夏色こいうた
「次の週末さ。俺様のクラスメイト数人で温泉旅行行くんだけど、幸村も参加しない?ビーチも近くにあるから泳げるし、料金も結構安価だよ」
「……学年が違うのに良いのか、佐助」
昔からよく世話を焼いてくれていて、今は同じ下宿先で暮らしている二つ年上の友人からの言葉。幸村の実家、真田家の使用人として佐助の親が働いていたのもあり、普段年上に対しては丁寧な言葉を使う幸村だが、佐助に対してはそうではない。もっとも佐助本人も丁寧な言葉を使われるのを嫌がっていたようだから、言葉遣いが二人の間で軋轢を生む事は無かった。
幸村も夏休みのうちにどこかに出掛けたいなと思っていて。先週バイトの収入が入った事もあり、魅力的な誘いだったが。同じ高校に通っているとは言え、三年生の中に自分が混じっても良いのか、という思いもある。
「殆どが幸村の事知ってる奴だから、その辺は心配しなくても大丈夫」
佐助の口から告げられたメンバーは、佐助がたまに下宿に連れて来る事もあり、幸村も良く知っていて。
(その中になら混じっても平気そうだな)
自分を可愛がってくれている、と言ってよい人物たちに安心して。
幸村は温泉旅行に参加を決めた。
「ありゃ、もう皆集まってるか。遊びになると早いんだよねあいつら。授業は良く遅れる癖に」
真夏の強い日差しを受けながら、待ち合わせ場所に辿り着き。佐助があそこ、と指し示した場所には。私服姿の学生数人。
(な、何故伊達先輩が!)
その中に佐助から聞かされていないメンバーを見付け、思わず硬直する。
「あれ、あと一人って伊達を誘ったのか。集団での泊まりとか参加するイメージじゃなかったけど」
どうやら、佐助も彼・伊達政宗が参加する事を知らなかったらしい。
(……伊達先輩と過ごせるのは嬉しいがっ……)
自分の、彼への想いがばれて。彼と気まずい関係になってしまわないようにしなければ。
伊達政宗という、片目を眼帯で覆い整った顔を持つその男は。
幸村が密かに恋心を抱いている相手、だった。幸村は別に男が好き、と言う訳ではない。ただ高校に入り、周囲が恋の話に花を咲かせ始めても、あまり興味を持てなかった。そんな幸村が伊達政宗へ淡い想いを抱いてしまったのは。ある出来事があってから、だ。
彼は、幸村たち一年生の間でも有名人、だった。財閥御曹司の跡取り息子で美形と来ては、女子たちが騒がない筈も無く。この学校の全クラスの女子の中に、必ずと言っていいほど彼のファンは含まれる。直接アタックする積極的な者もいれば、ただ遠くから眺めていればよい、という者もいる。割合からして、後者の人物の方が多いようだった。
政宗本人は、来るもの拒まずと言って感じでそういった女子達の相手をしているようにも見える為。あまり女子に好意を抱かれないタイプの男子からは、嫌われていた。もっとも必ずしも男子生徒受けが悪い訳ではないらしく。彼の周囲には、彼に親しげに話し掛ける男子生徒の姿もあった。
幸村は最初、クラスの男子生徒からの政宗の余り良くない噂だけを聞いていたから(後にそれが僻みや嫉妬から来ているものが大半だと知ったのだが)。政宗に対して余り良い印象は無かったのだが。
ある日を境に、彼への気持ちが全く変わってしまった。
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「真田、車で送ろうか?」
「下宿は直ぐ近くなので平気でござる!」
体育の授業中に、足を捻ってしまい、幾分歩き辛そうにしている幸村に。担任の教師から声が掛かるが。幸村は担任の申し出に、首を振って、大丈夫と伝える。鞄も佐助が持って帰ってくれる事になっているし、手ぶらで歩く事はそう辛くないだろうと判断し。下宿に帰る為に下駄箱へ向かう。
「っ」
「あ、わりぃ!」
下駄箱から靴を取り出している際に、後ろからぶつかられ、足を捻っているせいで力の入らなかった体は、もろに下駄箱に叩き付けられてしまった。
ぶつかった生徒はさっさと去ってしまっていたが、おざなりだが謝ってくれた以上幸村に責める気はないが。
(……立てぬ)
捻った足に先程の衝撃は辛く。痛みでその場に蹲っていると。
「おい、アンタ大丈夫か」
「その、普段ならなんともないのでござるが……」
先程の出来事を説明しながら振り返ると。
「!」
そこに立っていたのは、この高校の有名人・伊達政宗、だった。
「ん?アンタ猿飛と同じ下宿の一年か」
相手は幸村を知っていたらしい。そう言えば彼と佐助は同じクラスだったような気がする。
「無理して立とうとすんな。確か下宿、ここから近かったよな?送って行く」
「!!」
言葉と共に、横抱きにされてしまい驚く。
「荷物はねえんだな」
「あ、それは佐助が」
「ああ、成程な」
下駄箱周辺に人は少なかったが、校庭に出るとまだ下校途中の生徒や部活生などが居て。政宗の歩みに合わせ、そう大きな声ではないがざわめきと共に、強い視線を感じ。
幸村は俯いて、顔を隠した。
「あ、有難うございまする」
下宿先の玄関に体をゆっくりと下ろされ。そこで初めて政宗の顔をまともに見た。今まで遠目から見掛ける事はあっても、こんなに近くで眺めた事は無い。
(……女子生徒たちが騒ぐのも頷ける……)
「オレの顔になんかついてるか?」
政宗に指摘され、思わずその整った顔立ちに呆と見惚れてしまっていた事に気付く。
「っ、いえ何でもありませぬっ申し訳ござらん」
じっと顔を見つめるなど失礼だ、と慌てて謝る。政宗は特に気分を害した風ではなく。
「じゃあな」
と言い残して去って行った。
(あまり良い噂を聞かなかったが……友人でもない俺をわざわざここまで運んで下さったのだ。悪い方とは思えぬ……)
その日から、幸村は伊達政宗を、酷く意識するように。学校で彼の姿を視線で追うようになり。彼の良くない噂では、自分から女生徒を誑かしているように聞いていたが。実際はそうではなく。彼と付き合っている女の子たちは、全員女の子の方から告白し、彼が自分に興味が無いというのを分かっていて。それでも尚強引に彼の傍に居るのだというのも知った。だから実際に彼の恋人だ、と言える女生徒は居ないのだ。まあ体の付き合いはあるだろうね、と言ったのは自分の年上の友人だったか。その言葉に破廉恥、と赤面はしたが。不思議と政宗に対する印象は悪くならなかった。多分、彼女達がそれを望んでいるのだ、と薄々分かっていたからだ。政宗の方はそれに仕方なく答えているだけだ、というのも、普段の彼の態度を見つめていて、容易に想像できたから。彼が酷い男などとは思わなかった。
心に、良く分からない重いものは残ったけれど。
政宗を見つめているその内に。あの彼の隻眼が自分にもっと向いてくれれば良いのに。等と考える様になってしまい。彼が隣に女生徒を連れて歩くのを見る度に、自分の心がずきりと痛むのを感じ。
幸村は、彼に淡い恋心を抱いているのだと、自覚し。その際に以前心に抱えた良く分からない重いものの正体も理解した。あれは政宗と繋がる事の出来る彼女達への嫉妬、だったのだと。
思えば、あの下駄箱で出会い下宿で彼の顔を見つめた際に、既に一目惚れ状態だったのかも知れない。
ただ、政宗を取り巻く状況を知っていく内に。
自分の気持ちは隠さなければ、と思うようにもなってしまったけれど。
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「んじゃ、伊達と幸村が同室ね。伊達、幸村苛めないでよ」
「……苛めねえよ」
(伊達先輩と、同室っ)
旅館は二人部屋で、くじで部屋割りを決めた結果。幸村は政宗と同室になってしまった。
「行くぞ」
「は、はいっ」
想いを寄せている相手の近くで過ごせるのは嬉しいが、緊張して声が上ずってしまっていた。
「政宗〜、ビーチにナンパ行かね?結構イケてるお姉さんたちが。幸村も行くか?」
「え、遠慮致すっ」
部屋にそんな事を云いながら入ってきた先輩達に、幸村は激しく首を横に振る。水着姿の女性など、まともに見る事すらできない。それ位幸村は女性に免疫が無かった。
「相変わらずうぶだな〜幸村は。政宗は行くだろ?」
「……オレも行かねえ」
「えー、政宗が居た方が女の子釣れるのに〜政宗の次に女の子釣れそうな佐助は、部屋で寝てる方が良いって言うしよ〜」
「うるせえ、さっさと行って来い!」
政宗に追い出されるようにして、先輩達は去って行く。
「……」
喧騒が去り、静かになった部屋に二人きりなのだ、と改めて幸村が感じていた所に。
「なあアンタ、大浴場行かねえか?夜になったら混むだろうし、人が少ねえだろう今のうちに入っておきてえ」
政宗からの思わぬ誘い。
正直、彼と入浴して自分の心臓が持つのかという心配はあったが。自分は女子ではなく彼と同性の後輩なのだ。断るのは変だろう、と。幸村はぎこちなく頷いた。
「……離れすぎじゃねえか?もっと近くに来いよ」
「っ」
脱衣所でちら、と目に入ってしまった体は、普段は着痩せする性質なのか、かなり鍛え上げられていて。以前彼の顔を初めてまともに見た時と同じように見惚れそうになってしまい。慌てて視線を逸らし。温泉の広い浴場をこれ幸いと、彼と距離を置いて入浴していたのだが。そんな風に言われてしまえば、またしても断る理由など見付からず従うしかない。
昼間の大浴場は、二人の貸切状態、だった。本来ならその湯にゆったりと浸かりリラックスをしている所だが、今の幸村は到底そんな気分になれず。
「その、先程は何故行かれなかったので?あ、ナンパにではなく……某などと過ごすより、あちらの先輩方と過ごす方が伊達先輩も楽しいのではと……」
しゃべっていれば、彼を幾分意識せずに済むだろうか、と。思っていた事を言葉にすると。
沈黙が落ちた。
(な、何か悪い事を聞いてしまったのであろうか)
返事のない政宗に、幸村がおろおろとし始めた所で。
彼の口から意外な内容が零れた。
「残ってるのがアンタ以外だったら、行ってたかもな」
(そ、それは一体どういう?)
何やら、凄く自分に都合が良く聞こえてしまうのは、気のせいだろうか。
まるで、自分が残ると言ったから、彼も行かなかった、そんな風に聞こえてしまうのは。
(いや、そんな筈は……そもそも伊達殿は)
混乱を極めている幸村の、その頬に。
「だてどの?」
政宗の手が包み込むように触れて。
「!?」
次の瞬間。
唇に微かに、少しかさついた、けれど柔らかく暖かいものが触れた。
(……俺は、夢を見ているの、か?)
キスを、された。そう認識した時。
「か、からかっておられるのか!?」
思わずそう声を荒げていた。
(夢でなければ、そうとしか思えぬ……。伊達先輩が、俺などを相手にするはずがない。何故なら……)
政宗の隣を歩く女生徒は、いつもスタイルも容姿も抜群な者ばかりで。自分の容姿に自信がある女子しか、彼に告白をしない事から、そうなっているらしかったが。半ば無理矢理とはいえ、そのような相手とばかり付き合ってきた政宗が、男の自分へ好意を抱くなどあり得ない。今までそう感じていたからこそ、自分を見て欲しい、そう願いながらも。彼へ好意を示す事はしなかったのだ。彼から完全に拒絶されてしまうのが怖くて。
(考えれば考える程、伊達先輩が俺にキスする理由などからかっているかふざけているとしか……)
自分自身の考えに、傷付き涙を零した所に。
「からかってなんかねえよ」
低い、政宗の声が落ちた。
「……泣くほど嫌だったか?ならもうしねえ。……でもオレは」
「せんぱい?」
「アンタが、好きだ」
「っ」
幸村の耳に、政宗の言葉が響く。だがやはり信じられなくて。呆としている所に。
「……アンタから見たら、オレなんて軽い男に見えるんだろうな……。けどオレはアンタに……あの下駄箱で見掛けた日に一目惚れ、して。その後も見掛ける度に、いつもくるくる表情を変えてるアンタが可愛いって思って。今までずっと、アンタと過ごす機会を伺ってた。ここにも最初来る予定じゃなかったが、メンバーにアンタが居るって聞いて……。アンタはどうやら一直線で真面目な奴みたいだから。オレみたいなの、アンタが相手する筈ねえって分かってたが。オレの気持ちで、アンタを泣かせるつもりはねえ。さっきのは忘れてくれ」
ぎり、と唇を噛み締めた後、立ち上がり湯から上がり大浴場から出て行こうとする彼の背を、何処か意識の遠くで眺めていた幸村だが。
(っ、誤解を解かねばっ)
我に返り。
「お、お待ち下されっ」
慌ててざば、と音を立てて湯船から出て彼を追う。
「あっ」
気持ちが急き過ぎて、途中足を滑らせてしまい。転ぶ寸前の所を。
「!」
政宗の腕に抱きとめられた。
「あ、有難うございまする……某も、ずっと伊達先輩を思っておりました。けれど先輩の隣にはいつも綺麗な女性が居て……。某など相手にして下さるはずがないと……だから先程の事も先輩の気まぐれなからかいなのだ、とそう思って……伊達先輩と彼女達の関係が割り切ったものだと言うのは、知っておりまする。だから某は先輩を軽い男などと思ってはおりませぬ」
初めてあった日と同じように横抱きにされた状態で、幸村は自分の気持ちを彼に伝えた。あの、運んでくれた日に政宗の顔を初めて近くで見て。その時から多分惹かれていたのだ、と。
政宗の隻眼が、驚いたように見開かれた後。その瞳は優しい色を浮かべる。
「……オレ達は、お互い片思いだって勘違いしてたって事か。しかもお互い一目惚れだったってのに」
「そ、そのようで……!」
政宗の顔が近付いて来て。これはまたキスをされるのだ、と理解し。
先程は驚きで目を開けたままだった幸村は。今度は受け入れる為に瞳を閉じた。
「ん、んぅっ!?」
てっきり前と同じように軽いキスだと考えていたのに。今度は深く、しかも舌まで絡めての口付け。
「は、あ」
唇が離れた頃、上手く息の出来なかった幸村の小さく開いた口からは荒い息が零れた。
「だてせんぱい?ひゃんっ」
政宗が腰を下ろしたかと思うと、抱えていた幸村の体を、自分の足を跨がせる様に座らせる。
その際に政宗の腹に中心が擦れて、幸村から高い声が零れた。更に政宗の指で、まだ反応を示していないそこを扱き上げられ。びくびくと体が震える。
「あ、誰か来たらっ」
「来たらすぐ止める。まあ来ねえと思うぜ?ここの客、昼間は殆どビーチで過ごしてるみてえだからな」
政宗の言葉が示すように、二人がこの大浴場を訪れてから今まで、入ってきた人は居ない。けれどまったく入って来ない、とは断定できないのだ。そんな中で、このような淫らな行為、幸村には憚られたが。
「あ、やぁっ」
政宗の長い指が、幸村の性感を確実に刺激して行き。いつしか硬くなっていた政宗自身に自身の先端をぐり、と擦り付けられ。想い人のその熱い体温を直に肌に感じて。
「はぁ、あ!」
幸村の意識は快楽へと落ちて行った。
「伊達先輩?」
いつの間にか部屋に敷かれた布団に横たわっていて。どうやら余りの刺激的な出来事に、意識を失った自分を政宗が運んでくれたと知る。
「アンタこういうの好きそうだなと思って売店で売ってたから買って来た。喉乾いただろ」
「いただきまする。有難うございまする、伊達先輩」
政宗が差し出したのは、瓶入りのラムネ。夏の風物詩とも言えるそれは、確かに幸村が好きなもの、だった。中の炭酸を煽り、息を吐く。
「…アンタ、オレの事はオレの事は下の名前で呼べよ」
「……ま、政宗先輩」
政宗の膝に抱え上げられ、背中から抱き締めながらそう求められて。初めて口にした呼び方に、幸村の頬はかあ、と紅くなる。
「ほんと純だな。そこが可愛いんだが。オレもこれからは下の名前で呼ぶからな、幸村」
可愛い、というのは男の幸村にとって褒め言葉ではない筈だが、政宗から言われるのは嫌ではない。これは彼に惚れている証拠なのだろう。彼から名前を呼ばれるのも、嬉しい。
残りの炭酸を飲み干していると。政宗の口から、幸村にとっては謎かけのような内容が洩れた。
「さすがにあそこで最後まで、ってのは拙かったしアンタも気ィ失ってたから途中でやめたが……いずれはアンタを全部手に入れるから、な?」
「最後まで?全部?でござるか?」
「……アンタ知らねえのか。ま、無理もねえか。その辺もオレがゆっくり教えてやるよ。……今はアイツらが戻って来るまで、ここでゆっくりしようぜ」
政宗の言葉は気になったが。彼の腕の中で、その手に髪を梳かれるその心地良さに。幸村はこくりと頷きながら、目を閉じた。
手に入るとは思っていなかった想い人の暖かさに包まれて。
数日後。
「上手く行ったみたいだね〜。俺様、最初伊達は来ないかと思ってたけど」
「それにしても政宗が幸村にって、マジだったんだな。政宗なら女の子選り取り見取りなのによ〜幸村だってモテる部類だろ?ああいう可愛いの好きな女子って今多いじゃん。よりによってその二人がくっついちゃうとかも」
「まあ女好きのアンタに取っちゃライバルが減って良いんじゃない?俺様としてはこれから幸村が伊達に泣かされないか心配なんだけどね」
「だいじょうぶじゃね?政宗、本気の相手には一途だと思うし」
「そうあって欲しいけどね〜」
実はあの温泉旅行自体が、中々行動を起こさない二人の為に、友人達によって計画されたものだったのだが。
その事実を、政宗と幸村は知らない。