり。
(誰かと一緒に居られるのか?)
なにやら言い争っているような声が聞こえて来た。
少しパソコンから離れているらしく、その姿は幸村の画面からは確認できない。会話も早口の英語で聞き取れなかった。
そして。
「!!」
誰も居なくなっていた画面に突如、白いバスローブなようなものが見えた。
しかしそれは直ぐに消え。
『悪ぃ、ちと用が入った。またな』
戻って来た政宗がそう告げた直後、スカイプの通話は幸村の返事を待たずに途切れた。
(……あれは多分政宗殿、の……)
白いバスローブ。あれを纏っているのは、女性、だった。今この時間、向こうは夜の筈で。
きっと政宗は恋人と共に過ごしていたのだ。いくら恋愛関係に疎い幸村でも、それ位の想像は付く。
大丈夫だという返事に間があったのはそのせい、だ。
放っておかれた恋人が部屋に訪れたのだろう。だからあんなに急に会話を中断した。そして今は二人で過ごしているのだ、きっと。
(……何故、こんなに苦しい、のだ)
浮かんだ政宗と恋人との時間、その想像を振り払う。
政宗とは遠く離れてはいるものの、今までの険悪さが嘘のように会話を楽しむ日々を続けている。そして、画面の中の彼は今まで一度も、今日まで自分から意識を離す事は無かったから、彼に対する独占欲、未だに理由の分からないそれも満たされていたのだ。
けれど。
(政宗殿には、向こうに恋人が居て)
自分が知らない時間に、彼女と過ごしている。
それを知ってしまった。
(……俺と政宗殿は友人で)
例え政宗に恋人が居ようと、その事実はこれからも変わらないのに。
「まさむねどの……」
彼が恋人と過ごしているのだと、自分以外の人を見ているのだと考えると。
酷く胸が、心が痛んだ。
「幸村、何か悩んでる?伊達との事とかで」
「!」
遠回しな言い方では幸村には通じないだろうと。ここ最近沈んでいるように見える従兄弟に、佐助は直球で尋ねた。
「佐助……」
少しの沈黙の後。
幸村は昨日の夜政宗との間に起こった出来事と、自分の抱える気持ちを話してくれた。
(……伊達に彼女が居るんなら玉砕する可能性が強いだろうけど……)
可哀想な事にならなければ良い、傷付く事がなければ良いとは思っていたが、政宗への独占欲を自覚してしまった今の状態も幸村にとっては辛いだろう。政宗への独占欲を密かに心の内に抱えたまま過ごしていては、幸村の心が傷付く機会は告白して玉砕するよりも多くなってしまう可能性もある。ならば大事な幼馴染にずっと苦しい気持ちを抱えさせているよりは、と。
「幸村、その気持ち伊達に伝えてみたら?」
告白を勧めた。
「……しかし自分自身がこの気持ちが何なのかを理解して居らぬのに……」
独占欲の理由には、まだ思い至っていないらしい。
悩む幸村に、佐助の方も少し考えた後。
「本当は自分で気付く方が良いんだと思うけど。幸村はそういう方面に鈍いから、ずっと気付かないまま終わっちゃう可能性があるから、俺様が教えるよ。それは」
恋、だよ。
と、伝える。
幸村は一瞬驚いた顔を見せたが。すぐに納得したようだった。
「恋、か。……そうか、だから政宗殿が他を見ると、俺は苦しくなってしまうのだな」
「確かあの男もうすぐ一時帰国するんでしょ?その時に伝えてみなよ。ただ抱え続けてるのも辛いだろうし」
「……そう、だな」
『夜の十時過ぎだな、羽田の方で』
「お迎えに行きまする」
スカイプで政宗の帰宅予定を聞き、外出には少し遅い時間だとは思ったが早く会いたいという心が抑えきれず、迎えに行くと告げると。
『なら家族に泊まるって言って出て来いよ。次の日休みだろ?』
自分が日本で過ごす時に使う家に余裕があるからと、政宗は泊りを薦めて来て。
幸村は、政宗殿のご迷惑にならないなら、と頷いた。
(もうすぐ戻って来られる)
空港で政宗を待つ幸村の胸はトクントクンと高く脈打っている。
佐助に政宗へ向かう理由の分からなかった自分の感情が「恋」だと教えられて以来。政宗の事を考えるだけで、彼とネットを通じて話している時にも、胸は高鳴った。
しかも今日は久々に実物に会えるのだ。それに。
良い返事は貰えないだろうと思いながらも、今日告白をするのはもう決めていて。
再会の期待に加えて、告白へ向けての緊張でドキドキしている、というのもあるかもしれない。
「!」
幸村が忙しない心臓を息を吐いて落ち着かせていると、到着ロビーに見覚えのある姿が下りて来て。
「真田」
荷物を預けていなかったらしい彼、政宗はすぐに幸村の傍にやって来た。
「お久しゅうござる」
「ああ、半年ぶり、か?しかしスカイプで良く話してるからそんな久し振りな気はしねえな」
泊まるってのは言って来たんだろ?との政宗の問いに友人の家にお世話になると告げて参りました、と答えると。じゃあ行くか、と政宗が歩き出し。幸村もその背を追った。
以前訪れたマンションは解約したらしく、今日政宗が案内してくれたのは幸村が全く知らない建物で。小さめながら一軒家のそれは、政宗の父が仕事でたまに使っている場所らしい。
幸村は家で、政宗は機内で夕飯を食べていて。眠るにはまだ少し早い時間だから話でもするか、となり。
(……これは、伝えるチャンスなのでは)
と幸村に緊張が走る。
落ち着いた色合いの革張りのソファに政宗と向き合う形で座り。
「あの、政宗殿」
幸村が口を開いた瞬間。
「っ」
静かだった空間に少し大きめの音量でメロディーが流れ。
「Shit!悪ぃ、ちいと外す。向こうの奴だ、着いたら連絡しろってうるさかったからな……」
メロディーは政宗の携帯が発したものだったらしく、彼は携帯を持って部屋を出て行ってしまった。
(向こう、という事はやはり)
この前の彼女、恋人だろうか。
考えた途端ずきり、と。政宗との再会で高鳴っていた筈の幸村の胸に強く痛みが走る。
電話の相手が恋人ならば、政宗にとって幸村より優先すべき存在だろう。
でも理屈では分かっていても、それが嫌だ。こんなに近くに居るのに、政宗が自分を見てくれないのが嫌だ。
そんな気持ちを抱えた幸村は、無意識の内にふらふらと部屋を出て。
政宗の姿を探し求め歩き出した。
「トイレか?それとも腹でも減ったのか?」
開け放たれたドア、その部屋を覗き込むと既に通話を終えたらしい政宗が声を掛けて来る。
それに首を横に振って。
「さなだ?」
以前彼を空港で引き留めた時と同じように、幸村は政宗の背中に抱き付いた。
「……政宗殿が、某以外を見るのは嫌、でござる」
政宗殿を想っておりまする。それ故に、貴殿の視線、心が他の方に向くのは嫌でござる。
「……アンタ、それがどういう事を意味するか分かってて言ってんのか?」
「?」
「言葉じゃアンタには通じねえ、か」
そうだな、アンタのその言葉。
オレがこれからやる事にアンタが最後まで耐えられたら、泣かなかったら、考えてやってもいい。
「まさむねどの?……っ」
どさ、と。政宗の手により背後にあったベッドに突き倒される。
視線を上げると、ぎらついた政宗の隻眼と瞳が合った。
「ぐっ」
訳が分からないまま、四つん這いの体勢を取らされ。体の奥の恥ずかしい場所を政宗の指で拓かれて行く。痛みと異物感に吐きそうになり、また涙もうっすらと滲んで来たが。
(政宗殿は最後まで泣かなければ、考えてくださると……)
少し滲んだだけで、まだ泣いている状態とは言えないだろう。
先程の政宗の言葉が蘇り、泣く事だけは耐えなければ、と幸村は自分に言い聞かせた。
「ぁ!」
中で蠢く指がある一点に触れ。その瞬間、異物感が吹き飛ぶほどの感覚が幸村を襲う。
「ぁああ」
ぐりぐりとその場所を掻き回されて、唇から零れる声は苦痛と異物感によるものから快楽に酔ったものへと変わって行った。
「っ」
指が引き抜かれ、代わりに熱く硬いものが宛がわれる。それが何かを理解する前に。
「ひっ…!!!」
一気に侵入してきたそれに。幸村の口から声にならない悲鳴が上がる。
指とは段違いの大きさのそれに、体を引き裂かれる様な痛みを覚えたが。
(泣いては、だめ、だ)
零れようとする涙を押し留める為に、ぎゅ、と瞳を瞑り耐える。
揺さぶられている内に、痛みは相変わらずあるものの。
(俺の中に在るのは政宗殿のもの、で)
この痛みは政宗とひとつになっている、彼が自分のこの体で感じてくれている証拠のような気がして。
どこか暖かく甘い幸せも幸村に齎した。
「オレを独占したい、オレに他を見るなってのはこういう事でもあるんだぜ?」
後悔したか?
との政宗の言葉に首を横に振る。
既に政宗のものは引き抜かれ、体も綺麗に拭かれていたが。尻の奥にまだ政宗のものが入っているような違和感があり、腰も痛い。けれど。
「まさむねどのとひとつになれて。……某のこのような硬い男の体を政宗殿が求めてくださるのが、嬉しゅうござった」
「……オレは元から、アンタとこういう事をしたかった」
「え」
「でもアンタはオレがアメリカに行く前、友達になってくれと言って来て。……だからオレはアンタとダチであろうとした。アンタを欲しいって気持ちを心の奥に押し込めて、な」
そうした方が、一度壊れかけたオレ達の関係は長く続いていくだろうと思ったから。
でもアンタがオレを求めてるってんなら、さっきまでの行為でも引かねえってんなら。
もう隠す必要はねえ、か。
アンタが好きだ、幸村。自覚は遅かったが、きっとあの小せえ頃から好きだった。
「……某、失礼ながらあの少年と政宗殿が同一人物だというのは、もしかしたらと思う事はあっても、政宗殿から告げられるまではっきりと分かって居りませぬでした。……最初はあの少年へ惹かれそれが政宗殿と関わる切っ掛けになり申したが……いつしか政宗殿への想いが勝っておりました」
政宗の言葉を受け、拙くはあるが自分の気持ちを、今まで抱えてきた心を告げると。
「!」
政宗がその胸に、抱き寄せてくれた。
触れて感じる体温に幸福が満ちて来るが。
「その、政宗殿。アメリカにいらっしゃる彼女、は」
唯一、それが心に引っ掛かっていた。
「AH?この前のあれもさっきの電話も恋人とかじゃねえよ、家庭教師だあの女は」
「え」
「親父が変に気をまわしやがってな。向こうは勉強の他にそっち方面も面倒みる気だったらしいが。オレはずっとアンタを想ってたから、そっちの面倒まではいらねえって拒否してた。この前のあれも別に何かしてた訳じゃなく、あの女が汗かいたからってシャワー使った後に部屋に入って来ただけで」
「すぐ、切ってしまわれたのは?」
「アンタの姿を見せるのが嫌だったんだよ。あの女、アンタに興味示してたからな。アンタは気さくに対応するのが見えてるし、アンタが他の奴に笑い掛ける所なんてのも見たくなかった」
「……政宗殿も、某に対して独占欲を?」
「ああ」
「おそろい。でござるな」
幸村が笑むと。
「オレの独占欲はアンタより性質が悪ぃと思うぜ?覚悟しときな」
とニッと政宗も笑みを返して来て。
どのように性質が悪いのだろうか、とほんの少し不安を抱きながらも。
政宗から自分を求める言葉が聞けるのは嬉しかったから。
こくりと頷いた。
「お〜あの二人、進展したみたいだねえ」
言い争いしてる時から、ベクトルは違えどお互い特別って感じはあったから、こうなるのもやっぱり納得できるね、と慶次がうんうんと頷く。
その横で佐助は大きく溜息を吐きつつ、従兄弟に視線を送っていた。
「……幸村固まってるよ」
「そりゃこんな公衆の面前であんな事されちゃねえ!」
佐助の言葉に慶次が豪快に笑う。
どのような経緯かは分からないが、幸村は政宗への想いを叶える事は出来たらしい。
一週間ほど日本に滞在した政宗がアメリカに戻る事となり、幸村の付添、という形で佐助と慶次も空港まで見送りに来たのだ。
政宗は幸村に再会の約束をして、すでにゲートの向こうへ消えていたが、幸村は唇に手を当て立ち尽くしていて。
その顔はこれ以上ない位に紅い。
原因は、政宗が去る直前に幸村の唇にキスを落としていった事。周りの人の目をを気にせずに。
幸い周囲にはキスを挨拶とする外国人も多く、そこまで注目は浴びなかったが。
(……なんか、これからも色々振り回されそうだね幸村)
しかしきっとその振り回される事も、政宗に独占欲を抱いていた幸村にとっては幸せな事なのだろう、と考えて。
佐助は未だ動かない従兄弟を連れ帰る為に歩き出した。